第2話 プロローグ(2)

天正九年あたりから信長の京滞在時の宿泊先は妙覚寺から本能寺へと移っていた。

本能寺とは法華経の教えを広めるために応永二十二年(一四一五年)に建立されたもので、これまでなぜか火災に遭う不幸に見舞われていた。本能寺の変での焼失は既に三度目であったとか。

そんな呪われた寺院とはつゆ知らず、信長が滞在先を本能寺へ変えたのは、意外にも住職の日承上人の説教を聞くことに関心があったからだった。そのため、信長は危険な京滞在に耐えうるよう、周囲に高い塀と土塁をめぐらし、その防壁周囲に竹林の群生をそのままに内部の隠蔽を図って要塞化していた。

このように改築してまで本能寺にこだわったのは、何も法華経の勉強に熱心だったわけではもちろんない。日承上人は天皇と親類筋に当たり、信長は皇族に近付こうという政治的な意味が多分にあったからだった。

この頃の京は、度重なる災害、人災から町を守るために上京・下京の周囲には塁壁が築かれていた。本能寺はその塁壁で覆われた上京・下京の市街地の外に位置していた。

天正十年六月二日、約三十里の四方に囲まれた広大な本能寺の寺地は、明け六つ時に光秀が放った業火で覆われ、威厳に満ちた本堂は今や黒煙と灰、そして燃える木材が破裂して屋根が崩れ落ちる、哀れな姿を呈していた。そして本能寺境内のあちこちで、信長の小姓や馬廻衆たちの無惨な屍体を晒していた。

それだけではなく、京洛中で狩られた落武者の首(こうべ)が次々と本能寺に集っていた。怒り首に泣き首、叫び首や白目むく不気味な笑み首がゴロゴロと山積みされていた。そのそれぞれの悶絶する最後の表情はその瞬間のおぞましい物語を想像させるのに十分だった。さすがの明智の雑兵も顔を背けたのは当然だろう。

落武者狩りが行われた洛中の表通り沿いの家々の土壁にはドス黒い血飛沫が飛び散り、あたりの砂地は血の海となり、首なし屍体が横たわっていた。このような痕跡が、凄まじい首取り死合が洛中の至る所で繰り広げられていたことを、暗に示していた。

そうして、本能寺の襲撃が終結したこの頃にはすっかり陽が上って陽炎が立ち上り、強欲の餌食となった屍体を熱し、たとえようのない死臭を京洛中に撒き散らしていた。

そんな中、落武者狩りの生首を腰に括り付けて次の獲物を追いかける明智の雑兵もいれば、摘んだ生首を自身の目線まで持ち上げて手柄に酔いしれ、気味の悪い笑みを浮かべる者もいた。業火に焼かれる本能寺や二条城を背景に、強欲に溺れる餓鬼達が右往左往する京は、まさに地獄絵図となっていたのである。

そんな業火が踊る本能寺の本堂で、光秀は茫然と立ち尽くしていた。本能寺を急襲した三日前の五月二十九日、光秀はある報を受け取っていた。それは信長が少数の供回りのみで京へ突如向かったというものだった。

それを耳にした刹那、あの日の地獄が脳裏に蘇って額からは汗が滲み、悶絶のあまり、頭を床に打ちつける。必死に消そうと頭を振るが次から次へと襲い掛かる。毒々しい苦痛の記憶が憎悪の情を沸々と湧き起こした。それが全てを歪ませ、合理的な判断や視界を奪い、やがては信長へのおぞましい殺意へと変わっていった。

しかし今、突如沈静化していた。それは天下をひっくり返した満足感に浸っていたわけではない。恨みを晴らし、雲一つない青空のような心地よさに浸っていたわけでもなかった。それどころか、全身に巡る血から一気に体温が退いていく感じに襲われた。そして、思いがけない状況に猜疑心を拭いきれないでいた。

光秀は、何度も何度も地団駄を踏み、持っていた采配を地面に投げつけた。元来几帳面な性格の光秀は、突然の想定外に胸騒ぎを抑えることができないでいた。

明智光秀は顔が真っ青になり、底知れぬ恐怖が全身を駆け巡り、ワナワナと身震いが襲いかかっていた。

ガッと見開いたその眼は虚空を睨みつけた。不安と恐怖に取り憑かれた光秀は、そこに嘲り笑う信長の幻影を見て、戦慄を覚える。

「そんなはずはない。そんなはずは……」

衝撃の事実を告げた白い着物を着た女中を背に、光秀は自身に言い聞かせるようにそうつぶやくのだった。

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