185 気分は恋と愛と恋愛

「まず結論から言うと、白神君が剖良君にアドバイスしたことは決して的外れじゃないと思うし剖良君に申し訳なく思う必要もないと思う。剖良君はヤミ子君への思いが強すぎることに気づいたというけどだからといってヤミ子君を振り向かせられる訳じゃないし、その気持ちには自分で折り合いを付けていくしかない。だとすれば一つでも新たな出会いが見つかったことは、いざヤミ子君を諦められた時に彼女の救いになるんじゃないか? 今は自分を苦しめているものでも後々になって自分を助けてくれるということは往々にしてあるぞ」

「なるほど、それは名言ですね」


 剖良先輩はマッチングアプリで素晴らしい相手と出会えたことでヤミ子先輩への思いの強さを改めて認識し、その強すぎる思いと出会いの相手からの期待で板挟みになっていた。


 とはいえ剖良先輩もいつかはヤミ子先輩のことを諦める日が来る訳で、板挟みを構成する板の1つがなくなればもう1つの板はかえって剖良先輩を救う存在になり得るということだろう。



「ただまあ、剖良君が恋愛で苦しむ気持ちは正直よく分かるんだ。これは俺の個人的な考えだが、一口に恋愛といってもこいと愛と恋愛はそれぞれ違うものだと思う。白神君は考えたことあるか?」

「恋と愛と恋愛の違いですか? いえ、全然です」


 辞書的にはそれぞれ意味が異なるのだろうが、マレー先輩はおそらくその3つを独自に定義しているのだろう。



「具体例で言えば剖良君がヤミ子君に抱いているのが恋、俺と美波とがお互いに抱いているのが愛、そして壬生川君が君に抱いているのが恋愛ということになるだろう。ヤミ子君が彼氏に抱いているのが何かはまだ分からないが」

「というと?」


 僕が興味津々といった様子で尋ねるとマレー先輩は笑顔で頷いて再び話し始めた。



「すべて俺の持論と前置きしておくが、恋っていうのは現実を度外視した気持ちだ。剖良君はヤミ子君が振り向いてくれないことを分かっていても、それでもヤミ子君が好きなんだ。これに対して愛というのは現実に即した気持ちだ。俺と美波が予備校時代に付き合うようになったのは、孤独な浪人生だった俺たちがお互いに自分を最も好きでいてくれて最も大事にしてくれるのが相手だと冷静に考えたからだ。最後に恋愛っていうのは恋と愛の両方が入り混じったものだと言えるだろうな。壬生川君は中学生の頃から君に恋をしていたけど、大学で再び知り合ってからは今の君を見て気持ちが愛にシフトしたんだろう。あくまで想像だけどな」

「その想像、かなり事実を言い当ててると思います……」


 壬生川さんは中学生の頃はクラスで1番人気の男子だった(らしい)僕に憧れていた、すなわち恋をしていたが大学に入ってからは等身大の同級生男子である僕をそれでも好きでいてくれた。すなわち愛を持ってくれたということになる。


 恋と愛の定義についても先輩の持論は非常に納得のいくもので、マレー先輩はやはり人文学的な発想に強い人だと思った。



「今の剖良君は恋という感情に囚われて苦しんでいるけど、いつかはその気持ちが愛に変わる日が来る。なぜかというと恋と違って愛は無償のものになり得るからだ。ヤミ子君への気持ちが見返りを求めない愛になった時、初めて剖良君は彼女のことを諦められるんだろう」


 マレー先輩は一息にそう話すとソファにもたれかかって何度かまばたきをした。


 無償の愛の素晴らしさは僕もヤッ君先輩に語った経験があるが、天草君に振られても落ち込まないようにということを婉曲的に言っただけの僕とは異なり美波さんからどれだけひどいことをされても彼女を愛し続けたマレー先輩の言葉となればとてつもない説得力があると思った。



「色々話した割に全然具体的なアドバイスになってないけど、俺が話せるのはこれぐらいだ。白神君は剖良君のことを過剰に心配する必要はないから、できるだけ近くにいて悩みがあれば聞き手になってあげて欲しい。普通は男女間でそういうことをすると相手から依存される結果になりがちだが、君にはもう美しい恋人がいるし剖良君が君に惚れることもあり得ないからな。もちろん浮気はするなよ?」

「それはもう当然ですよ。マレー先輩のお話にはすごく感銘を受けましたし、僕もこれからどうするかを決められました。今日は本当にありがとうございます」


 座ったまま頭を下げてお礼を言うと、マレー先輩は笑顔を浮かべてソファから立ち上がった。

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