第六話:セーラー服と5・56mm機関銃

「何処行きやがった!?」


 新宿の狭い廃墟の一角に、男の怒号と、機関銃の五月雨さみだれこだまする。銃口から我先にと飛び出して行った弾丸が、数十メートル先の灰色の壁を抉り取って、数え切れないほどの穴を開けた。

『5・56mm機関銃』。

 1分間に700〜1000発撃てる、小型の軽機関銃マシンガンである。右手に軽機関銃、左手には琥珀色の酒瓶。


「へへ……」


 獲物を探し目を血走らせながら、男は下唇を舐めた。獲物の名前は確か宇喜多舞……ジャパニーズ・ソードを持った若い女子だ。


「出てこい! ぶっ殺してやらぁ!」


 天井に向けて機関銃を乱射しながら、薄汚れた男が吠えた。

 数週間は剃っていないだろうと思われる伸びきった汚髭。酒と油でカサカサになった、所々穴の空いた服。だらしなく半開きになった口元からは、飲み切れなかったアルコールが、涎と一緒にダダ漏れている。彼の名はランダレル=キャンディマン。


 ランダレル=キャンディマン。48歳。

 立ち上げたプログラム事業に失敗し、妻子に逃げられ、気がつけば多額の借金と酒乱癖だけを人生に残してしまったような男。挙句彼は酒を飲んだまま寒空の路上で寝込み、そのまま心不全で帰らぬ人となってしまった。しかし彼は今、自分が最も輝かしい瞬間にいる、と本気でそう思っていた。


 死んだ後、見知らぬ死神から、WWWに誘われたのだ。


 人は死んだら天国に行くんじゃなかったのか? 

 死後の世界のことは良く分からないが……WWW? 

 冥土に行く前の、生き返るラストチャンス? 

 さらにどんな願いでも一つだけ叶えてくれると言う……最後まで話を聞いて、キャンディマンは舌なめずりした。


 願ったり叶ったりだった。

 暴れ足りないと思っていたのだ。何もかも壊してしまいたい。俺に苦痛を与え、拒絶した世界を、俺は壊す権利がある。俺だけ死んで、他の奴らは今までと変わらず平穏無事じゃあ、いくら何でも不公平じゃないか。自暴自棄になった彼は、そう思っていた。そんな彼が死神から受け取った武器が、『5・56mm機関銃』、通称MINIMIである。


「ギャハハハハハ!!」


 これぞ天からの授かりものだ。

 これさえあれば、俺の人生一発逆転間違いなし。彼はそう信じていた。最凶の武器である。複雑な操作も、熟練した技術もいらない。引き金を引くだけで、いとも容易く命を刈り取ることができる武器。総重量は約8kgと、少々重たいが、持てないほどじゃあ無い。試しにそこらでぶっ放して見たら、今まで聞いたこともないような『福音』が、彼の鼓膜をビリビリと震わせた。


 イケる。イケる。これさえあれば、俺はどんな敵にだって負ける気がしねえ。とりあえず参加者を片っ端からぶっ殺して、優勝はいただきだ。願いは何が良いだろうか? 南国のリゾート地にでも別荘を立てて、生きの良いネーチャンをたくさん連れ込んで、俺だけの天国ハーレムを作ろうか。まずは手始めに、宇喜多舞、このアマだ。


「出てきゃがれぇ、この……」


 二階から三階へと階段を登り、彼は銃口を廊下の先に向けた。

「ギャハーッ!!」

 引き金を引き、銃を乱射する。耳をつんざくような轟音が辺りに響き渡った。しかしその凶弾は、決して誰も捉えたりはしなかった。


「ハ……」


 ……誰もいない。キャンディマンは落ち窪んだ目を瞬かせた。先ほどからずっとこの調子だった。小柄な影が、この建物に逃げ込んだのは確かだ。窓から飛び降りた様子もない。追い詰めている。しかし一向に、姿を見せない。


 外は雨が降っていた。豪雨だ。建物の何処かに穴が空いているのか、雨音がやけに大きく響く。おかげで物音が判別し辛かった。5階建の廃墟には電気が通っておらず、視界も悪い。


「どうなってんだ……これさえあれば楽勝じゃなかったのかよ、クソッ!」


 ジャリッとした砂埃が口の中に纏わり付き、彼は唾を吐き捨てた。

 まさか……まさかとは思うが、周囲の雑音すら考慮に入れて、此処に逃げ込んだとでも言うのか? キャンディマンは首を振った。有り得ない。この付近で彼女を発見したのは偶然だ。良い獲物カモなはずだった。なのに……徐々に歯車が狂ってきている。酔い潰れた頭でも、それくらいは分かった。この世で最も強い武器を手に入れた。自分は最強になったはずなのに……。


 その時だった。

 死角から……いや正確には天井裏のダクトから、ドスの効いた低い声が唸りを上げて彼の耳に届いた。

 

「どんだけ優れた武器でも、使い手が三下だと話にならねえなぁ!」

「何!?」

「豚に真珠、猫に小判……宝の持ち腐れって奴だ!」


 キャンディマンは慌てて銃口を上に向けた。だが重量8kgもある軽機関銃は、中々素早く銃身を上げることができない。モタついている間に、隙間から舞が降ってきた。


「冥土の土産に覚えとけ。武器ってのは……適材適所があるもんだぜ!」

「クソがぁあッ!?」


 キャンディマンの首元に上から勢い良く刃が突き立てられた。返り血を浴びながら、舞がニヤリと八重歯を光らせる。


 銃の扱いに熟練した技術が要らない……なんてことはない。構造が複雑な武器、重たい武器ほど技術が要る。扱い方を間違えれば重大な事故だって起きる。かつての銃社会大国・アメリカでは毎日約100人が銃による事故・事件で亡くなっている。15分に1人の感覚だ。今こうしている間にも、15分。そしてまたここでも……キャンディマンが舞を追って建物に入って、15分。


「嘘だろ……?」


 マシンガンだぞ!? 最新式の武器が、古クセー刀なんかに……!」


 残念ながら、彼の言葉が最後まで紡がれることはなかった。白刃が喉の上を滑るように引き裂き、そこから噴水のような血が溢れ出してきた。足元にたちまち真紅の水溜りが出来上がる。ぐらり、と揺れた銃身から吐き出された咆哮は、舞の身体に掠ることもなく、虚しく天井辺りに大穴クレーターを作った。


 有効射程1000m前後の軽機関銃も、狭所に入ればその長所を失う。いくら一人で持ち運べるほどの重さとは言え、狭い場所の制圧なら短機関銃サブマシンガンの方が適材だ。


 昔クレイジー・ホースと言う有名なインディアンがいた。

 バッファロー狩りを得意とする、スー族の戦士だ。『リトルビッグホーンの戦い』では弓で銃を迎え撃ち、彼はアメリカ第七騎兵隊を見事に打ち破った。狭い地形に相手をおびき寄せ、地の利を生かし、敵を挟撃したのだ。兵法ではこれを『囲地』と言い、小勢が大勢と互角に戦える場所として知られている。


 狭い廊下に、男の断末魔が響き渡った。彼が最後に見たのは、血塗られた妖刀を振り下ろす、小さな悪魔の姿だった。ランダレル=キャンディマン。享年48歳。



「……ッシ」


 外に出ると、いつの間にか雨は上がっていた。

 雲間から陽光が覗く。一足先に南の方へと旅立って行った雨の残り香が、舞の鼻をツンと刺激した。廃墟の中では、何処からともなく現れた謎の黒いクリーチャーの食事が始まっているが、生憎そこまで見守る義理はない。舞は目を細めた。軽機関銃男を倒し、無事今月3ポイント目を獲得した彼女は、その足で新宿の数奇屋すきやに向かった。


 新宿の数奇屋、

 南青山の銭湯、

 五反田の寺子屋……など、東京には、死神に指定された非武装地帯がいくつか存在した。


 現世うつしよ異世ことよの狭間に存在する非武装地帯ノーサイド。その目的は様々で、回復や備品の補充、情報交換などが行われ、参加者は如何なる武器も使用することができない。なので、たとえば3ポイントを奪った時点でそこに引きこもる……と行った戦術ことも可能だ。とは言え、月を跨げばまたポイントを稼ぐ必要があるので、いつまでもそこに留まる訳にも行かない。


「いらっしゃい……あら」

「……ども」


 舞が数奇屋の暖簾を潜ると、8畳くらいの和室が向こうに広がっていた。畳の上に柔和な笑顔をした女性が正座している。淡いピンクの着物を着た、20代くらいの女性だ。艶のある黒髪を後ろで三つ編みに結い、お団子にしてある。真っ赤な椿の髪飾りが目を引き、また良く似合っていた。高級旅館にいる女将のような、上品さが全身から漂っていた。


「舞ちゃんじゃない!」

 和服の女性は舞に気がつくと、ぱあっと顔を明るくさせた。舞は少し照れ臭そうに、不器用に頭を下げた。


「元気だった?」

「えと……はい、まあ」


 和服の女性は正座のまま、手元の急須からお茶を注いで、そっと舞に差し出した。


「はい。今月もご苦労様。これで元気になってね」

「ども……伊吹いぶきさん」


 舞が湯呑みを受け取って口に持っていった。熱い茶が喉から胃の奥へと染み渡り、たちまち活力が戻ってくる。伊吹さん、と呼ばれた女性は舞の様子を見ながら、口元に手をやりにっこりとほほ笑んだ。舞はぽーっとした目で伊吹を見つめた。仕草一つ一つが洗練されていて、何処を切り取っても絵になる。


『舞さんとは大違いですね』


 村正が何か言った気がしたが、舞は聞こえないフリをした。畳に上がって胡坐をかいて、舞が手持ち無沙汰にしていると、伊吹が手際よく和菓子を用意してくれた。


 先ほどの血腥ちなまぐさい喧騒とは全く真逆の、静かで落ち着いた時間が茶室に流れていた。

 せせらぐ水の音。小鳥の囀り。障子の向こうから聞こえる音が、心地よく耳を擽ぐる。和室に満たされた伽羅きゃらの香りが、戦闘後でささくれ立っていた舞の心を優しくほぐしてくれた。

 伊吹さんも含めて、新宿の数奇屋が舞のお気に入りだった。非武装地帯ノーサイドでの食事や入浴は、死闘を繰り広げる大会参加者にとって、束の間の安らぎとなっていた。


 食事や入浴をすると、幽体が回復する。ただし何でも良いわけではなく、舞たち参加者は現実世界の食べ物には干渉できない。あくまで非武装地帯で、の食事や入浴に限る。


 ある程度……と言ったのはゲームや漫画のように、食べれば自動的にHPが全快する、という理屈わけではないからだ。舞は自分の幽体が、1ヶ月ごとの『予選』を通過するたび、徐々になっているのを感じていた。


 つまり勝ち上がれば勝ち上がるほど、人間に近づく……逆に言えば、次の戦いではダメージを受けやすくなるし、癒えるのも遅くなる。これはそういう戦いだった。先に進めば進むほど、よりシビアになって行くと見て間違いない。今はまだ人間には程遠く、幽霊みたいなものだ。普通の人間には見えないほどから治りも早いけど……。


「便利なものねえ、幽体っていうのも」

 ぼんやりと和菓子を突く舞を見て、伊吹がほう、と息を漏らした。


「歳も取らないし、お腹も空かないんでしょう? ちょっと羨ましいかも」

「ん……でも」


 胡麻団子を頬張りながら、舞は少し遠い目をした。


「私はそれでも、生きてる方が良かった、かな……」

「舞ちゃん……」


 舞の表情がほんの少し物憂げに曇るのを、伊吹は見逃さなかった。気まずい沈黙を破ったのは、がららら、と乱暴に開けられた扉の音だった。


「よぉ〜伊吹さん……あれ? 舞じゃねえか。おメェーもここに居たのか」

「ゲ。熊……」


 野太い声が茶室に響き渡る。舞がギョッとなって仰け反った。玄関から顔を覗かせているのは、入口の倍ほどの大きさはあろうかという、毛むくじゃらの、巨大な男だった。熊と呼ばれた男は、肩に猟銃をぶら下げ、扉を壊さんばかりの勢いで体をねじ込んできた。


「あらあら、武雄さん」

「どうもどうも。相変わらず伊吹さんの出すお茶は美味えなあ」

「そりゃ私のだ!」

 瞬時に舞が噛み付く。武雄、と呼ばれた男は一切気にする素振りも見せず、のんびりと笑った。

「オラにも茶ぁ一杯頼むよ。そうだ、ちょうど良かった。舞、知ってっか?」

「んだよ?」


 茶室の中が急に狭く感じる。舞が面倒くさそうに首を掻いた。

 武雄熊治郎と舞は、此処新宿の数奇屋で知り合った。お互い顔と名前以外はほとんど知らない。どちらかというと武雄の方が気さくで、舞の方が馴れ合いを嫌っている節がある。と言っても、大会参加者のほとんどは舞と同じようなものだ。情報交換とは聞こえがいいが、その情報が、時に命取りになったりもするからだ。


 武雄は舞の横にどっかと座り込むと、獣が唸るような低い声で吠えた。途端に茶室が振動でビリビリ震える。


「こりゃあ、此処だけの内緒話なんだが……」

「声デケェーよ! 内緒話の音量じゃねえだろ!」

「知ってっか? 舞? 『蒐集家コレクター』の噂……」

「何?」


 舞がピクリと動作を止めた。『蒐集家コレクター』という言葉を聞いて、彼女の顔が急に険しくなった。

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