189 気分は不穏

「ごめん、私ちょっとお手洗いに行きたいから待っててくれる?」

「もちろん。俺も微生物学教室に忘れ物してるから先に行ってくるよ。10分後にここで集合でいいか?」

「そうしよう! じゃ、ボクも用事済ませてくるね」


 剖良先輩の話を受けて3回生4名は10分後に再集合することになり、壬生川さんとカナやんも別れの挨拶をして梅田へと出かけていった。


 後には僕とヤミ子先輩が残され、僕らは近くの長椅子に座ると自然に話し始めた。



「今日は誘ってくださってありがとうございます。先ほども言いましたけど本当に貴重な経験でした。来年もまた参列したいです」

「白神君ならそう言ってくれると思ってた。宗教的行事って人によっては迷信だと思われるし私も昔はそういう所あったんだけど、動物実験をやるようになると変わってきたかな」


 ヤミ子先輩はそう言うと長椅子に座ったまま脚を組み、あまりにも綺麗な生脚なまあしが再び目に入って僕は必死で平静を保った。


「剖良先輩がうっかりミスをするのは珍しいと思うんですけど、ヤミ子先輩は何か思い当たることあります?」

「うーん、何が原因かは分からないけど最近ちょっとさっちゃんが挙動不審なんだよね。授業中もぼーっとしてたりするし」

「そうですか……」


 剖良先輩が精神的に不安定なのはヤミ子先輩もお分かりのようだが、その原因が自分にあるとまでは分かっていないらしい。



「先輩と白神氏! お疲れ様です、今日は何かご用事ですか?」


 図書館棟へと続く廊下から歩いてきた人の声にこれはやばい、と僕は直感した。


「あれっ柳沢君。今日は実験動物の慰霊祭があったんだけど、柳沢君こそ土曜日なのにどうしたの?」

「用事で皆月まで来たついでに大学に寄ったんです。それにしてもまさかヤミ子先輩に会えるなんて。俺は幸せ者ですね」


 部活の後輩に接するのと同じ態度で彼氏に話しかけたヤミ子先輩に、柳沢君はものすごく嬉しそうな様子で答えた。



「今日は白神氏とどこかに行く……とかじゃ流石にないですよね? 今お時間ありますか?」

「あー、ごめんね。白神君とはどこにも行かないけど、これから3回生の友達とカラオケに行くの。デートはまた今度誘ってくれる?」

「ええ、もちろんです! 俺も少しだけ失礼しますね」


 柳沢君は偶然会ったのをきっかけにヤミ子先輩をデートに誘い、あっさり断られたがそのまま先輩の近くの長椅子に腰かけた。


 ヤミ子先輩の口からあっさり「デート」という言葉が出たことからすると先輩が柳沢君と付き合っているというのはやはり嘘ではないらしい。


 柳沢君が恋愛にはここまで大胆だったとは友人である僕自身も知らなかったが、完全に僕は会話の邪魔になっているということは理解できた。



「僕もロッカーに用事あるのでこの辺で失礼します。またね、柳沢君」

「ああ、白神氏も元気でな! 先輩、お友達っていうと……」


 今の僕が最も聞きたくない話題に触れようとする柳沢君の声を背中に、僕は長椅子から立ち上がってそそくさとロッカールームへと歩いた。


 ここにはすぐに剖良先輩が戻ってくる訳で、以前告白して玉砕した相手の剖良先輩と再会する柳沢君の心労も気になるが、何よりもヤミ子先輩に彼氏ができて傷ついている剖良先輩がこの場面に遭遇してどうなるかは考えるのも怖ろしい。

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