三記_あの夏の追憶

 ガタンッ

 大きな揺さぶりと共に現実に引き戻され、先の出来事が夢であることを認識する。電車が急カーブに差し掛かったらしい。降車口の前に立っていたはず体が大きく傾き、転倒しそうになっていた。

 俺は左足を大きく出してどうにか耐える。ダンと大きな衝撃が電車内に響き、数人の乗客と目が合う。謝罪の意を込めて会釈をしてから、元の位置に戻った。電光掲示を見る限り、乗換駅は過ぎたようだが、人の量は席が丁度埋まるくらいである。その様子を見て、「東京はこうはいかないのだろうな」という至極どうでもいい感想を抱いた。

 夢に見ていたのは親友が死んだ時のものだった。他のことは時が経つにつれて徐々に薄れていくのに、この記憶だけは以前、鮮明なままだ。夢を見るときは決まってこれだった。

 …もう、…あれから三年も経ったのか

 車窓から外を見ながら、感慨に耽る。相変わらず無力な自分に辟易とする。

 …そういえば、今日は診療所に行く日だったか

 ふと腕時計を見た拍子に思い出した。

 あの日にあった医者は黒岩という。爺さんの割には受け答えがはっきりしていて、軽口だ。俺はあの後、医学について教えてもらうことになり、現在もそれは続いている。

 初めの二年は自宅から三駅先の尾後おうしろ大学附属病院まで足を運んでいたのだが、一年前にそこを退職して、診療所を開いたため通う場所もそこになった。(家から徒歩で十五分程)今は「大学病院の先生が診てくれる」ということでかかりつけ医にする人も増えていると聞く。

 医学について、今は主に薬学の基礎について習っているのだが、その目的は「生きたがっている人を生かすこと」。そして、「近しい人にあの喪失感を経験させないこと」にある。薬の専攻にしているのは歩夢が手術できないほどに病気が進行していたからだ。

 …ああ、これはドツボにハマるやつだ

 経験則的にそう思う。このまま考え続けるとやがて次のような疑問が浮かぶ。

 …今の行動をあの時、無力で彼女を助けられたかった贖いとして捉えていないか

 …お前のやっているそれは『彼女の死』からの逃避ではないか、と

 いまだに湧いてくるそれに俺は答えを出せていない。それに考えようとすると、わずかな違和感から始まり、狂ったような頭痛と吐き気に襲われる。まるで体全体がその問いを禁忌としているように。

 俺はその予感から逃げるように通学用鞄に手をやり、一冊の文庫本を取り出した。

 本の内容に焦点を合わせるうちに「禁忌」は無意識の底へゆっくりと沈んでいくのが分かった。

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