198 どうでもいい存在
「皆、今日は弓道部の新歓に来てくれてありがとう! 入部してもしなくても全くもって自由だし、無料で飲み食いをするのが目的でも全然いいからとにかく先輩たちと話してみて欲しい。部活の話でも勉強の話でも恋バナでも何でもOK! それでは乾杯!!」
2018年4月中旬、雅人は医学部1回生として畿内医大弓道部の新歓飲み会に参加していた。
医学部医学科の新歓というのは各部活、特に運動部が部費を大盤振る舞いして新入生に豪華な食事をご馳走し、あわよくば入部を宣言させようと奮起するイベントである。
その部活に入る気が一切なくても新歓飲み会に行けばオーダーバイキングや焼肉、しゃぶしゃぶにコース料理といったご馳走をノーリスクで食べられるので医学部1回生は新歓期間に様々な部活の新歓飲み会を回るのが一般的だった。
今のところ学内でほとんど友達を作れていない雅人はオリエンテーション期間に知り合った同級生の
ラグビー部や野球部といったハードな運動部は焼肉やしゃぶしゃぶの店を会場にするらしいが男性にしては小食な雅人はそういった食べ放題の店があまり得意でなく、弓道部を選んだのは落ち着いた居酒屋でコース料理をご馳走されると聞いていたからだった。
新歓飲み会に来たはいいものの他の1回生はまだ顔と名前が一致しない相手ばかりで、雅人は乾杯してウーロン茶を飲んだ時点から居づらさを感じ始めていた。
テーブル席の向かい側に座っている3回生男子は気を遣って色々と話しかけてくれて、雅人も持ち前の打ち解けやすさを発揮して楽しく会話を続けていたがその先輩としか会話できていない状況に彼は焦りを覚えていた。
そんな中、居酒屋の入り口から誰かが速足で入店してきたのに気づいた雅人はそちらに目を向けた。
入店してきたのは青と水色が入り混じった若干奇抜なカーディガンを羽織った女子大生で、彼女は長髪を太めのポニーテールにまとめていた。
流石に一人で居酒屋に来た訳ではないだろうと察して様子を見ていると、彼女は弓道部員と新入生たちが座っているテーブル席まで歩いてきて、
「遅れてすみません。弓道部員で医学部新2回生の解川剖良です。新入生の皆さん、今日はよろしくお願いします」
抑揚の小さい口調で静かに言うとぺこりと頭を下げた。
近くまで来て見えた彼女の顔は無表情ながら美しいとしか言いようがなく、魅力的なクールビューティーの姿に雅人は心を打たれた。
そればかりか彼女が座った席は不自然に空いていた雅人の右隣で、木製の座席に丁寧に腰かけた彼女は、
「あなたは1回生? 今日はどうして来てくれたの?」
自分から雅人に話しかけてくれて、そのまま微笑みを浮かべたのだった。
それから何をどう話したのかは緊張のあまり覚えていないがともかく新歓飲み会のその日に雅人は解川剖良という女性に惚れ込み、元々入部する気は全くなかったにも関わらず飲み会の終了時には弓道部に入りますと宣言したのだった。
高校では写真部に所属していて大学でも運動部に入る気はなかった雅人だが、弓道部の活動は実際に体験してみるとそれなりに楽しかった。
運動センスのない雅人は弓矢の扱いも中々上手くならず1回生の中では最も腕の悪い部員だったが、剖良はそんな雅人をいつも傍で指導してくれた。
弓道部員として剖良と過ごせた1回生の1年間は雅人にとっては天国のような時間で、兼部先の写真部には暇な時だけ顔を出しつつ彼は剖良に会えるのだけを楽しみに弓道部の練習に参加し続けていた。
入念なリサーチにより剖良には現在片思い中の相手はいるが恋人はいないと分かり、意を決した雅人は2回生に進級する少し前の2019年3月11日に剖良を第二キャンパス競技場の裏に呼び出した。
先輩と2人で話したいことがあるので来て欲しいと恐る恐る申し出ると剖良は呼び出しを了承してくれて、2人で部室整理をするので先に抜けると練習中の部員たちに伝えてくれた。
「解川先輩に好きな人がいることは知ってます。だからこそ俺は勉強も部活も頑張って、その人を超えられるようになるつもりです!」
競技場の裏で2人きりになると雅人は剖良に秘めていた思いを伝えて、
「でも、柳沢君がどれだけ頑張って素晴らしい弓道部員になってくれても、私があの人より君を好きになることは絶対にないから。今はこれ以上の返事はできない」
あっさりと交際を断られ、そのまま泣きながら第二キャンパスから逃げ去った。
雅人は誰とでも打ち解けやすい性格だがメンタルは強くなく、それからは練習で剖良と顔を合わせるのが辛くなってしまい2回生に進級してからは次第に弓道部の活動に参加しなくなった。
元々腕の悪い彼の存在は弓道部にとってかなりどうでもいい部類に入っていたので雅人が練習に来なくなっても他の部員たちは大して気にも留めず、今では雅人は弓道部のグループチャットに所属しているだけの存在だった。
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