第10話
駅の襲撃を撃退し、日も暮れた頃、難を逃れた二人は駅に隣接する街の宿に腰を下ろしていた。駅での抗争は瞬く間に大事件となり、汽車は運航を止め警察も押し寄せている。
城間組が居を構えている隣町まではそう遠くない、しかし徒歩で移動するには時間も体力も残っていない。マキは逸る気持ちを抑え、休息をとることを選択した。
一つの布団に2つの枕が置かれた部屋の前で二人は立ち尽くしていた。
「……何か勘違いされてないかしら」
「勘違い?」
「いや、何でもないわ」
目頭を押さえながら、マキは五郎が世間知らずであることに感謝した。
室内は非常に簡素な和室であり、ランプ、ちゃぶ台と向かい合わせになった腰掛以外には何も備え付けられていない。
各々荷物を地面におろすと、張りつめていた意識をマキは緩めた。
半ば自決のつもりで始めたこの旅は思わぬ助太刀により成功しかけている。城間組は武闘派で名高く、上役であるほど武功を挙げているような組であった。既にマキ達の手によって倒れている城島と岬は、多大なる戦功で幹部に昇格した城間組の代名詞のような存在である。
組は半壊状態だろう。四人の幹部のうち城島と岬は死に、いくら鉄砲玉を向かわせても消耗するだけの状況で最早榊原は引けないはずだ。組の全勢力をもってして二人を殺しに来るだろう。
宿に泊まったことがないのか、部屋の中をせわしなく観察する相棒がいなければ、あの薄汚れた酒場でマキは死んでいたはずなのだ。
部屋を見て回るのをやめたかと思えば、布団の分厚さを確認して「前の布団4枚分ぐらいあるな……」と、感心している五郎にマキは思わず笑う。
こんなに心安らぐ時間はマキとって初めてのことだった。
城間組は積極的に孤児を集めては殺しを叩き込む。逃げ出そうとした孤児は、同じ孤児の手によって殺すことが掟だった。マキが気を許せる相手など今までだれ一人いなかったのである。
マキの人生において、一番幸せな瞬間は今この瞬間だった。
マキは五郎にお礼を言おうとして、何を言えばいいのか解らず口をつぐんだ。一瞬でもこの安寧をくれたことへの感謝を言葉で済ませてしまうのは、あまりにも釣り合いが取れていないようにマキは感じていた。
そして、生き残れるかもしれないという希望が彼女の未来に差し始めた今、マキは初めて未来のことを考えた。彼が世間を知らない間は自分に付いてきてくれるだろう、だがこの先はどうだ、戦う事しか知らない自分に彼が付き従う理由はないのではないか。
ならば理由を作るしかない、彼女は不安と焦燥感に突き動かされていた。
俄かに表れた安らぎを繋ぎ止めるべく、マキは自信が最も手慣れた「奉仕」を行おうと考えた。
布団の弾力を確かめるべく布団に手を沈めている五郎の体を布団に押し倒すと、馬乗りになり、着物の帯を解いた。
「うわっ、何を……」
突然の行動に驚いている五郎に密着すると、マキは五郎の口を接吻で塞ごうとした。
彼女は言葉のやり取りを拒みたかった、五郎の返事が自分の思いとすれ違うのを恐れたのかもしれなかった。
しかし、接吻が五郎の口を塞ぐことはなかった。
「駄目だ」
五郎の手のひらが、お互いの唇を塞いでいた。五郎はマキの体にもう片方の手を回すと、マキの体をひっくり返した。五郎がマキに覆いかぶさる状況が生まれる。
「この体じゃ、不満かしら」
ランプの明かりにマキの体が照らされる。彼女の体には夥しい数の火傷、切り傷、ケロイド状の傷跡が残っていた。
「なんだこれは……」
「榊原は嗜虐趣味でね、これも仕事だったの。
気が付いたらこんなになっちゃった」
その肌触りが平面になる部位は残っていないのでないかと思うほどの裸体に、五郎は目を伏せる。
「床の知識はないのかと思った」
「隣の部屋のやつが良く女を買ってたから。俺に君を抱けってのか」
「だって、私があなたに返せるものなんてないもの」
「一緒に居てくれればいい、言ったろ、君に惚れたって」
今度は五郎がマキに顔を近づける。
「え、ちょっと、結局するの!?」
混乱しつつも、マキは目をぎゅっと閉じて唇を突き出した。
そんなマキを無視して枕の下に手を突っ込んだ五郎は、そこから取り出したコルト・ポケットを扉に向ける。
扉のドアがほんの少し開いていた。
ドアが勢いよく開かれ、ドスを握った男が飛び込んでくる。男はすでに銃を構えていた五郎に目を見開く。
乾いた発砲音とともに、男は地面に崩れ落ちた。
「俺の故郷の奴らと暮らせば、夜の足音に嫌でも敏感になる」
五郎はちゃぶ台の上に置きっぱなしだった散弾銃を掴むと銃を折り、銃身にシェルを詰め込んだ。
夜襲に失敗したとみるや複数人の男たちが雪崩れ込んでくる。彼らに向かって五郎は引き金を引いた。入口に向かって飛翔した散弾の膜は、男達をまとめて殴りつける。
崩れ落ちた男達に、五郎は止めと言わんばかりにもう一度引き金を引いた。
これ以上追手が来ないことを確認すると、五郎はマキの傍に身を屈めた。
「あの地獄から君が連れ出してくれたんだ。
その後の事は消化試合だ、生きるも死ぬも君に預ける」
マキは五郎のことをそっと抱き寄せる。驚いた五郎が動こうとするのを彼女は抱きしめて止めた。人のぬくもりを感じて嫌悪感を抱かなかったのは一体いつぶりなのか、マキにはわからなかった。
「……人といて、気が休まることなんて初めてだったから。弱くなっちゃったみたい。
最後まで一緒に居て。それと、もう少しそのままでいさせて」
どぎまぎしながら頷いた五郎は、顔を赤くしながらもマキの体に手を回す。
しばらくして、もう辛抱できないといった様に五郎が音を上げる。
「そろそろいいんじゃないか……?」
「駄目よ、もう少し我慢して」
「俺が耐えられないんだって!」
二人の奇妙な抱擁は、五郎が茹で上がるまで続いた。
「ありがと」
暫くして五郎の胸から顔を話したマキは、いつもの快活な様子を取り戻していた。
「しかし参ったわね。場所が割れてるってことは囲まれてるんじゃないの?」
服装を直しながら窓枠に身を寄せ、半身で外を覗き込んだマキは顔を険しくする。彼女の予想通り、宿は武装した複数の男たちに包囲されていた。
彼女の切り替えの早さに面喰いながら、五郎は部屋の外の様子をうかがう。新たな襲撃者の気配はいまだ感じず、宿泊客たちの悲鳴と騒めきが広がっているのみであるが、襲撃が失敗したとなると新たな手を打ってくるだろう。
「どうする?」
五郎の問いに、マキはにやりと笑った。
「包囲を破る古典的な方法があるでしょ」
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