第O話 ピーク・ア・ブー
アセルト・アラブルケツデルガー
[独:Aselt Albreketsderger](1967~2009)
常に冷静沈着、パニックとは無縁のその鉄面皮に口ひげを蓄え、いっそ瘦せぎすとも言えようその長身瘦躯にシルクハットを被り、ドイツ語訛りを抑えながら日々を戦い生きる英国紳士である。そのヴンダバーで偉大なる生涯において、例えば”焦燥によるトラブルで臀部が露出する”といった災難とは全く無縁であり、その仕事はメスを振るうことであったが、しかしどちらかと言えば彼の災難は手術の前段階にあったと言えよう。
例えばピット器官で患者を診る蛇使い、ちょっとエッチだけどインチキではない触診のプロ、レアステーキの匂いがする執刀医、身長198cmに及ぶ巨ナース、”元”悪性腫瘍の小ナース、語尾にアルをつけて話す中ナースなどその珍妙っぷりには限りが無いのでここでは省略するが、ここではある、これまた珍妙な患者を紹介しよう。
Mr. ジッパーダウンは体内からの異音に悩まされていた。特に就寝時に聞こえるその音のために彼の顔には立派な”クマ”ができていた。ついに耐えかねてとうとうある日、Dr. アセルトの元を訪ねてきたのである。
「こんにちは」
「は……はい、こんにちは」
「だいぶお疲れのようですね」
「はい……」
「名前を聞いてもよろしいですか?」
「はい、ジョン・ジッパーダウンといいます」
「ジョン・ジッパー
「アソコが開いてる!? うそ!? あ、ボクの名前か……」
「だいぶお疲れのようですね」
「いえ、これはいつものことで」
「……ところで、カルテによると心臓の音が気になるとか?」
「そうなんです……そう、一週間ほど前からです。昼間は騒がしさで意外と平気なのですが、そう!夜寝静まると聞こえだすんです……初めは外の音かと思いましたがそうではないのです……窓を閉め、耳栓をしたとき、その音が体内から聞こえると気が付きました……」
「それで、それはどのような音なんですか」
「ちょっとガラの悪い車ってあるでしょう、分かりますか? ちょっとアレな人が乗ってそうな」
「アレ?」
「その、クールだけどちょっとファンキーでパンクな、その類の」
「ああ、アレね」
「それで、そういう車が決まって流すような重低音、分かります?」
「シッ!静かに! ……聞こえます?今クリニックの前に停まってるみたいだ。こんな感じの音が?」
ドクター・アセルトが言う通り、クリニックのすぐ近くからするように、まるで壁越しのようにかすかに、ドゥムドゥムといった低いドラムの音が聞こえてくる。ちょっとガラの悪い車が音漏れさせがちな、あの音だ。
「それ、私からする音だと思いますが……」
「……」
「……」
「失礼、今聴診器を」
ドゥム、ドゥム、ドゥム、ドゥム、ドゥム、ドゥム、ドゥム、ドゥム、ドゥム、ドゥム、ドゥム、ドゥム、ドゥム、ドゥム、ドゥム、ドゥム、ドゥム、ドゥム、ドゥム、ドゥム……
「先生……やはりどこか悪いのでしょうか」
「OK、手術をしましょう」
「ええっ!?手術するんですか!?」
「ご心配なさらず、これはべらぼうに危険な手術です」
「ならなおさらですが……」
「あなたの腹を搔っ捌き、ずばりその原因を見つけようと思うのです」
「何も見つからなかったら?」
「腹じゃないところに不良がいることになります」
「ああ、なんと恐ろしい」
「それではさっそくこちらへ」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「それではこれより、体腔内異音原因検査のための開腹を行う。巨ナース!メスを」
「はいでごわす、ドクター」
「中ナース!局所麻酔を」
「はいアルよ、ドクター」
「小ナース!バイタル監視!」
「はい、ちぇんちぇい」
「先生……私は何をすればいいのでしょうか」
「ああ、ジッパーダウンさん、あなたは中ナースに英語を教えてあげてください。体は麻酔で動きませんから」
「分かりました」
腹部にメスが入った。アセルトの手の動きに同期してスリットも広がっていくが、Mr. ジッパーダウンは何も感じていない。なんともないように中ナースに[J]と[ʒ]の発音を教えている。
「激しい出血も無し。よし、それでは開いて見てみよう」
僅かに血液に濡れた皮膚表面、グロテスクだから表現は省くけども……皮膚直下の真皮層、その下の脂肪の層、筋肉の層を広げると、健康的な艶を持つ臓器群が目に入った。フリーダム!! 臓物の表面を這う毛細血管は銀河、宇宙、もしくは大都市のネットワークさながらであり、このミクロとマクロ、カオスとコスモスの相似は果てしなきロマンの偶像であり、この腎臓なんか若々くてしかも……
「なんということだ!」
うろたえるアセルト。その視線の先には驚きの光景が広がっていた!!
「そうか交通渋滞だったのか!! だからちょっとアレな車の音が目立っていたのか! 流れが滞っていては、他にも不調があるかもしれないぞ」
さっそくアセルトは手を伸ばし、ちょっとアレな車の窓をノックし、窓を開けるよう促す。気づいた運転手はスイッチを操作し、窓を自動的に開けた。サングラスやタトゥー、ピアスのついた耳、ワイルドなヒゲが露になり、ついでに爆音のドゥムドゥムが鼓膜を破壊した。
「すいません、ちょっとお聞きしたいのですけども」
「えぇ? なに? このビートかい? 悪いけどこりゃあ俺の魂の刻みなんだぜ。イザナギ、イザナミの時代から続くかなりヤバい偉大な奇才の刻み、Yo, Check it out」
「それもですけどそうじゃなくて、この渋滞のことなんですが」
「あぁ、これね、困ったもんだぜ。もうかれこれ一週間はこんな調子なんだぜ。Crowded cru, Le' gatta go straight yo. 事故でもあったのかね」
「一週間……」
ジッパーダウンさんが言っていた症状の出初めと同じ頃である。
「ところでこれは何の列ですか?」
「おや、知らねぇでいたのか?俺たち[Hells Parasites]絶賛帰省中 Go to リンパ節CafeだぜBro. 今から茶シバいて免疫メンをボコすのさ」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「すごい……ドゥムドゥムが無くなりました……やっぱ体内になんかあったんですか?」
「えぇ、出て行ってもらいました。Health Surgeonsとしては見逃せませんでしたから」
「なんの話ですか?」
「あ、いえ、こちらの話です。みんなも、たまには検診に行こうね!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……というエピソードがあったんですよ」
作り話でしょう?
「作り話です」
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