第11話 死華(しにばな)(3)

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兵吾郎の芝居がかった語り口調に、由己も思わず、聞き惚れてしまうほどであった。「老若男女問わず殺戮し、本願寺衆徒をも虐殺せしめた、豪快な信長様らしいご最後だとは思わねぇかい、由己様」

感慨に耽る長兵衛の言葉に、周囲の仲間も同調するかのように頷いた。ただ、当の長兵衛は眉間に皺を寄せ、猜疑の色が滲む由己に気が付いた様で小首を傾げる。

由己は例のごとく、備忘録帳に筆を走らせながら聞き入っていたが、今の話をそのまま事実と捉えるのには少々無理があるのではと思えてならなかった。それは少々事実と異なってそうな箇所が垣間見えたからだった。

「……まっこと。じゃが今の話、少々気になることもなくはないのじゃが……」

と言いかけた時、兵吾郎の隣にいた奈七郎が、からかうように言葉を投げかけた。

「兵吾郎、お前さん、さっきも言ったが、信長様と信忠様の死闘のくだりが似とりゃあせんかいのぉ。確か、妙覚寺で本能寺方面に炎が上がったのを見て二条城に立て籠ったとか。そこで、信忠様も槍を振り回して、雑兵を次々と串刺しにした悪鬼羅刹とかなんとか言うとったじゃなかぁ? 最後は諦めて奥の間に引き下がるところなんか、そのまんまじゃ」

由己は先ほど聞き耳を立てていたことに少し気まずさを感じながら話す。

「縁台で座っていたら、そこの格子から漏れ聞こえておったわ。妙覚寺に宿していた信忠様に馳せ参じた者がいて、二条城に立て籠ったとか。おそらく、その者は京都所司代村井貞勝様じゃ。村井様の屋敷は、本能寺の真横に位置しておるしのう。二条城では、弓矢、鉄砲の雷雨だったとか。まるで大波のように退いたり、攻めたりの攻防だったとか。そんな地獄の中で、信忠様の勇猛ぶりは、何も知らぬわしの耳にまで聞こえてきたわい。おそらく、ここにいる全員も聞いておるじゃろう?」

「おぉ、まっこと……聞いたわ」

方々で顔を合わせながら頷き、声が漏れる。同情の色をみせる長兵衛が独り言のように呟いた。

「それじゃあ、信長様も信忠様も死華が咲き、壮絶なご最後を迎えたと言うわけかい?やはり血かのう。最後もそっくりじゃあ……」

「やっぱり、逃げたってより、こっちの方が真実味がある気がするのう」

逃げた説を辞めたらしい五右衛門が長兵衛に同調する。

会話を聞いていた由己が口を開いた。

「兵吾郎、おぬしの話、至極面白かったが、まるで見ていたかのようじゃが、この話誰から聞いたのじゃ?」

兵吾郎は一瞬ギョッとして、

「……いやぁ、一緒に仕事した奴から聞かされたんでさぁ。そいつもおそらく又聞きに違いなぁわ」

「それじゃあ、誰かこの中で本能寺の騒動を遠巻きでもええんじゃが、見ていた者はおるか?」

その場にいた全員が、お互いの顔を見るが誰も頷く者もいなかった。

やや沈静した空気が漂う中、それを打ち破るかのように、長兵衛はやや困惑したような表情で、

「旦那、本能寺で信長様が腹を召されたと知ったのは、二条城の騒動で信忠様が立て篭もっとると知ったずっと後の事でさ。ほとんどの者が、その後の落武者狩りの騒動に巻き込まれたんでぇ。何かとんでもないことが起こっとる、とわかったんでさ。されど、そん時まだ、あの信長様がお腹を召されたなんて誰も知らんかったんでさ」

「そうじゃなぁ……ほんに仰天したわい……」

「わしなんか、家の目の前で死合じゃ。悲鳴で目が覚めたわ! 明智様とはまこと、恐ろしい御仁じゃ!」

周囲の連中も方々で落武者狩りの朝の状況の悲惨自慢をする。

由己は目を閉じて思案を巡らす。

「信長様のご最後に関する噂もあるが、実際の目撃証言は、信忠様の二条城の攻防がほとんどで、あの日確かに死闘があったは、どうやら信忠様のようじゃのう。信長様の死闘は、実際見た者はいないとみえる。じゃが今、兵吾郎が語ったように、まるで見ていたかのような噂が流れていることを思うと、信忠様の死闘と混同されておるのではないか? 時間帯でも信長様の本能寺よりもやや後じゃ。信長様のいた本能寺が燃えた折、まだ誰もこんな大ごとだと、気付いておりゃせなんだのよ。信忠様が死んだ後、実はその前に本能寺が焼けておって、そこで信長様もお腹を召した! との噂が流れたのが最初じゃないかのう。つまり、信長様の死闘の実態は、信長様じゃのうて、信忠様ということじゃ。信忠様の死闘が噂になる。じゃが方々で屍体の山を築いてきた信長様じゃ!  その熾烈な印象から『その死闘は信忠様じゃのうて信長様じゃろ? いや、そうに違いない』というふうにいつの間にやら事実が裏返ったんじゃろう。噂なんぞ、そんなもんじゃ」

長兵衛は信じられないといった表情で、

「そんじゃぁ、信長様の死闘はなかったと……」

由己はゆっくりと首を縦に振ると、

「そう思えてならぬ。信長様のこれまでの数々の所業が成した幻想に過ぎぬとな。良くも悪くも、信長様という並外れた存在感が、町衆にそう思わせたんじゃな……」

長兵衛は、兵吾郎の語る信長様の死華を気に入っていたようで、いささか承伏できぬ様子であった。

「あ、旦那、本能寺から逃げた信長様の女どもが見届けたってことはありやせんか。それが噂話となったとか」

由己の口に笑みが溢れる。

「左様なことはない。明智軍に包囲され、弓矢、鉄砲が飛び交っていたとしよう。血泥がべっとりとついた槍や刀を持つ雑兵がなだれ込む。戦場の女の運命など言わんでもどうなるかわかるじゃろう。恥辱を受けるか、死ぬかもしれん状況の中で、冷静に信長様の様子を見ていた者などおらんと思わんか。女どもにとってその折、恐怖のどん底に叩き落とされて、迫り来る死から必死に逃げたかったに相違ない。そのような状況で、信長様の事とはいえ、気にする余裕などないわ。そう思わんか」

茶屋の女中が待っていたとばかりに、話に割って入る。

「お侍様、女の立場で言わせてもらえば、そんな場にいたら、ご主人も何もあったもんじゃなかです。オラなら一目散に逃げまする」

由己は思わず笑みが溢れる。

「……」

長兵衛をはじめ、周囲で聞いていた番匠仲間はそう言われるとぐうの音も出なかった。

「それにわしが一番気にかかることがあるんじゃが……、さっき、信長様が朝支度中に、本能寺に進入した雑兵に矢で射られたとあったが、おそらく、その雑兵は遠くから信長様を狙っておったんじゃろう。そうすれば、弓を大きく引くじゃろうのう。さすれば、弓の弦がしなって音がなるのでは……。信長様は幾多の戦場で過ごされた御身じゃ。まこと、その音に反応できんかったんかのう? 早朝でかなりの静寂の中にいたはずじゃ。弓兵の場所はわからんかったとしても、何かしら防御というか、その場を離れるとか、対処はできたはずじゃ。合点がいかんのう……。それに女どもは見ておらんとは言ったが、実は血を流す信長様を見たという女はおった。じゃがそれがまこと、死闘の後じゃったのか? そこまで雑兵に踏み込まれて、囲まれた中で、ゆっくり切腹する刻などなかったと思わぬか。いくら火で防いだとしてもじゃ。火が回るにも刻が必定じゃ。のんびりしとりゃあ、雑兵に踏み込まれて槍や刀で斬り刻まれるわ。それに本能寺の建物自体は、さほど探し回るほど広くはない。左様な状況で、いかにして信長様の屍体を消せたというのじゃ。信長様のご最後の話が事実じゃとすると色々と辻褄が……合点がいかん。一体どうやって……。そもそも、あの時、本能寺では何が起こっていたのじゃ……」

茶屋の中は水を打ったように静まり返った。忙しそうにたち振る舞っていた女中までもがいつの間にか、謎に引き込まれ、腕組みから立派なため息まで漏らしている始末。

由己は頭を傾けたり、天を仰いだりと、完全に雲路を彷徨っていた。

「もっと情報を必要じゃが、あぁ、本能寺の襲撃を目撃した者は誰かおらぬかのぉ……」

諦めに近い声で呟く。いなくて当然だった。京の民衆、いや信長さえも意表を突かれた急襲だったからだ。

誰もこれ以上進展はない、となんとなく空気が弛んだ刻だった。

「あまり期待はできやせんが、ひとつ心当たりがありやすぜ、旦那」

薄ら笑いを浮かべる長兵衛だった。

「なんと、どういうことじゃ?」

長兵衛に視線が集まる中、気まずそうな空気を淡く発す。

「いやぁ、ちょいとこの場で説明しづらいものがありやすが、御用とあらば、ご案内しやすぜぇ。ただ、だいぶ、これが入りやすが……」

そういうと長兵衛は、由己に向けて親指と人差し指で輪を作り、ゆすってみせた。

————ほほう、銭か! これは期待大じゃな。

由己は裏取引の匂いを嗅ぎ取った。役人や権力者に隠蔽される真実など往々にしてある。得てしてそういうのは、銭を出せばひょっこり顔を出すものだ。

「ほお、そりゃ、面白そうじゃなぁ。わかった。案内を頼む」

由己は約束通り、全員の勘定を払い、長兵衛と外へと出ていった。店にいた薄汚れた顔をした奴らが満面の笑みだったのは言うまでもない。

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