32 舟盛りとゲイカップル

 あの喧嘩以来明と孝太郎は一緒に通勤をしなくなった。店でも話していない。孝太郎は、だから安心してください、と春に言っていたけれど春は気がかりだった。大阪からはるばる東京まで追いかけてくるほどの想いがそんな簡単に消せるのだろうか、と疑問に思っていた。


 そんな中、春の単行本の印税が入ってきたので、兼ねてから言っていた旅行に行くことになった。印税で奢ると言う春に孝太郎は始め遠慮していたが、日頃の食事のお礼だと言われ、今回は春に甘えることに決めた。あまり遠くないところで、と意見が一致して熱海の旅館に一泊することになった。新幹線の中からずっと孝太郎のテンションは高かった。周囲に花が飛びそうなほどご機嫌で、そんな孝太郎の様子に春も嬉しくなる。新幹線でわずか40分ほどで熱海駅に着き、2人は駅からバスで旅館に直行し、そのままチェックインした。少し古めだけれど趣のある旅館は2人で選んだ宿だ。和室の部屋についてから春は言った。


「荷物置いたし観光とかします? 孝太郎くん初めてですよね、熱海。ぼくは子供のときに家族で何度か来たんですけど……」

「観光したい気持ちもあるんですけど、それより……今は恋人との初旅行を噛み締めたいです」


 そう言って孝太郎が甘えるように春に後ろから抱きつく。


「旅行なんて連れてきて下さってありがとうございます。めちゃくちゃ嬉しいです。こんなの初めてで、幸せすぎる……夢みたいです。今おれが目覚めたらあのハイツで寂しく一人きり、隣に春さんも住んでなくて全ておれの妄想なのかなって」

「なんですかその怖い話」


 春は笑って、振り返る。


「ね、じゃあ早速大浴場行きませんか。部屋の露天風呂もありますけどここ大浴場がすごく広くていいそうですよ」


 行きましょう、と笑う春に孝太郎が申し訳無さそうに言った。


「言いそびれててすみません。おれ……大浴場には行けません……」

「え!? どうしてですか!? どこもタトゥー入ってないですよね?」


 春がそう確認すると孝太郎はバツ悪そうに言った。


刺青すみは無いです。ただおれゲイなので……大浴場にゲイがいたら嫌じゃないですか。他の人からしたら普通に。だからその……自分は行かないように自粛してて」


 春は、なるほど、と相槌を打つ。


「でも気にし過ぎじゃないですか? 言わなければ孝太郎くんがゲイだって誰もわかりませんし。別に知らない人をいやらしい目で見るわけじゃないでしょう?」 


 一瞬目を泳がせた孝太郎に春は、え、と嫌な声を上げる。


「まさか、いやらしい目で見るんですか?」


 信じられないといった様子の春に孝太郎は弁解した。


「違います! あの、春さんだってテレビで可愛い女の子出てたら見るじゃないですか。それと同じです。春さんからしたら女湯に入るようなものなんですよおれにとって男湯に入るのは……。そんな気なくても、その……だから自粛してるんです! 他の人に申し訳ないので」

「なるほど。なんとなく……理解できました」


 そう言って春は孝太郎に甘えるようにもたれかかった。孝太郎は春に口づける。


「せっかくなので春さんは気にせず行ってきてください。でも夜に、部屋の露天風呂にも一緒に入って下さい」

「わかりました……」


 数回キスしてから別れ、春は大浴場に向かった。服をパッと脱いで温泉に浸かりにいく。周囲に裸の男はうろうろしているが春は何も気にならなかった。でも孝太郎は違うんだなぁ、と物思いに耽る。浴衣に着替えて部屋に戻ると横になっていた孝太郎がパッと飛び起きた。お帰りなさい、と春をハグする孝太郎にちょっと寂しかったのかな、と思いつつ春はキスをする。少しして部屋に夕食が運ばれてきて春は歓喜の声を上げた。


「舟盛り〜!」


 舟の上にマグロ、エビ、鯛、かんぱちなど他にもバリエーション豊かに刺身が贅沢に乗っている。一際目立つのは先端に輝く立派な伊勢海老だった。写真撮りましょう、とキャッキャはしゃいでスマホのカメラで撮り合う。さらに舟盛り以外にも天ぷらや牛の鉄板焼まであり、食べきれないほどの量だった。〆の炊き込みご飯ではお腹がはち切れそうになったが綺麗に2人で平らげ、そのまま横になって微睡んだ。孝太郎が呟く。


「楽しすぎる……」

「ふふ。楽しすぎますね」

「死ぬ前の夢って言われても納得するレベルに楽しいです」


 ムクッと身体を起こした春がにやっとして言った。


「まだ部屋の露天風呂に入ってないのに、死んじゃっていいんですか」

「……絶対に駄目です」


 そう言ってすぐに起き上がった孝太郎に春は笑う。下の売店でお土産を見ている間に食事を片付けてもらい、2人が部屋に戻ると綺麗に布団が敷かれていた。この部屋はベランダに、五右衛門風呂がついている。春が窓を開けると少しだけ空気がひんやりとしていた。入りましょうか、と声をかけた春がすぐに浴衣と下着を部屋に脱ぎ捨て、外に出てかけ湯をする。孝太郎が来ないことに気がつき振り返ると、孝太郎は部屋の中で両手で顔を覆って俯いたまま立ちすくんでいた。


「孝太郎くん?」

「すみません……先、浸かってください」

「ふふ。何ですかそれ」


 先に春が湯船に浸かると、浴衣を脱いだ孝太郎がそっとベランダに出た。春に背を向けてかけ湯をしていたが、入ってこずそっぽ向いて椅子に座っているので不思議に思って春が声をかけた。


「風邪ひいちゃいますよ」

「……あの……写真で見たより……風呂が小さくて……おれが入ったら春さんとかなり密着してしまうので……」

「今さらですよ。早く、来てください」


 春が許可をすると孝太郎は、すみません、と申し訳無さそうに股間を隠しながら入ってきた。孝太郎が入ると一気にお湯が溢れていく。春が、ふ、と笑った。


「ぼくがもし体格よかったらみっちりになってましたね」

「まあ客室付きの露天風呂は男同士で入る想定で作ってないでしょうから……」


 そう言った孝太郎が、あの、と申し訳無さそうに春に聞いた。


「春さん、旅行中、他人の目とか気になりませんでしたか」

「え?」

「来るまで失念してたんですけど、露天付きの部屋選んでる男2人ってモロにそんな感じじゃないですか。フロントとか仲居さんとかの目が気にならなかったかなって」


 春は、別に、と首を傾げる。


「そういうのは気になりません。ぼくがゲイだと思われたくなかったのは……ゲイだって知る前の孝太郎くんだけです。編集さんにもぼくたちが付き合ってること言ってますし……。だめですか?」


 いえ、と孝太郎は恐縮しつつ、ありがとうございます、と言った。


「おれといることで春さんが恥ずかしい思いしてたら嫌だなって気になったので……安心しました」

「まさか。こんな素敵な彼氏と旅行に来て恥ずかしいとか意味不明です。食事持ってきた仲居さんなんて孝太郎くんの顔めちゃくちゃ見てましたよ」

「そうでした? おれは春さんの顔ばっかり見てたのでわかりませんでした……」


 ふふ、と笑って春は孝太郎の手を握った。


「孝太郎くんがゲイでよかった」

「えー。そんなの初めて言われました。ゲイじゃなけりゃよかったのに! って男にも女の人にも言われ続けた人生ですよ」


 孝太郎は特に気にしていない様子で、あっさりとそう言っていた。孝太郎は指を絡めて、春の手を握り返す。


「おれ自身もゲイじゃなけりゃよかったのにって何回も思いました。男友達に触られて意識してる時の罪悪感エグかったし、女の人に好かれるのも申し訳なかったし。でも春さんがいてくれるから……おれ今すごく幸せなんです。生まれてきて下さってありがとうございます」


 春が、ふ、と笑った。


「生まれてきたの感謝されちゃいました。ふふ。嬉しいな。孝太郎くんみたいな素敵な子がぼくにそんなの言ってくれるの……」


 春が孝太郎の手にキスをする。すると焦れたように孝太郎が聞いた。


「春さん……キスだけ、していいですか」


 オッケーと伝える代わりに春から、孝太郎にキスをした。狭い風呂の中で何度も、唇を重ね合わせる。


「ごめんなさい」


 そう謝って孝太郎は目をそらす。


「どうして謝るんですか」

「だってせっかくいい風呂に入ってるのにまたこんなことして……最近おれ、キスとかしつこくないですか? すぐ触っちゃうし……嫌な時は拒否って下さいね」

「嫌じゃないです」


 そう言って春は孝太郎の頬に触れ、唇にキスをして言った。


「嫌なら、貸切の部屋風呂がある部屋は予約しません」

「でも……申し訳ないのでストップします!一応、お風呂でそういうことするのは……」


 春は、わかりました、と座り直して身体を引く。しかしお風呂が小さめなので、どうしても足は触れ合うほどの距離になってしまう。


「春さん……その、後ろから抱きしめてもいいですか?」


 春が背中を向けて、孝太郎がお湯の中で春を後ろから抱きしめる格好になった。噛みしめるように孝太郎が言った。


「あ〜……幸せすぎ……好きです、春さん……嬉しい……」


 そう言って孝太郎は春のうなじにキスをして、刈り上げた毛のチクチクするところに唇を擦り付ける。春は言った。


「……店では、好きな人できなかったんですか? ホストならかっこいい人多そうなのに」

「いや……おれは清楚というか純粋なタイプに惹かれるので夜の店には働きに来ません」

「なるほど」


 孝太郎の手がお湯の中で、春の腹を撫でる。


「たまたまあの家に住んでてくれてラッキーでした。あと家事苦手でありがとうございます。もし春さんが自炊完璧ならおれの立ち入る隙なんてなかったですもん」

「まさか目玉焼きすら焦げ付かせる家事スキルを喜ばれる日が来るとは」

「おれが作るからいいんですよ。春さんは漫画描いててください。連載最高です、先生。おれ単行本何冊か買って馴染みのゲイバーにちゃんと置いてきましたよ」

「ふふ。ぼくもあげたのに」

「それはちゃんと、保管してます」


 話しながら、孝太郎の手が春の胸元を弄る。


「ごめんなさい。もう布団、行きませんか……裸でくっついてたらすごい変な感じになってきて……でもまた後でお風呂も一緒に入りたいです……」


 熱っぽく誘われた春は頷きかけたが、その前にいいですか、と孝太郎に切り出した。


「狐塚さんとはその……挿入も、したんですよね?」


 明の名前を出された孝太郎は眉をひそめ、ごめんなさい言いたくないです、と答えた。春は、どうしてですか、と食い下がる。


「ぼく怒ったりしません。ただ……あの人としたのなら自分も頑張ってみたくて……」

「無理しなくていいですって!」

「無理、というより嫉妬です。だってあの人とはそこまでしてたのなら……ちょっと悔しくて。孝太郎くんとこういうことすればするほど、気になるんです」


 春の言葉に孝太郎は、ふー、とため息をついた。


「……春さんが嫉妬することなんて、無いです。明さんは、その……酔い潰れた時に悪ノリで強引に入れさせられただけですから」


 強引に、と聞いた春は言葉を失う。孝太郎は昔にあった事を春に語り始めた。



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