七話 『好きな人へ』
石田カナは胸が小さい。それはもう断崖絶壁のようにぺったんこだ。
中学生まではまだマシだったが、高校生になってからというのも、それが顕著に現れた。
だから、なのだろうか。透が自分に振り向いてくれないのも、女性として見てもらえないのだろうか?
だとしたら……悲しい。どうしようもなく悲しく、辛い。
自分の体を見てため息をつく。そして、ふと窓の外を見た時、 その光景を目にした瞬間、心臓が止まるのではないかと思うほど驚き、鼓動が早くなるのを感じた。
透と茜が一緒に歩いている
「何で……?」
言葉が上手く出てこない。頭が混乱している。どうして二人が一緒なのか。しかも仲良さそうに話をしていて、距離感は近く、まるで付き合っているカップルのようだった。
「嘘……でしょ……?」
震える声で呟いた。信じられない。信じたくもない。これは夢だと思いたかった。
だって透とカナは今から二人っきりで会う約束をしているのだ。なのに……なのに……!
「なんで……?先生が……!私のこと何処まで邪魔するの!?」
悔しさと悲しみが入り混じった声が響く。
胸が張り裂けそうな痛みを感じ、カナはその場で泣き崩れた。透も透で酷い男である。
今から透が家にやって来る。それを思うと、泣きはらした目は腫れていて、こんな顔は見せられないと思い、慌てて部屋に戻り、カナはアイマスクをしてベッドの中に潜り込んだ。
すると程なくして。
「お嬢様、透様がご到着なされました」
光輝がそう言って部屋に入って来た。光を困らせるわけにもいかず、すぐに目の周りを冷やし、涙の跡を隠しながら、
「今行く。……お兄ちゃんだけ?先生は?」
平静を装いながら言った。本当は聞きたいことが山程ある。
だが、聞いてしまったら今までの関係が崩れてしまうかもしれない。そう考えると怖くて聞けないのだ。
そんなカナの心情を知ってか知らずか、光輝はいつも通りの口調で答えてくれた。
「ああ、あの女性のお方ですか?あの人なら旦那様に用事があるとかで呼ばれてましたね」
「え?お父様……?」
カナの父親に呼ばれたことと言えばカナのことだろうか。どっちにしろ、茜は居ないということだ。
「…お嬢様大丈夫ですか?体調が優れないようでしたら今日は休んでもらって構いませんよ?」
「ううん、別に大丈夫だよ。それに……」
それに、透に会いたくないわけがない。むしろ会いたいとすら思っている。
だけど、今の自分を見せたくない。きっと、みっともない姿を見せることになる。
でも、会いたい。そんな矛盾した気持ちを抱えて、カナは透を出迎えに行くのであった。
△▼△▼
久しぶりに会う彼は少し疲れているように見えた。多分、学校で色々とあったのだろう。そう思いながら、カナは透を部屋に案内して座布団の上に座るように促す。
「うん、ありがとう。カナの部屋に入るの久しぶりだな感覚がするよ、変だよね。あれから二週間しか経ってないはずなのにさ」
「……そうね!お兄ちゃんは茜先生のことで頭いっぱいだったもんね!」
わざとらしく怒ったような表情を作って言う。こうすれば彼の気を引くことができると思ったからだ。
こう言うと、透は苦笑いをしながらもカナの頭を撫でてくれる。はぐらかされてる感じもするし、実際には気に入らない。
しかし、カナはその頭を撫でてもらえるだけで嬉しかったりする。
だが、この日に限って彼は乗ってこなかった。ただ、苦笑いを浮かべるだけで何も言わなかった。
それが面白くなくて、いつも思っていたことが……
「私はお兄ちゃんのこと好きだよ。大好き。婚約者だなんて嫌よ、お兄ちゃんと一緒になりたいのに……。だから……だから私を見てよぉ……お願い…茜先生は今見るのも考えるのも辞めて」
爆発してしまった。我慢していた感情が一気に溢れ出したのだ。
その言葉を聞いて、透は驚いたように目を丸くしていたが、やがて悲しげな顔をした。そして、ゆっくりと口を開くのを遮ってカナが言葉を紡ぐ。
「お願い。キス、して」
この言葉の意味が分からないほど透は鈍感ではない。
透は困惑し、躊躇っていたが、カナはじっと透を見つめて返事を待つ。
「駄目だよ、カナ……そんな形だけのことは俺はできない」
「どうして?だって私婚約者とキスするかもしれないのよ!顔も知らない婚約者と!そんなの耐えられない!なら、せめて……!お兄ちゃんとの思い出が欲しいの!私のファーストキスあげるから……だから、ね?お兄ちゃん……?」
泣きながら懇願するカナを見て、透は決心したのか、真剣な眼差しでカナを見る。
その視線に射抜かれたカナは恥ずかしく、赤面したが――。
「駄目だ。カナの初めては……俺じゃ駄目だ」
「駄目なんかじゃない!お兄ちゃんがいいの!私が好きなのはお兄ちゃんだけなんだから!他の誰でもない!お兄ちゃんだけが好き!」
カナの必死の言葉を聞き、透は俯きながら、絞り出すような声で告げた。
「それでも、やっぱり駄目だ。カナの気持ちには応えられない。ごめん」
「何で……?どうして!?」
「カナが大切だからだよ」
「だったら、キスくらいしてくれてもいいじゃん……!顔もわからない婚約者に私のファーストキス奪われるんだよ!?そんなの絶対に嫌!」
カナの目からは涙が流れ落ちていた。それは悲しみからくるものなのか怒りからくるものなのかはカナ自身にもわからなかった。
すると透は、突然立ち上がってカナを抱きしめてきたのだ。これには流石に驚くしかなかった。驚きすぎて涙は止まっていた。
「ごめん、ごめんな。でも、本当に……ごめん」
透は謝り続けた。抱きつかれるのは何年振りだろうか?昔はよくこうしてくれた気がする。
今も昔も安心感がある。だが、今はそれどころではなかった。
今、自分は何をされている?これはどういう状況? 頭が混乱している中、透の匂いと体温を感じる。
とても心地よくて、ずっとこのままでいたいとすら思ってしまう。
だが、そうもいかない。
何とか声を振り絞って言った。
「だめぇ……キス、キスしてよぉ……私これ以上の我儘言わないから!キスしてくれたら許してあげる!だからぁ……お兄ちゃぁん……」
最後の方はもう呂律が回っていなかった。意識を保つのがやっとだったのだ。
そんな時、透が耳元で囁いた。
「カナ……愛してるよ」
瞬間、カナは意識を失った。
△▼△▼
「本当、ごめんな、期待に応えてやれなくて」
そう言いながら透はカナをベットに寝かせながらカナを見ながらため息を吐く。
「全く、困った子だよ……」
自分のことを好きでいてくれるのは勿論嬉しいことだし、素直に喜ばしいことだ。
しかし、自分がカナに対して抱いている感情は恋愛感情ではなく、家族に対する愛情だ。
妹のように可愛がってきたつもりだ。しかし、それはあくまで『つもり』だったようだ。
あの時のカナの顔を思い出す。あれは完全に恋する乙女の表情だった。
あんな顔をされたらどうすればいいのか分からなくなる。
だから、つい誤魔化してしまった。だが、それも結局は自分のエゴに過ぎない。
「カナは可愛いんだからもっと良い男に出会えるはずだ。こんな冴えない俺より全然カッコイイ奴とか優しい人とかいっぱいいるのに」
それに、先程の行動は軽率だった。
カナを泣かせた。カナを傷つけてしまった。本当は抱きしめるんじゃなくて突き放すのが正解だった。
優しくするのはカナのためにならない。
だから厳しくし、嫌われるつもりだった。なのに、出来なかった。
「あー……情けねぇな、俺」
透は深い溜息をつくと、部屋の扉がノックされる音が聞こえた。
「透くん、カナちゃん、茜よ。入っても大丈夫かしら?」
「えっと……はい、どうぞ」
透が返事をすると、茜は部屋に入ってきた。
「あら、カナちゃんは寝てるのね……ふふっ、可愛いわね」
「はい、さっきまで起きてましたけど」
「そうなの?残念だわ……。それで、何の話をしていたの?」
美しい笑みを向けてくる茜に、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。やっぱり好きだと思うと余計に緊張してしまう。
透は深呼吸をして心を落ち着かせると、口を開いた。
『茜先生のことが好きなんでしょ?』カナの言葉を思い出し、心が締め付けられるように痛くなった。
やはりカナは勘が鋭いと思う。
だからこそ、辛い。気持ちを伝えようにも、伝えられない。そんな自分がもどかしかった。出来ることなら今ここで茜のことを奪ってしまいたい。でも、そんなことは出来ない。
そんな葛藤をしていると、
「私には言いづらいこと?なら、無理に言わなくてもいいのよ?ただ、何か悩んでいるなら相談に乗るし、話せば楽になることだってあるかもしれないでしょう?」
その言葉を聞いても心は軽くならない。むしろどんどん重くなっていく一方だ。だから適当にお礼の言葉を言った。
「ありがとう……茜さん……でも…俺は……」
「駄目っ!」
不意に、カナの声が響き渡った。
透は驚きながらもカナの方を見ると、カナは勢いよく身体を起こして、
「茜先生!駄目!絶対駄目!」
「ど、どうしたのカナちゃん……?急に大声出して……?」
茜の言葉を無視してカナは立ち上がり、透の手を掴むと、
「負けませんからね!私!絶対に!」
「ええ……?何のこと?というか何に勝つの?ねえ?カナちゃん?ちょっと、聞いてる!?」
「聞いてます!私、負けませんから!お兄ちゃん借りていきます!私、負けませんから!」
同じことを2回言いながらカナは透の手を引っ張り、部屋から出ていった。
訳がわからず呆然としていた茜だったが、ハッと我に返ると慌てて追いかけようとした――が、
「すみません。茜様。お嬢様の命令なので、申し訳ありませんが今日のところは諦めてください」
いつの間にか、カナの専属執事である光輝が立っていた。その目は複雑、哀愁、様々な感情が入り混じっているように見えた。
だが、それは一瞬のことだった為、見間違いかと思ったが、光の顔を見たら何も言えなかった。
「そう……わ、分かったわ。」
「……申し訳ございません。茜様」
そんな後ろのやり取りに申し訳さを覚えつつもカナと透は廊下を歩いていた。
その間、お互いに無言のまま歩き続けていてとてもじゃないが、声を掛けられない。
声を掛けてしまったら何となくだが終わりのような気がしてならなかった。
そのまま暫く歩いていると、突然、カナが足を止めたので、透も足を止めた。
「ど、どうしたんだい?カナ。言いたいことがあるのなら聞くよ。何でも言ってみなよ」
「お兄ちゃん……」
カナは振り返って透の目を見つめる。その目からは強い意志のようなものを感じられた。
「そんなこと言ったら暴走するよ?てゆうか、もうしてるけども。でもね、もう止まらないんだよ。私の想いはもう止められないの。だから、覚悟しといてよね。私は本気なんだから」
それは恋する乙女というより、獲物を狙う獣の目をしているようだったが、同時に――、
「ねぇ、私お兄ちゃんのことが――」
駄目だ、と声を大にして言いたかった。だって、カナがそれを言ったらもう後戻りが効かない。透はカナのことを傷つけてしまう。それが怖かった。
だが、遅かった。
「大好きだよお兄ちゃんのこと。お兄ちゃんの髪も瞳も鼻も唇も耳も首も腕も手も指も胸も背中も腰も脚も足も爪先も心臓も脳も全部、ぜーんぶ愛しているよ」
「……一つ一つ言う必要あったか…?」
カナの告白を聞いた瞬間、透は恐怖を感じた。
カナが自分に対して抱いている気持ちは知っていたが、ここまでとは思わなかったのだ。
ここまでくると、傷つける傷つけない云々より、純粋に怖い。だが、答えはもう決まっている。
「ごめんな。俺はカナのことを妹のようにしか見られない。恋愛対象として見ることは出来ない」
だから、ハッキリと伝える。カナが勘違いしないように。
しかし、カナは諦めない。カナは透に詰め寄ると、透の頬を両手で包み込むように触れて顔を近づけた。
「何を……?」
「先の続き。さっきは出来なかったけど今する。さあ、お兄ちゃん。目を閉じて……」
「……っ」
もう駄目だ。耐えきれない。これ以上は限界だ。
透はカナの手を振り払うと、その場から走り出した。
後ろからカナの声が聞こえたが、立ち止まることはしなかった。だって――、
「立ち止まったら……最低な男になるような……気がするから」
もうこの時点で最低な男なんだけども、と思いながら透はこの場から逃げ出したのだった。
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