第15話

 ガラスの割れる音と、何かが破裂するような音が部屋に響いた。

 マキは顔に生暖かい何かが流れ落ちていることに気が付いた。覆いかぶさっている物を押し上げると、粘性のあるそれはさらに勢いよく流れ出す。

 五郎の左肩に大きな穴が開いていた。

 マキは自分の失態に気が付いた、組長の恰好をした男の死体に近づくのを反対側の建物から狙われていた事を理解し、身を屈めたままマキは五郎を寝かせる。

 マキは五郎の服を脱がせるとその服を破り傷口に詰める。

「いでぇええええっ!」

 五郎の悲鳴と体を押さえつけるとマキはその上から強く破いた布を巻き付けて縛った。

「弾は抜けてる、致命傷じゃない。

謝罪は後でいくらでもするわ、まだ動けるわね?」

「何とか……畜生、痛いんだな撃たれるのって!」

 苦渋に顔を歪ませながらも五郎はライフルを拾った。マキは左側廊下に走り出そうとするが、その鼻先を縦断が通り過ぎて行った。

 紙一重で銃弾を避けたマキ大理石の机を倒すと、五郎とともにその後ろに飛び込んだ。

「あれが榊原か」

 銃声とガラスが割れる音に二人は身を竦める。

「そういうこと。ライフルってあんなに早く打てるものなの?」

「ちらっと見えた、多分ドライゼ銃ってやつだ……俺のシャープスより早く撃てる」

 ドライゼ銃、普魯西のボルトアクションライフルであり、雷管を内包した紙薬きょうにより従来とは比べ物にならない連射性能を誇る。

 銃傷により動きがぎごちない左手を曲げて土台のように銃を乗せると、五郎は机から顔を出そうとしたが、そこに銃弾が撃ち込まれてしまい慌てて身を伏せた。

 大理石で目くらましが効いているとはいえこのままでは机ごとハチの巣にされてしまうだろう、そう判断したマキは五郎の肩を叩く。

「走るわ、援護して」

「無茶だ、奴の銃は俺より早いんだぞ。俺と君を同時に相手できるぐらい早い」

「信じてるってこと!」

 マキは机から飛び出した。

「滅茶言うなよ!」

 マキに狙いをつけていた細身の男、榊原に向けて五郎は素早く引き金を引いた。

 榊原の手前の窓が割れ、榊原は身を伏せた。

その間にマキは走り出す。

 立ち位置を数歩右に変えながら、痛みに震える左手で銃を支え、レバーを下ろし薬莢と雷管をセットする。このワンセットを五郎が終える頃には、先ほど五郎が隠れていた場所を榊原の射撃が机ごと通過していった。

 二人の激しい打ち合いは部屋の中に黒色火薬の煙を充満させる。視界が塞がった両者は窓際に近寄らざるを得なくなる。榊原と五郎は窓に駆け寄った、建物越しにお互いの姿をはっきりと捉えると、二人は引き金を引いた。

 銃弾はお互いをわずかに逸れ、後方の壁に穴をあける。間違いなく照準の調整は進んでいた、どちらも次の一発で必中の弾丸を放てると言う確信を持っていた。

 榊原はボルトを後方に回し、薬室に息を吹きかけて火薬のカスを飛ばすと紙薬きょうを装填し、ボルトを前に回した。五郎よりはるかに早い再装填である。

 窓の前で榊原は五郎を待った、これで彼が煙の中から身を乗り出した瞬間に当てることができる。その後にマキを仕留めればよいのである。

 五郎のスーツの黒い影が煙の中にぼやけて映った。

「終わりだ!」

 榊原は引き金を引いた。弾丸はスーツを食い破り、今度は心臓に穴を開ける。

 五郎が発砲しなかったことにより、室内の煙が晴れる。

そこに居たのは、五郎の服を着た椅子に座ったまま絶命した男であった。


 榊原が息を飲むのと同時に、彼の肩を弾丸が貫いた。


 衝撃に思考が止まった後、榊原は自身が倒れていることに気が付いた。腕の付け根を打たれたらしく、かろうじて右手が繋がっているような状況である。

 これではもう使い物にならんな、とどこか他人事のように考えながらふらりと立ち上がった榊原はドライゼ銃を拾い上げる。

 太ももで銃を挟むと、弾丸を再装填し、今度は左手で銃を構えた。

 アドレナリンのせいか、腕が落ちかけている状況にもかかわらず彼は痛みを感じていなかった。ただ、自身が人生をかけて作り上げたこの組を破壊しつくそうとしている侵略者たちを排除することだけを榊原は考えていた。

 扉を開ける音に目を向けると、そこには一人の女が立っていた。

 彼にとってはストレスの発散道具であり、便利な殺しの手段であり、自身の不都合な罪を背負わせる身代わりであった彼女が、たったそれだけの事で己の人生の全てを奪おうとしていることが榊原には理解できなかった。理不尽だとすら思っていた。

 声にならない叫びを挙げて、榊原は引き金を引いた。片手でライフルが上手く狙えるはずもなく、銃弾はマキを大きく逸れた場所に穴を開けた。

「これで、満足か?」

 榊原はライフルを地面に取り落とす。座ったまま、拗ねた子供の様に彼は項垂れていた。

「これが満ち足りたように見えるかしら」

 榊原は顔を挙げなかった。見なくても彼女がどんな顔をしているのか榊原には分っていた。彼女は苦しい時、いつもこんな声をしているのだ。

 10年の付き合いにより、榊原はある意味でマキの一番の理解者であった。

「嬉しくないのか」

「虚しいだけよ。

 ……もしかしたら、悲しいのかもね」

 榊原は「そうか」と短く頷いた。

「俺の人生を、誰かに認めさせたかったんだ。

 恐怖でも、痛みでもいい……俺がここにいることを、認めてほしかった」

 自分に向けた言葉だったのか、マキに向けた言葉だったのか、この言葉を発した榊原にもそれはわからなかった。

 マキは苦い顔で、しかし確かに頷いた。

「私の体が忘れないから安心しなさいな。

 さようなら」

 榊原の反応はなかった、彼は座ったまま絶命していた。

 彼の耳にマキの声が届いていたのかは定かではない。しかし、榊原の死に顔は穏やかだった。

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