16 私たちの思い出

 私、解川ときがわ剖良さくらが山井理子に出会ったのは人生初の浪人が決まった2週間後だった。



 8月の記述模試でC判定だった地元の国立大学の医学部にはセンター試験の国語の失敗が足を引っ張って不合格。


 両親は実家から通える医大にしか入学を認めてくれないから、後期日程で出願できる国公立大学は一つもなかった。



 県内唯一の私立医大には滑り止めで出願していて特待生扱いの成績で合格したけど、二次試験を受けに行った時にキャンパスの老朽化が目についたのと特待生の学費減免を加味しても卒業までの学費は3500万円ほどになってしまうことを考慮し、私は両親と相談した上で1年間は浪人してみることにした。



 国公立大学の合格発表の少し前に大手の予備校数社から浪人生コースの入学案内が来ていたので私は深く検討することもなく説明会を受けに行った。


 現役生の時は実家近くの大学受験塾に通っていたけどその塾は浪人生が通うことを想定していないので、浪人した場合は別の予備校に入ろうとあらかじめ決めていた。



 どこにいても落ち着かないようなふわふわした気持ちでバスに乗り、私は大きなビルを構えた春台しゅんだい予備校の校舎に入っていった。


 兵庫県神戸市には多くの大手予備校が校舎を設けていて、私が最初に春台の説明会を受けに行ったのは実家から校舎までバスで10分という立地の良さだけが理由だった。



 説明会はいくつかの高校の卒業生を集めて行われていて、私も母校である神戸こうべ昇学院しょうがくいん高校の同級生を何人か見かけた。


 対象となる高校には共学の所もあり、浪人生活開始直後とは思えないぐらい明るく喋っている男子生徒たちを見て私は男子がいる環境で授業を受けるのは何年ぶりだろうと思った。



 予備校には友達を作りに行く訳ではないからこの予備校に入るにしても必要最低限に付き合っていこうと考えて、広い講義室の一席に座った。


 周囲に無意識に壁を作りつつ、私は受付で渡された何種類ものパンフレットを読んでいた。



「すみません、ここの隣って空いてます?」


 斜め後ろから呼びかけられた声に、私は女子生徒なら何も問題ないと思って、



「ええ、どうぞ……」


 と答えて振り返った。




 運命の出会いっていうのは、いつ訪れるか分からないもので……



「ありがとう。お互い入塾するか分からないけど、その時はよろしくね」


 にっこりと微笑んだその女の子に、私は一瞬で恋に落ちた。




 説明会が始まるまでに軽く身の上話をして、女の子は山井理子という名前で同じ兵庫県の西宮市から春台神戸校に通うつもりだと知った。


 春台の校舎は西宮にもあるが、彼女が目指しているのは国立も私立も大阪府内の大学なので神戸校まで足を運ばないと志望校専用のコースを受講できないという事情があったと後で聞いた。



 母校は宝塚市にある私立の飛燕ひえん高校で、医学部を受験する生徒は少ないため医学部受験コースの対象者のみを集めたこの説明会では知り合いを見かけなかったらしい。


 私の隣に座ったのは単に同じぐらいの年齢で相手も一人孤独に座っていたからに過ぎなかったのだが、その時の私は声をかけてくれたのも運命だと感じていた。



 説明会は何事もなく終わり、一緒に帰りながら話している間に彼女はこの予備校に入塾するつもりだと言った。


 私は少し悩むふりをして、山井さんも入ることだし私もここに決めると答えた。



 記念にメッセージアプリのIDを交換してからバス停前で別れ、実家に帰った私は自室のベッドにもぐり込んで嬉しさに身をもだえた。



 4月から、山井さんと同じ予備校に通える。


 山井さんの隣で勉強できる。山井さんと一緒にお昼ご飯に行ける。


 もしかすると、山井さんと同じ大学に行けるかもしれない。




 いや、行けるかもしれないんじゃない。


 私が行けるようにするんだ。




 この日の決意が私の1年間の浪人生活の原動力となった。





 彼女と過ごした1年間の浪人生活は、私の人生で最も輝いていた時かもしれない。



 山井さんは単なる医師ではなく病理学の研究者を目指していて、志望校は基礎医学研究に強い旧帝国大学の浪速なにわ大学と研究医養成コースを設けている私立の畿内医科大学だった。


 親の病院を継ぎたいとか医者になって女の子にもてたいとかいう理由で医学部を目指している生徒も少なくない中で医学部入学後の目標を明確に持っている彼女はとてもかっこよく見えて、私はこの子と離れたくないと思った。



 山井さんは数学が苦手で浪人したので私は放課後の自習時間に得意な数学を教えてあげて、彼女はその代わりにセンター試験の国語の勉強法を教えてくれた。


 私は理科が物理・化学選択、彼女は化学・生物選択だったので理科と社会の講義では別の部屋だったけど、それ以外ではいつも隣同士に座って講義を受けていた。



 少し退屈な講義の時も、隣を見れば山井さんの綺麗な顔がある。


 延長講義で疲れた後も、山井さんと一緒にお昼ご飯を食べれば元気になれる。


 センター模試の国語の点数が中々伸びなくても、山井さんは理系科目の高得点を褒めてくれる。



 彼女には嬉しさと楽しさを貰ってばかりだった。





「私のあだ名、考えてくれたの?」


 合格を占う8月の模試が終わった夏期講習の最終日、私は山井さんにある提案をしていた。


 こんなに仲良くなったのに今も名字で呼び合うのは違和感があるから、私はあだ名で呼び合える関係になりたいと思っていた。



「うん。……山井さんは病理学の研究者を目指してるから、ヤミ子っていうあだ名はどう?」


 1か月ほど前から考えていたあだ名を、私は声が震えないように伝えた。



「ヤミ子? ああ、山井やまいと病気をかけてるんだね」

「あだ名に使う言葉じゃないかもしれないから、嫌だったらそう言って」


 私が少し目を伏せると彼女は私の肩に手を置いて、



「全然嫌じゃないよ! 私は病理医を目指すから、ぴったりのあだ名だと思う」


 と言って右手でサムズアップをした。



 その笑顔を見て、私は心が温かくなっていくのを感じた。



「それじゃ、私からも解川さんにあだ名を付けてあげる。ええと……」


 彼女は少し考えてから何かをひらめいた表情で、



「さっちゃん。そうだ、解川さんは今日からさっちゃん!」


 と、私のあだ名を決めてくれた。



「解川さんは剖良さくらっていう名前だったよね?」

「うん。覚えてくれててありがとう、ヤミ子」


 私はそう言って思わず彼女の手を握ってしまった。


 彼女は手を握り返して、私に、



「これからもよろしくね、さっちゃん」


 と言ってくれた。





 11月に大学別の記述模試が終わった頃、私はヤミ子が畿内医科大学の研究医養成コース入試に出願することを知った。


 ヤミ子はその時点で第一志望の浪速大学がC判定で、センター試験が上手くいけば受かる可能性も十分にあった。



 研究医養成コース入試には卒業までの学費の減免や卒業後に必ず基礎系教員になれるといった特典があるものの、合格すれば必ず入学しなければならないという規則もあった。


 つまり、ヤミ子が研究医養成コース入試に合格してしまえば、その時点で彼女は他の私立大学や国公立大学を受験しないことになる。



 私はヤミ子と同じ大学に出願して頑張ってすべて合格して、彼女が入学することになった大学を自分も選ぼうと決めていた。



 研究医養成コース入試の入学定員が4名だと知ったのはそれから少し後のことで、私はヤミ子と同じ大学に行けなくなるかもしれないと不安になった。


 私立大学でも畿内医大のこのコースなら卒業までの学費は1500万円ほどで済むし適当な言い訳で両親を納得させることもできる。



 ただ、私が出願するということはヤミ子が合格する可能性を少なからず削るということだ。



 国公立大学に入学できる可能性を放棄するというデメリットがあるためこの入試は受験生にあまり人気がない。


 それでも、たった4名の枠にヤミ子と私が入り込めるかどうかは不安で仕方がなかった。



 畿内医大の入試要綱を取り寄せて脳内で何度もシミュレーションを繰り返した結果、私は一般入試とセンター利用入試に出願することにした。


 ヤミ子が研究医養成コース入試で合格すればコースが違っても同じ大学に行くことができるし、万が一ヤミ子が不合格になったらその時はヤミ子と同じ国公立大学に出願すればいい。


 この場合は畿内医大に合格しても国公立大学を受験することになるけど、本番でわざと悪い点を取るのは簡単だからどうにでもなると思った。



 2017年度のセンター試験で私は総合得点率94%、ヤミ子は91%だった。


 これだけ取れていればセンター利用入試でも畿内医大に受かるので、私は自分がやるべきことはこの時点でほとんど終わったと思った。



 ヤミ子は事前の予定通りに畿内医大の研究医養成コース入試に出願して、私もセンター試験前に出願していたセンター利用入試に加えて前期と後期の一般入試に出願した。


 研究医養成コース入試といっても受ける筆記試験は一般入試と共通なので私は受験当日もヤミ子と会うことができた。



 合格発表の当日、私はかつて経験したことがないような動悸どうきに襲われつつ、自分の結果よりも先にヤミ子の合否を確認した。


 驚いたことに全部で4名の入学定員のうち一次試験の合格者は3名だけで、補欠合格候補者の発表もなかった。


 研究医養成コース入試は人気がないとは聞いていたけど定員割れする結果になるとは思わなかったので、私は拍子抜けしてしまった。



 それからヤミ子は二次試験の面接も小論文も無事に終わって、2017年の2月中旬には研究医養成コース生として畿内医大に入学することになった。


 私は一般入試で成績上位100名に入ったので畿内医大に入学する場合は入学費用が免除されることになった。



 今年こそ私が国立大学に合格することを期待する両親には内心申し訳なく思いつつ、私は残った入試ではすべて白紙答案を提出して自分を畿内医大に入学せざるを得ない状況に追い込んだ。




 そして一浪しても国公立大学に合格できなかった私に、両親は結果を意外に思っても娘を責めるようなことは一切しなかった。


 私はひどく傷付いたふりをして、大学受験はもう終わったから筆記試験の得点開示は請求しないと宣言した。


 白紙答案を提出したと知られれば流石の両親も不審に思うことは明らかだったからだ。




 3月9日に国公立大学の合格発表が終わった直後、私はヤミ子にメッセージを送り大学でも親友としてよろしくと伝えた。


 ヤミ子からは「さっちゃんが国立大学に受からなかったのは意外だけど、過ぎたことは忘れて大学生活をエンジョイしよう!」と返事を貰った。


 両親もヤミ子もしばらく傷心の私を気遣ってくれたが私自身はずっと天国のような気分だったので、後で考えると申し訳ないことばかりしていた。




 畿内医大に入学した後、あることを思い立った私は教務課に行って事務員さんに尋ねてみた。


 研究医養成コース入試は一次試験の段階で定員割れしていたので、もしかすると今からでも転入できるかもしれないと思ったのだ。



 結果は予想した通りで、4名の定員に対し3名しか入学しなかったので転入者を希望していると聞いた私は一旦検討してみますと言って募集要項を持ち帰った。



 それからは数か月かけて慎重に両親を説得し、私は1回生の9月から研究医養成コース生になることができた。


 これで卒業後も10年間はヤミ子と同じ大学に残れる。



 入学後もヤミ子とは親友のまま過ごせて、周囲の友達からは夫婦のように仲のいい二人組だとよく言われていた。





 研究医養成コースに移ってからしばらく経ち、私は12月の冬休み中にヤミ子を旅行に誘うことにした。


 予備校の頃から2年近く友達を続けてきて、そろそろヤミ子の気持ちを確かめてみたいと思っていた。



 お互いの実家や学内では難しいけど、2人きりで旅行に行っている間ならそれとなく思いを伝えて返事を聞くことができる。


 結果がどうなっても、知り合いが誰もいない所ならお互い傷が少なくて済むと思った。




 そんな矢先、私の耳に飛び込んできたのは。



 ヤミ子には、ずっと前から付き合っている彼氏がいるという噂だった。

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