十三記_彼女の死の真実
「ぶるるわぁぁ‼︎」
俺は自分で自分の声に仰天しながら、飛び起きた。
「……びっくりしました。お目覚めのようですね、新さま」
ソファから飛び起きると台所で何やら作業をしているシャーロットが目に入った。先の俺の行動にかなり驚いたようで作業途中のまま、一時静止していた。飛び起きたせいか、頭がクラクラとする。彼女が応急処置をしてくれたようで、右肩を固定するように包帯が巻かれている。
「これ、どうぞ」
いつの間にか作業を再開していた彼女はそう言って、マグカップを俺の前に差し出す。中には緑色が差していた。どうやら、中身は緑茶のようである。少し熱いそれをちびりちびりと飲んでいると、気が弛緩して次第に色々なことが頭に湧き始める。
「…っ!そういえばさっきの」
その時、シャーロットさんが薔薇の怪物の命を絶ったその瞬間が想起された。
「その話は後にしましょう。新さま、まずは朝食を」
そんな時間が経ったのか、と辺りを見回す。居間に備え付けられている円形の壁掛け時計を見つけ、時刻を確認すると、朝の五時前だった。学校には間に合いそうで安堵する。同時にこの家の奇妙なことに気づいた。
…歩夢の家と間取りが同じだ
其れはありえないことだった。彼女が住む一軒家は彼女の死後すぐに解体されたのだ。現在に至るまで更地だったはずだ。たまたま同じ間取りの家にいるのか?
「…シャーロットさん、ここって歩夢の家じゃないですよね」
俺は恐る恐る質問をする。
「まだ覚えておられましたか。ここは歩夢さまが住んでいらっしゃった家でございます」
彼女は、家は魔術的な仕組みで透明化されているという。解体工事も魔術的なカモフラージュらしい。確かに売地の看板は立っていなかった。カーテンを少し手繰って外を覗いたが、その景観は歩夢の家に違いなかった。魔術なんていうと絵空事を捉えてしまいがちだが、認めざるを得なかった。
「聞きたいことがあるのは承知しています。まずは食事を、話は其れからです」
出てきたのは野菜がゴロゴロと入ったスープとピザトーストだった。十五分で食べ、時刻は五時二十分。歩夢の家から自宅までは四十分ほどある。学校に行くのであれば、そろそろ帰らなければならない。しかし、今日はシャーロットと話をしなければならない。昨日の化け物たち、この家のこと、彼女がこれまで何をしていたのか。聞きたいことが山ほどあった。
「食べ終えました。そろそろいいですか、シャーロットさん」
食べ終わった直後に担任に欠席連絡を済ませた俺はそう彼女に切り出した。
「どこから始めましょうか」
リビングテーブルに移動し、対面した彼女は右肘に左手を添えて考え込むような仕草をする。
「そうですね、ここからが分かりやすいでしょうか。」
目を右往左往された彼女は次の瞬間、衝撃の事実を放った。
「歩夢さまは、病気によって死んだのでは有りません」
静かに放たれた言葉に俺はまるで空気の流れが止まったかのような錯覚を覚える。
「…なら、歩夢はなんで死んだんですか?」
「……呪いです。『黒バラの呪い』。彼女はそれに蝕まれて死に至りました」
呪い、と言われて「有り得ない」と否定したくなる気持ちが芽生えるが、先ほど『透明化』、『瞬間転移』の魔術を見せられたばかりだ。確かに科学的な側面から見ると未知の病ということになるが、それが呪術的なものであれば科学では理解が及ばないのも納得だ。
また、黒薔薇と言われれば、昨日の異形を思い出す。彼らは総じて顔に一輪の薔薇を咲かせていた。それも関係のある話なのだろうか。
「シャーロットさん、呪いが原因だと分かっていたんなら、魔術か何かで歩夢は助けられたんじゃないか。そしたら、歩夢は——」
矢継ぎ早に紡がれる言葉をそのまま彼女にぶつけた。
刹那、彼女の表情が歪み、俺の言葉を遮った。
「…できなかったんです。術を用いても呪いの軽減すらままならなかった。だから、元凶とひたすら距離をとることしかできなかった。其れが唯一の延命方法だったのです」
彼女は感情を押し殺すように淡々と語った。両腕に力が入っているのが服越しに感じられた。やり切れなさが滲み出ていた。歩夢とはシャーロットさんの方が長いのだ。辛くないはずがない。理性的であろうと努めてくれているのだろう。なら、俺もそれに応えなくてはならない。知らず知らずのうちに力が入り、握り拳を作っていた左手を開け放ち深呼吸をする。
「すいません、シャーロットさん。熱が入り過ぎました」
「いえ…。当然の帰結です。あなたは何も知らなかったのですから」
彼女は申し訳なさそうに目を背ける。しじまの時が流れる。その停滞を解いたのは彼女の言葉だった。
「すいません。感傷に浸ってしまいました。——時間は刻々と過ぎていってしまうのに」
呟いた言葉に気がかかった。まるで何かを急いでいるようである。
「昨日、あなたを襲った怪物のことを覚えていますか」
「ええ、危うく死にかけましたから」
急な会話の舵きりに何とか反応する。
「あれは『黒バラの隷属者』と呼ばれる者たちです。おそらく私の反応を追ってあなたを襲ったのだと思います」
「どういうことです?」
「奴らは、紋章に反応してそれを奪うようにできています。…すでに実世界までやってきているとは思いませんでしたが」
俺はシャーロットさんとは一緒にいなかった。今、この時まで三年近くも面識がない。彼女に其れを問いかけようとしたとき、まさか…と思い、チノパンのベルトループに付けたカナルフックを引き上げる。そうして取り出したICパスケースからあのトランプカードを引き抜いた。
「…消えてる」
あの複雑な騎士の紋様がトランプから綺麗さっぱり消えていた。残っているのは反転するように描かれたスペードの1だけである。
「そういうことです」
シャーロットさんは俺が彼女の正体に気づいたことを悟ったのか、一言そう告げた。要は、彼女自身が「騎士の紋章」であり、何らかの方法で実体化しているということだ。
「だったら、もっと早く助けてくれてもよかったじゃないですか」
「タイミングです。新さまと本契約を結んだとしても彼らは明らかに格上。一対一で五分の勝負です。私も苦虫を噛み殺すような気分でした」
そこで一呼吸して朗らかな表情、慈愛を含んだ視線を俺に向けてくる。
「これから話すのは従者の戯言です」そう前置きをして彼女は話し始めた。
「新さまはあの時、自分の欲求にお気づきになられた。それは怪我の功名だったと、私はそう思います。…ご自身では気づいていないと思いますが、随分顔つきが良くなられましたよ」
ずっと見ていたから分かると彼女は言った。そもそも俺が歩夢を好きなことは周りから見たら歴然だったらしい。当時、変に業平がからかってきた要因が思いもよらぬ所で発覚した。
「…其れに歩夢さまが私に最後に命じたことは『貴方を守ること』でした。私にはできないから、と。歩夢さまも貴方のことを思っていらしたのです」
——新は優しいけど、脆いから。私が守ってあげないと。でも、私は多分、もうすぐ死んじゃう。もう分かるの。だから、お願いね、シャーロット。新が新でいれるように、そばにいてあげて。
この騎士の紋章を俺がもらったその日。渡される前に為された会話だという。
…俺には歴史的に貴重なトランプ、としか言ってなかったくせに。死にかけの時に人の心配なんてしてんじゃねーよ
あの日から三日後、彼女は昏睡状態になった。その時の光景が思い出される。辛かったはずになのに、笑って、無理して。あの時の彼女の心情を考えると、まるで自身が経験したかのように胸中が締め付けられる。嗚咽が漏れる。横隔膜が痙攣し始め、それを止めるために歯噛みする。目から溢れた涙が頬を伝う。顔はもうメチャクチャになっていることだろう。拭っても、拭っても涙は止まらなかった。
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