キャラクターに「伸ばし」と「潰し」はあるか?

 伸ばしと潰しはアニメーションにおける動作の基本だ。

 ボールを壁に素早くぶつければ、その瞬間にボールは潰れる。


 キャラクターに存在感を出すのに手っ取り早い方法とは何か?

 リアクションを取らせることだ。


 キャラクターは外的環境の変化にリアクションを取っているか?

 そもそも環境の変化、力学的変化があるか確認するべきだ。


 もしコレがない場合、キャラクターは「固い」頑固な印象になる。

 そこに柔らかさは感じられない。


 変化がないというのは、死んでいるのと同じだ。


 無論、実際に死んでいる不死者のキャラクターならばそれで問題はない。あるいは固定化されたプログラムで動くロボットなら、やはりそれも問題はない。


 そういったキャラクターは、柔らかいボールをぶつけられる『壁』になる。

 キャラクターではなく、使い方としては『環境』なのだ。


 だが『生きているもの』には多少なりの変化が必要だ。


 恐怖、不安を感じれば縮こまる。

 喜びや驚きでは身体を広げる。


 しかしキャラクター自体の持つ、感情の大きさを超えてはならない。


 ボールを押しつぶしても、そのボールの本来の体積以上に広がらないだろう。そのキャラクターが持つイメージ、それを超えるような動きは、基本してはならないのだ。クールなイメージのキャラクターが、全身で喜びを表現することはごく稀だ。


 さて、ここで考えてみて欲しい。


 常に体を使って表現するような、ひょうきんなキャラクターがいる。

 もし彼が喜び前に、それをわずかにしか表現しなかったら?

 いったい彼の心の中で何が起きている?


 書きたいことはそのまま書かず、間接的に表現する。

 プロットをそのまま書かず、行動で表せというのは、そう言うことなのだ。


 もう少し詳しく書いてみよう。


 例えば、教師であれば、生徒の前で感情を示すことは少ない。


 しかし家族の前であればどうだろう?

 その感情は柔軟性を増すかもしれないし、家庭内が緊張状態、不和にあればより頑なになるかもしれない。友人の前では?教師になる前を知っていた相手に対してはどのように振る舞うだろう。


 この柔軟さが表現されていれば、非常に人間的に見える。

 しかしその感情の大きさ自体は変わらない。

 そこは見極めるべきだ。別人に見えては元も子もない。


 彼の反応から、見えるものから、彼をとりまく世界の形が、次第に浮き上がってくるはずだ。見回せば、きっとより大きな問題にも気づくことだろう。


 彼らの感情が、その形を変える要因は、自分以外、世界にある何かだ。

 だからキャラクターを書くだけでも、ほんのりと世界を、常識を見せられる。


 キャラクターの伸ばしと潰しはそういう意味だ。


 自分の書いたキャラクターを観察してみて欲しい。

 彼らは人によって、柔軟に対応しているか?もしそうでなければ、感情的な柔軟性が無い、ロボットのように固い印象を見せるはずだ。


 どんなに優しい人でも、理不尽な相手には怒りを覚える。


 どんなに怒り狂っている人でも、大事な人の前では取繕うそぶりをする。


 どんなに怠け癖がある者でも、人の命が関わると慣ればがむしゃらになる。


 君のキャラクターはどうだろう?

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