第22話 信長の最後 (1)
「いや。惣右衛門、あやつじゃないのう。」
由己は勝龍寺城下の宿で本庄惣右衛門を見送った。惣右衛門は由己の頼み事を調べに一旦京へ引き返していた。そして何やら探りを入れるため、京中、四方八方を歩き回っていたようだった。
そのついでに、由己は再度話を聞きたい人物がおり、惣右衛門に手配を頼んでいた。しかし、意外にも、そのついでの方が大変な仕事になってしまっていた。簡単に接触できると思われたその人物だが、実は何者なのか謎多き人物だったことがわかって、困惑するのだった。そのため、惣右衛門は京中を探し回る羽目になったが、ようやくその人物と接触できた。由己に京本能寺跡まで来てもらうべく惣右衛門は、飛脚でこのことを知らせてきた。それは、惣右衛門が勝龍寺城下の宿を出て数日ほど過ぎた天正十年六月二十日頃のことだった。
本能寺の東門あたりで、惣右衛門と会った由己は、たまたま惣右衛門の後ろにいた人物を見て、会いたかった人物ではない旨をつぶやいたのだった。
惣右衛門は振り向いてその人物を見て、慌てて両手で由己に否定する身振りを見せる。
「あ、いや此奴ではございやせん。ちょうど栗田口で光秀様と利三様が晒し首になってるんで、そっちで会えるよう手配しておきやした。旦那の名を言うとご存じだったので、十中八九間違い無いかと」
「ほう、左様であったか。では案内を頼む」
「へい」
由己は惣右衛門と落ち合い、栗田口へ向かう道中、頼み事の報告を聞いていた。
「旦那、あちらに」
「おお、確かに奴じゃ。惣右衛門、ご苦労じゃったな。これにておぬしは自由じゃ。家族の元へ帰るがよい。それにこれは仕事の駄賃じゃ。持ってけ」
惣右衛門は由己の優しさに、胸が熱くなるのだった。
「旦那、ありがとうごぜいやす。この御恩は一生忘れませぬ」
惣右衛門は涙を流しながら去っていくのだった。
由己は惣右衛門の後ろ姿を見送ると、栗田口に晒された光秀と利三の首に近付いた。
晒し首は、見物人の目の高さになるよう杭を打ち込んで調整された首乗せ台に置かれ、竹で組まれた柵で、その周囲を囲んでいた。
「右の者、京本能寺にて大恩ある織田信長様を襲撃し、天下に乱を企てた罪により晒し首とす」
と罪状の立て札が掲げられていた。そこに晒された利三の首は烏がついばみ、眼球がぼろりと垂れ下がった半骸に朽ちており、光秀は顔の皮が剥がれ、およそ人間とは思えぬ異形に成り果てていた。
誰も近付いて直視しようとしない中、一人の男が、感慨深げに眺めていた。おぞましい悪臭が漂う中、由己はその男に近付いて行った。
「目を覆いたくなる光景じゃのう」
後ろからその男に声をかけた。男はビクッと肩を震わせて振り向いた。
「あ、やっぱり、いつぞやの本能寺をお調べになっとった旦那じゃねぇですか。惣右衛門殿に声をかけられ、おそらく、そうじゃねぇかと待っとたんでさ」
その男は笑顔で答えた。
由己はしたり顔でその男を見ていた。
「あれからまだしつこく調べておってなぁ。おぬしの事を探しておったのよ」
その男は目を丸くしてキョトンとする。
「へぇ、オイラをですかい。何用でございあしょう」
「わしはすぐにおぬしに会えると思うとったんじゃが、少々骨を折ったわい。おぬしを探すのに長兵衛を訪ねたら、おぬしの事を知らんと言う。されば、その右頬の大きな傷の男を探せってことで、惣右衛門には京中を走らせてしもうたわ。あの茶屋におったのは、偶然居合わせただけで番匠仲間ではなかったそうなぁ。びっくりしたわ。のう、兵吾郎!」
兵吾郎は悪戯っぽい笑みを浮かべ、
「……旦那、まさか番匠仲間じゃなかったから、あの時の銭を払えって話じゃないでしょ」
思わず由己の頬がゆるむ。
「ハッハッハッ、わしはそんな女々しいことなど言うまいぞ。なぜあのような話を……。つい、聞き入ってしもうたが、あれは事実じゃなかろう」
「そんなことはありゃあしあせん。オイラが聞いた話でさ。それにもう全て知っていることはお話ししやしたぜ」
由己はゆっくりと首を横にふった。
「……旦那、いまさらオイラに聞き足りないことでも。まっこと、全て話やしたでぇ」
兵吾郎は苦笑いする。
「そんなことはなかろう。おぬしはまだ何も話しとらんじゃろう、兵吾郎。通常、又聞きの噂は話の角が取れ、聞いた話のあらすじくらいしか、頭に残っとらんものよ。おぬしの場合、噂話のあらすじの域を超えておったわ。だからこそ、おぬしは何も話しとらんと確信したんじゃ。明智光秀が本能寺を完全に取り囲んでしまうまでに、信長様は謀反に気付いていたのじゃ。そして燃える本能寺から信長様を連れ出した最後の中間は、其方じゃ」
由己は口元に薄ら笑いを浮かべて言った。
兵吾郎はひょうひょうとしてみせる。
「作り話をしている奴原は、大勢いるじゃねえですか。なぜ、オイラだと」
晒し首を見ていた視線を兵吾郎に向けた。
「わしは惣右衛門を使って京の噂話を調べとってなあ、信長様の最後がどういう話になっとるのかをなあ。そしたら、やはり本能寺で切腹した程度で、おぬしほど仔細を語る奴はおらなんだ。それよりも二条城で二度三度と明智軍を押し返した信忠様の死闘が話題の中心じゃったそうなぁ。それにな、おぬしは信長様の御側衆、馬廻衆に中間と、御家中の名をよう存じておる。そんな民衆は、この京に一人もおらん。信長様の側におったはずのおぬし以外はな」
兵吾郎は大きなため息を漏らし、皮肉な微笑を浮かべる。
「へへへっ、調子にのってしゃべりすぎたようで」
兵吾郎は遠い眼差しで、光秀と利三の半骸首を眺める。
「まっこと、突然のことで……、信長様のあの表情は、いまでも脳裏に焼き付いておりやす。森蘭丸様、長氏様、長隆様の御三方には、同じ信長様の側近くにいるもの同士、かわいがっていただきやした。藤九郎や藤八、岩などはオイラの中間仲間で、あの日、信長様の寝ずの番が、たまたまオイラだったってだけで……あやつらは厩でおそらく武器もなく、呆気なく斬られたようで、探しやしたがどこにもおらず、あの炎の中に……」
兵吾郎は逃げる道中に見た、燃えたぎる大地の坩堝へ崩れ落ちる本能寺を思い出している様であった。
「たまたま、オイラが寝ずの番だったってだけで……」
兵吾郎は言葉に詰まり、溢れる情が大粒の涙となって垂り落ちるのだった。
「あの日、何があったのか、話してくれんか。兵吾郎」
兵吾郎は天を仰いだ。
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