182 マッチング・コンフリクション

 恋愛に関して深く語り合った2人は意気投合し、それからは延長を繰り返しつつ5時間近くもカラオケを楽しんで店を出た頃には時刻は16時を回っていた。


 一緒に夕食に行くにも解散するにも早い時刻と考え、剖良は真琴とこれからどうするかを脳内で検討していた。



 カラオケ店を出てあてもなく数分歩いた所で、真琴は剖良にある提案をした。


「剖良さん、晩ご飯に行くにはまだ早いのでちょっと休憩していきません? この辺でオススメの所をリサーチしてきたので」

「ええ、いいと思います。ぜひ連れてってください」


 この近くに公園でもあるのだろうかと思いながら剖良は何気なく返事をした。


「ありがとうございます。満足できなかったらお金は私が持ちますし、何事もやってみないと分かりませんからお気軽にどうぞ」

「……?」


 休憩しに行く場所でお金がかかる施設とは一体何なのだろうかと思いつつ、剖良は真琴に追従して歩いた。



 真琴が歩いていった先には3階建てぐらいに見えるシックな外装のビルがあり、四隅を囲うへいと木々によりその存在は周囲から目立たなくされていた。


 ビルの1階入り口の前に立てかけられている看板には「休」「宿」という文字の横に平日と土日祝、利用時間ごとに分けて料金が記載されており剖良はここは一体何の建物なのだろうと思った。



「このビル、パッと見でそういう場所だと分からないようになってるので私たちみたいな人に人気らしいんですよ。いい感じでしょう?」

「えーと、そもそも何のお店なんですか……?」


 率直な疑問を口にした剖良に真琴はあははと笑うと、



「剖良さん、そういうお冗談は私も好きですよ。まあ難しいことは考えずに、今から楽しみましょう!」


 明るくそう言って突然右手で剖良の身体を寄せた。


 「休」「宿」という文字と真琴がいきなりボティタッチをしてきたことから、剖良は乏しい性知識に基づいてこのビルの正体を理解した。



「あれ、行かないんですか?」


 不思議そうに尋ねる真琴に、



「……真琴さん、私、そんなに安い女に見えますか?」


 剖良は彼女の顔をきっとにらみつけ、辛うじて思いついた言葉を口にした。


 場の空気が剣呑けんのんになったことを理解し、真琴は剖良の肩に回していた右腕を離した。



「剖良さんが安い女だなんて、そんな訳ないですよ。せっかくの出会いを大切にしたいと思って……」

「だったらどうして初対面でこんなお店に誘うんですか。私に優しくしてくれたのはそれが目当てだったんですか!?」


 全く悪びれずに話す真琴に、剖良は気持ちが一杯になったままで彼女を激しく責め立てた。


 お互いの意図が完全にすれ違っていたと理解し、真琴ははっとした表情をした。



「私は失恋してマッチングアプリに手を出したけど、適当な相手とそういうことをしたくて今日ここに来たんじゃありません。そんなつもりで私に優しくしてくれるなら、他を当たってください」

「……」


 顔を真っ赤にして涙目で訴える剖良に、真琴は困ったような表情をした。


 そして穏やかな表情を浮かべて口を開くと、



「剖良さん。まず、ちゃんと剖良さんの意思を確認せずにここまで連れてきてしまってごめんなさい。私はマッチングアプリはそういう前提で使ってきたので、今日もそれでいいと思ってました。……でも、剖良さんを傷つけてしまったのは私の責任です。どうかご無礼を許してください」


 一息に言って、深々と頭を下げた。


 その態度を見て少し気持ちを落ち着けられた剖良に、真琴は続けて言葉を投げかける。



「ただ、これだけは分かってください。私はマッチングアプリで色んな女性と会ってきましたけど、初対面でラブホテルに誘うのは本当に気持ちが通じ合った人だけです。適当な気持ちしか持てない人とは、絶対にそんなことできませんから」

「真琴さん……」


 つとめて冷静に話しつつも真琴の両目から涙がにじんでいたのを見て、剖良は自分こそ好意を持ってくれた相手を一方的に拒絶してしまったのではないかと感じた。



 一転して気まずいムードになってしまった2人は駅前で解散しようと京都河原町駅まで歩いた。


 駅前のロータリーまで来ると真琴はポケットからスマホを取り出した。



「剖良さん、今日は申し訳ないことをしてしまったけどゆっくり話せて楽しかったです。……良かったら、連絡先を交換して頂けませんか?」

「私こそひどい言い方をしてごめんなさい。連絡先、交換させてください」


 真琴はその言葉を聞いて再び笑顔を浮かべ、2人はメッセージアプリの連絡先を交換した。



 改札前での別れ際、真琴は剖良に最後に伝えたかったことを話した。


「剖良さん、私は今後あなたに自分から連絡するのはやめておきます。もし剖良さんが私にまた会いたいと思って、真剣に交際を考えて頂けるならその時は連絡してください。楽しみにしてますから」

「はい。……私も、自分自身を見つめ直してみます」


 剖良の言葉を聞くと真琴は笑顔で手を振って京阪本線の駅に向けて歩いていった。


 その背中を見送りながら、剖良は自分自身が2つの感情の狭間はざまで苦しんでいることを理解した。



 理子への思いは忘れて、新しい恋を見つけて落ち着きたい自分。


 どれだけ苦しんでどれだけ悲しもうとも、理子への思いを忘れずにいたい自分。



 今の自分を救ってくれる真琴という人に出会えたけれど、自分自身は本当は救われたいと思っていないのではないか。


 あまりにも複雑な自分自身の心境に直面して剖良はしばらく改札前に立ち尽くしていた。

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