155 気分はとても幸せ

 その2日後の日曜日、僕は再び壬生川さんとカラオケ店ジャッカルの皆月2号店に来ていた。


 先週の日曜日に彼女は僕をここに呼び出し2人きりの部屋で改めて交際を申し込もうとしていたらしいが、僕は無神経にもヤミ子先輩の話ばかりをしてしまって完全に彼女を怒らせた。


 壬生川さんはそれからはメッセージも返してくれなくなり、僕は今後の対応に苦慮しつつもそろそろ自分の感情に素直になってもいい頃だろうと悟った。



 金曜日に病理学教室から帰ってきた僕は事前の計画通り、しばらく既読無視され続けていた壬生川さんに対して「日曜日、ジャッカル皆月2号店で会いたいです。今回は本気でお願いします」と強い調子でメッセージを送った。


 彼女は短いメッセージで了解の意を伝えてくれて、先週と同じく朝10時には店内で待っていてくれた。



「おはよう、壬生川さん」


 つとめて明るく挨拶すると、今日は長髪を括って黒縁眼鏡をかけたケの日モードの壬生川さんは意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「おはよう。いいのよ? 無理に元気出さなくても」

「えっ?」


 コメントの意図が掴めないでいると、


「まあ、あんたの魂胆は大体分かってるから。部屋でゆっくり話しましょ」


 壬生川さんはそう言って先に階段を上がっていった。



 いつものライジングD最新機種が入っている部屋で、僕は壬生川さんにこの前のことを謝った。


「……という訳で、ヤミ子先輩には確かに憧れもあったけど恋愛感情とかそういうのじゃ全然ないから。大体僕は今でも先輩のことをよく分かってないし。それでも2人きりの時にヤミ子先輩の話ばっかりしたのは失礼だったと思う。本当にごめん」


 静かにそう言って頭を下げると壬生川さんはけらけらと笑って答えた。


「いいのいいの、もう全然気にしてないから。それよりあれでしょ? ヤミ子先輩が柳沢君と付き合ってるって知ってショック受けたんでしょ?」

「ショックって言うかは微妙だけど、何で知ってるの?」

「それぐらい2回生女子のネットワークで伝わってくるわよ。まあ憧れの人に恋人がいたって知ってショック受けるのは男も女も関係ないから、そこは全然責めないわ。それより……」


 彼女はそこまで言うと真剣な表情になって、



「それ以外に、何か言いたいことあるんでしょ?」


 と言って、ソファに腰かけたまま腕を組んだ。



 実際にこういう状況になると、意外と格好いい台詞は出ないもので……



「あの、僕でよければ、ぜひお付き合いしてください。お金はないし継ぐ家もないし何の研究者になるかも決まってないから、壬生川さんには不釣り合いだろうけど……」


 つい早口になったまま、僕は情けない調子で壬生川さんに交際を申し込んだ。



 彼女はその言葉を黙って聞き、しばらくすると口を開いた。



「……前にも言ったけど、松山にいた頃の私が憧れてたのは告白する時にそんなことを言う男じゃなかったの。あの頃の私だったら今のあんたみたいな男はお断りだったと思う。でもね」


 そのまま続けて彼女は満足そうに話す。



「あんたのそういう情けない所も、今は気に入ってる。だっていくら表向きの姿が変わったって、中身は全然変わってないもの。あんなにいい子のカナちゃんが本気で惚れて、先輩方にも何だかんだで頼りにされてるのがその証拠。だから告白するなら私の方。白神君、いや、塔也!」


 初めて僕を名前で呼ぶと壬生川さんは傍にあったマイクを手に取って電源を入れ、



「アイラヴユー、ベリーマッチ!!」


 何故か英語で叫び、室内に大音量が響き渡った。



 シュールな光景に沈黙していると壬生川さんは自分の振る舞いが今になって恥ずかしくなったらしく、慌ててカラオケ端末を操作して曲を予約した。


 2人きりの部屋で絶唱する壬生川さんを見て、彼女とは今日から恋人同士になるけれどお互いの関係にはあまり変化がなさそうだと感じた。


 それはそれで、というよりそれこそが恋人同士の幸せな関係なのかも知れない。



 今回は5時間パックを存分に楽しんでから店を出て、僕と壬生川さんは最寄りのバス停まで肩を並べて歩いた。


「えーと、こういう時は手をつなげばいいのかな?」

「そういうの古いわよ。恋人っていうのはね、そういうのじゃなくて……そうだ、あれよ。友達と遊ぶのより私と遊ぶのを優先してくれればいいわ。あんたの性格なら何だかんだで浮気はしないでしょうし」

「それでいいのかな? 何というか、もっと……」


 遠出してデートしたり誕生日には一緒に食事をしたりとかでは、と言おうとすると、



「……あんたね、今時ガツガツし過ぎるのもどうかと思うわよ。別に嫌って訳じゃないけど、そういうのはもう少しだけお預けね」


 壬生川さんはもうちょっと大人な想像をしたらしく、少し頬を赤らめて僕から顔を背けた。



 枚方行きのバスに乗る彼女を見送り下宿に戻ってベッドに寝転んでいると、壬生川さんからスマホにメッセージが届いていた。


 また何か大事な話かと思って画面を見ると、




>特に何もないけど送ってみた。どう?


 そこには情報量ゼロの文章が表示されていて、僕は素早く返事をする。




>嬉しいです。いつでも送ってきて


 愛媛県のゆるキャラのスタンプを添えてメッセージを送ると僕はまたベッドに寝転び、何とも言えない多幸感に包まれていた。




 僕の人生の物語は新たな局面を迎えつつあるらしい。



 (第二部へ続く)

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