『石田京介という男③』

美香子が死んで、一年経った今でもまだ立ち直れていない自分がいた。いや、もう立ち直れないかもしれない。それほどまでに大切な存在になっていたのだ。



だってあまりにも呆気が無さすぎるからだ。目の前で息を引き取ったわけじゃない。別れの言葉を言った訳でもない。でも、とても悲しくて辛かった。どれだけ願ってももう会えないという現実を突きつけられたような感じだった。



何で。どうして。そんな言葉ばかり頭に浮かんでくる。

この気持ちは一生消えることは無いだろう。そう思うとまた苦しくなる。だから仕事を沢山して忘れた。



仕事だけは美香子を忘れさせてくれるから。だから沢山仕事をした。向き合うべき問題にも目を背けていた。娘であるカナを放置していた。



本来なら親がすべきことを全て他人に任せてしまっていた。それは良くないことだとは分かっているけどもどうしても出来なかった。

自分のことで精一杯なのだ。自分だけの問題ではないのに。



カナだって辛いはずなのに。当時の自分は自分のことを考えるだけでいっぱいだった。それに気付いてはいた。気付いていたけど、どうしようもなかったんだ。



そんなある日のこと。今日は久しぶりに家に帰った。帰った理由なんて特にない。部下から心配され、流石に帰らざるを得ず会社を出ただけだった。



「……お父様――」



家の扉を開けるなり聞こえてきた声。その声の主はすぐに分かった。カナだ。娘の声を聞くのは何日ぶりだろうか。それすら覚えていなかった。



「……お父様、遊んで?」



服の裾を掴み、潤んだ瞳で言うその姿は美香子そっくりだった。それが憎たらしくて。そして怖くて。思わず手を振り払ってしまった。



「俺は忙しい。用ならあっち、使用人か透くんにしろ」



透というのは美香子が死んだ後ぐらいから石田家に来るようになった従兄妹だ。歳はカナの七歳年上だが、仲はよく特にカナのことを可愛がってくれているらしいし。



だから、逃げた。これ以上一緒に居たらダメだと分かってしまったから。最低だと罵られてもしょうがないとさえ思っている。



でも、それでもいい。嫌われても構わない。だけどこいつには幸せになって欲しいと思っている。自分みたいにならないように。自分みたいなクズ人間になるんじゃなくて、優しい人に育って欲しいと思う。だからこそ突き放すことにした。




△▼△▼



あれから十二年が経ち、カナも高校生になった。会社は安泰だし、生活にも困っていない。カナは京介のことを嫌い、拒絶している。



あんな酷い仕打ちをしたんだ。当然と言えば当然の結果だし、別にそれがショックというわけでもない。寧ろ、これでショックを受けていたらおかしい話だと思う。



ただ一つ気がかりなのは、あの時のカナの目だ。まるで何かに取り憑かれたかのように濁っていた目をしていたし、以前より明らかに透に依存している。それでは駄目だ……と思っていたとき――。



「お、お願いだ!石田様!あいつ……うちの息子をやる!あいつは要領が良く、頭も良い!だから頼む!」


 

今まで"投資"していた会社と関係を切ろうと思い、連絡を入れたところそんなことを言われた。ここの会社はもう未来がなく、正直メリットがないし、断ったとしても痛くはないのだが……。



「…………わかった」



何故か条件を飲んでいた。何で受け入れたのか。自分でも分からない。でも、受け入れてしまったのだ。



△▼△▼



それから数日後。あの男の家へと行った。そこで見たものは……



「………酷い荒れ具合だな……」



ゴミ屋敷一歩手前の家だった。これじゃあ掃除するだけでも一苦労だろうし、誰も掃除していないように見えた。



「……人を連れて来なかったのは正解かもしれないな……」



そんな独り言を呟き、玄関を開けようとすると――。



「あ、あの……?どちらさまですか?」



背後から男の子の声が聞こえてきた。振り返るとそこには高校生くらいの少年がいた。



「君が篠宮光輝くんかい?」



そう聞くと彼は驚いたような顔をして言った。



「はい。そうですけど」



「そうか。なら、話が早い。来たまえ」



「えっ!?ちょ!まっ!」



多少強引なのは承知の上だが、有無を言わさず彼を連れ出して、車に乗せた。側から見たら誘拐犯にしか見えない光景であるのは自覚しているものの、こうするのが一番良いと思ったのである。

そしてそのまま――。



「ここが私の家だよ。まぁ、君の家でもあるんだけどね」



「な、何を言って……」



「君は今日からここで暮らすんだよ」



「は……?どういうことですか」



急にそんなことを言われても、はいそうですかと言えるはずがない。その気持ちは分かる。



「僕を一体どうしようと……!」



「お前を娘の専属執事にする。幸い、お前と娘は一個下だ。問題ないだろう」



「は!?」



困惑したように声を上げる光輝。その反応はしょうがないが、これは決定事項である。



「ちょっと待ってください!何で僕が貴方の娘さんの執事に……」



「……篠宮光輝くん、君は売られたんだよ。借金のためにね」



それは事実だった。"投資"をする代わりに、この子を貰う約束になっていたからだ。勿論、了承済みであり、契約書もある。



「困惑するのも無理もない。だが、事実だ。君は売られた。そして、私が買い取った」



「そ、そんな……」



「安心しなさい。君に任せる仕事はそんなに難しいものではないし。そしてここで思いっきり勉強をしたらいい。学費は全てこちらが持つから心配はいらないよ」 



「え……?それってつまり……」



「あぁ。君はもう働かなくていい。今まで苦労してきたんだろう。これからは好きなように生きなさい。その代わり、娘のことを頼むよ」



「ど、どうして……そこまでしてくれるんですか?僕なんかを買って貴方に何のメリットがあるんですか?」



そんな疑問の声を上げながら、泣きそうな顔になっている篠宮光輝。そんな彼の顔が娘と重なって見えた気がしたが、気のせいだろうと自分に言い聞かせた。



「……そうだな。私は君に可能性を感じた。ただそれだけさ」



「か、可能性?」



「そうだ。光輝くんには可能性を感じる。だから、投資しようと思った。将来うちの会社に利益をもたらしてくれるかもしれない。だから、今のうちに助けておくべきだと考えたんだ」 



「はぁ……」



納得いってないような、そんな感じだった。実際、本人からしたらそうだろう。いきなりこんなことを言われて、はい分かりました。なんて言えるはずが無い。



でも、それでも。



「どっちにしろ君に選択権は無いよ。私は君を買った。だから、拒否権はない。分かるよね?」 



そんな酷い脅し文句を言うしか無かった。

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