第3話 母side
〈ラファエル〉襲撃から二日。
怪我の治療や報告書を提出して、帰宅した家は嫌に冷たく感じた。
ふらふら、とソファに座る。
何もする気が起きない。普段なら子どもたちのために夕飯を作っているが、起き上がる気力が沸いてこなかった。
『捨てただろ。暗い趣味を持つ息子じゃなくて、明るくて社交性に富んだ息子のほうが近所にも自慢できるんだろ』
目を閉じてしまえば、憎しみが籠った声が再生される。
違う顔で、違う眼で、こちらを見る彼の姿は怒りを感じた。
恵亮は小さい頃は明るくて、友達もいっぱいいて、妹に優しいどこにでもいる子どもだった。外で遊んで、ごはんを沢山食べて、いっぱい寝る。普通の子どもだった。
しかし、学校に馴染めずイジメを受けるようになると性格は暗くなり、部屋に閉じこもるようになった。何度も外へ出るように促したが効果はなく、余計にアニメや漫画にのめりこむようになった。
私は、それに顔をしかめた。近所で他の子がスポーツで活躍した話を聞いたり、テストでいい点数を取ったりする話を聞く度、どうしてウチの子はと考えるようになった。
『退魔師になりたいんだ』
だからだろう、あの子が突然そんなことを言った時は驚いたし疑った。何がきっかけだったかは分からず混乱もした。
でも、嬉しかった。ようやく恵亮が普通の子になったのだと安堵した。
ほんと、なんて愚かだったのだろう。
『立派な息子を持てて幸せよ』
あの子の告白を聞いて、安心させたくて言った言葉。
無責任で、考えなしで、理解していなかった。
その言葉が、あの子を変えてしまったのだと遅まきに気づく。
「恵亮……」
スマホを取り出して、写真を眺める。
幼い頃のあの子の写真が沢山あった。
花見をする姿、海で泳ぐ姿、焼き芋を食べる姿、雪だるまを作る姿。
かけがえのない思い出が、色あせてしまっているように思えてしまう。
ふと、フォルダの中に一本の動画があった。再生ボタンを押すと、暫く固そうな地面が映り、そして画面が上がる。
そこにいたのは、私だった。幸せそうに、腕に赤ん坊を抱いて微笑んでいる。
『もう、慌てすぎよ。恵亮が起きちゃうじゃない』
『す、スマン……緊張して』
それは、恵亮が産まれてすぐのものだった。
機械の操作が苦手なあの人が慣れない手で撮影していた。
『おぉ、小さいな……そして、可愛い』
『でも、3000g超えていたから他の子より大きいわよ。可愛いのは同意だけど』
微笑みながら恵亮を見る私。背中をトントンと優しく叩き、微かに揺れる。
『見て、鼻と耳の形あなたそっくりよ』
『口と目は香織似だな』
温かくて、幸せな光景はまるで遥か彼方の世界のようだった。
『将来は、立派な退魔師になるな!』
あの人が少し大きな声で言うから、驚いた恵亮がぐずってしまった。あの人を叱りながら、私は恵亮をあやす。ぐずった恵亮は安心したかのように再び眠りについた。
眠った恵亮を愛おしく見ながら、私は口を開く。
『別に、退魔師にならなくてもいいのよ。健康で、元気に育ってくれれば、そんなの些細のことよ』
――あぁ
――――あぁ
――――――あぁ
「あああああああああああああ!!」
どうして、どうして、どうして!
どうして私は、そんなことも忘れてしまったの!
退魔師になんてならなくても良かった。アニメや漫画にのめり込んでも良かった。
ただ、健やかにいてくれれば、それだけ良かったはずなのに。
「……ごめんなさい」
ごめんなさい。ごめんなさい、恵亮。
私が間違っていた。最初から間違っていた。
『作家を夢見て、小説を書くために昔から小説の時勢を分析していた君らしくない発言だね』
私は、恵亮の夢を聞いたことがあっただろうか。
あの子が本当になりたいと思っていたものについて聞いたことがあっただろうか。
悪魔のほうが恵亮について知っている。その事実に、心が押しつぶされそうだった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
謝罪を何度も繰り返す。だけど、もうあの子は戻ってこない。
『違わないだろ。いい加減認めろよ。アンタが腹痛めて産んで、育てた息子はもういない。アンタたちが捨てたんだ』
私が、捨ててしまった。大事だった、大切だった、愛おしい存在は、もういない。
涙が溢れる。後悔が募る。
「か、母さん……大丈夫?」
リビングに聞き馴染みの声が響く。俯かせた顔を上げると、涙でぼやける視界に映るのは愛おしいはずの顔。
――違う
――この子は、私の子どもじゃない
「……して」
「え……?」
「私の、子どもを返してよ」
彼の腕を掴み、懇願する。
驚いて、表情が固まる『恵亮』に言い募る。
「ねぇ、お願い。恵亮を返して! 私の子ども返してよ!!」
自然と力が籠り、声が大きくなっていく。
だが、私は自分の変化など気づくことはなかった。
「香織!? 落ち着け!」
『恵亮』に言い迫る私を後ろから優しく止める夫の声。いつの間にか帰ってきていたようだけど、私はそれすら気づくことはない。
何度も、何度も、私は『恵亮』に言った。
返して。私の子どもを返して。恵亮に戻して。
言葉が返ってくることもなく、ただ私の声は虚しくリビングに飛び散って消える。
夫に止められ、とうとう力が抜けた私はその場に座り込む。
「ごめん、ごめんね、恵亮。ごめんなさい、こんな母親でごめんなさい」
何度も、何度も、何度も。
謝罪の言葉を口にする。
もう、あの子に私の声は届かない。
もう、あの子が家に帰ってくることはない。
迂闊だった私の言葉が、私のバカな行動のせいで、私は大切な息子を失った。
今更、後悔しても――もう、遅い。
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