07

 片付けが終わったばかりの家はやっぱり埃っぽい。佐久間さんはかわいらしいくしゃみをすると、私たちの方をくるっと振り返って「一緒にどっか食べにいかない?」と言った。

「あたしたちの顔合わせ会ってことでさ。高いとこじゃなかったら奢ってあげる」

 とはいえわざわざ凝ったお店に出向くような体力もお金もないから、顔合わせ会は歩いて十分くらいのところにあるファミリーレストランでやることになった。そういえばこの家には車庫がある。でも、そこには車も自転車も停まっていない。私たちだけじゃなく、佐久間さんも乗り物のたぐいを持っていないらしい。

 みちかは無邪気にファミレスを喜んだし、私もすごく助かった。いくら荷物が少ないといっても引っ越しは結構疲れるものだ。この上家で料理をして片付けをして――というのは結構しんどい。それにファミレスには幽霊が出ない。たぶん。

 私たちは三人でテーブルを囲んだ。

「みちかちゃん、十七? わかーい。いいなぁ」

「佐久間さん、おいくつなんですか?」

「あたしはねぇ、二十六歳」

 一番お姉さんだね、と言って、佐久間さんは笑った。

 料理を食べて、パフェで乾杯して、みちかの学校の話を佐久間さんはうなずきながら聞いてくれた。私はそれを眺めながら(いいな)と思った。みちかは佐久間さんに早くも懐き始めている。佐久間さんも決してそれが嫌ではないらしい。

 とても助かる。みちかに嫌がられたら、どうしようかと思った。

 いつまでも明るくて賑やかなファミレスにいたかったけれど、そういうわけにもいかない。九時前に店を出て、三人で歩いて帰った。あまり遅くなると、塔矢さんが私たちのことを「逃げた」と思うかもしれない。そうなると厄介だ。

 やがて住宅街の中、あの家が見えてくる。

 私は窓を見上げた。何も見えない。今のところは。

 佐久間さんはふーっとため息をつきながら、家の鍵を取り出す。

「じゃあ、開けるね」

 私はうなずいた。

 佐久間さんが鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。またふーっとため息をつき、鍵をひねってドアを開ける。

「ただいま……?」

 みちかが小さな声で言う。

 冷たい空気が、ふんわりと漂ってくる。家の中なのに外よりももっと寒い。

「ふーっ、ただいまぁ!」

 佐久間さんはわざとよく通る明るい声を上げた。家の中にいるに、自分たちの存在を知らせているみたいだった。私も大きめの声で「ただいま」と言った。みちかもそれに続く。

 もうお風呂沸かそうか、なんて言いながら、佐久間さんは家中の電気を点けていく。直前、階段の上の暗がりから、女の子の声が聞こえたような気がした。


 みちかはベッドの近くに勉強机――といってもちゃんとした学習机じゃなくてホームセンターで買ったほんとに普通の折りたたみテーブル――を置いている。勉強ははっきり言ってできない方だけど、壊滅的というほどでもない。みちかにしては頑張っている。

 寝る支度を済ませ、明日の持ち物をきっちり通学用のリュックサックに詰めてしまって、みちかは今、日記を書いている。まだみちかが小学生のころ、文章の練習になるからやりなと勧めたら、それ以来真面目に続けている。もっとも中学生になった辺りから読ませてくれなくなったので、文章の添削はできなくなった。

「ねぇ、ふみちゃんさぁ」

 ノートに視線を落としたまま、みちかが言う。「大丈夫かなぁ」

「大丈夫って、何が?」

「新しいおうち。きれいだし、前に住んでたところよりすごい便利だし、佐久間さんもすごくいい人だよね。だからさ、なんでだろ……なんか不安になっちゃった」

「わかる。都合がよすぎると不安になるよね」

「ねぇ。今日、ふみちゃんといっしょのベッドで寝ていい?」

 みちかがそう言うから、その夜、私たちはひとつのベッドで眠った。みちかは私と手をつないでいる。

「ねぇ、ふみちゃん」

 常夜灯の下で、みちかの唇が動くのが見える。「わたし、いる子?」

「いるよ」

 わたしは心配そうなみちかの手を、上からぽんぽんと叩く。「ちゃんと要る子だから。ね。おやすみ、みちか」

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