女剣士は女弟子に愛されてなお逃げる

ポロポロ五月雨

女剣士は女弟子に愛されてなお逃げる


あるところにいた剣士。その人は美貌を持ってして決まった主を持たずにただ剣を愛し、剣才を持ってして孤独に戦い顔に掠り傷一つ負うことすらなかった。


団子やの椅子に腰を掛けて運ばれてきたお茶に唇をつける。

「熱ッ」

「あっ、スイマセン。淹れ立てでして」

「いや、こっちが悪かったよ」

春風が吹いて湯飲みの水面を揺らし、近くの桜花びらが数枚はらはらと散ってゆく。

『思えば遠くまで来た』あの時負けてから私は脇目も振らずに走って走って走った、何とかこの場所までたどり着いたがそれでもまだ逃げ切れた確証はない。それほどまでに彼女はしつこく、顔が広い。

『恐ろしい女だ』

「あの、お侍さん?」

団子やの娘が目を丸くして私の顔を覗き込む。

「ん、あぁすまないね。何かお任せで団子を」


「アンタに食わす団子なんか無いよ」

奥から低みがかったドスのある声で女が顔を出す。

「やぁ、相変わらず可愛げが無いな」

「誰が言ってんだか。おい幸子、ちょっと店で休んでな」

そう言われると娘はお盆を持って一礼し、店奥に引っ込んでいった。

「幸子と言うのか、良い娘だ。将来はきっと」

「色ボケが、女なら誰でもか?」

「褒めただけだ」

「ハッ、どうだかねぇ」

皮肉を織り交ぜた冷ややかな顔でこちらを見下すのは乱(ラン)という女で、かつては仕事を共にしたこともある優秀なシノビであった。そんな彼女が今は身を隠して団子やを開いている聴き、少し立ち寄っただけなのに相も変わらず愛想が悪い。

「そんな態度で客商売がツトまるのか?」

「アンタ以外にゃ良くやってるよ。たらし屋が」

「変わらないな。まだキスしたことを引きずっているのか?まるで成人前の子供のようだ」

乱は相当頭にきたようで持っていた串を手早く投げる。串は確かに私の眼球めがけて一直線に飛んできたが、避けるのも面倒なので刀を抜ききることなくさっさと切り落とした。


「腕だけは確かだねぇ」

「君もな、むしろ昔より良くなっている」

「こちとら四六時中ダンゴ焼いててね、串はもう旦那みたいなもんさ」

「『旦那みたいなもん』って結婚してたんじゃないのか?」

「してないよ、私には合わない」

「じゃああの娘は?」

乱は腕を組んで『ハァ』と軽くため息をつく。

「シノビ見習いってとこかねぇ、でも思うに向いてないよ。優しすぎるんだ、あの娘」

「へぇ、優しいのかい。見た目通りの良い子なんだな」

「才能は有るんだけどねぇ」

ため息をつく乱を尻目に私が店奥を覗くと、彼女はこちらに気付いたのか『にこっ』と笑って『ぺこっ』と頭を下げる。

「あぁ、本当にイイ子だ」そう呟いて乱に顔を戻すと、こちらの女は笑顔とは真逆の蔑みが極まったような顔で私を見ていた。


「アンタが何でこんな所で茶ぁすすってんのか忘れたのかい?」

「む、『何で』とは。君がなぜその事を知っている」

「コレだよ。ついさっきのことだ」

乱はフトコロから紙をペラッと取り出すとそれを私の眼前に叩きつけた。

「『尋ね人 凛才』」

「お前のことだろうが、凛才(リンサイ)さんよぉ」

「驚いたな、ここまで来ていたとは」

紙をヒョイと拾ってまじまじと見つめる。そこには確かに私の名前と似顔絵、そして『この者を生きて捕らえれば叶柄様より金一封』と書かれてあった。

「かっ、叶柄(カナエ)」その名前を見て背筋がぞくぞくとする。

「おおかた偉い女に手ぇ出して逃げて来たんだろ」

「そ、それは違う。けど今回はちょっと色々とあったんだ」

「ふーん、色々ねぇ?」

こちらを犯罪者と決めつけてかかる奉行のように食い気味で首をかしげる乱。経験上こうなってはどうにもならん、のでここからは口には出すものの独り言というテイで話す。




叶柄と初めて会ったのは2年前のことだった。

雇われ先の箱入り娘で部屋の中に閉じこもっていたのを、屋敷をうろついていた私が見つけたのだ。その時は警備の仕事で平時に暇を持て余していたので『あの可愛らしくて儚げな乙女と話がしたい』という思いで部屋にこっそりと入り込んだ。

「誰?」

「警備の者です。挨拶をと思いまして」

そこからは早かった。と言うのも彼女は『箱入り娘』とだけあって現在15歳に至るまで滅多に屋敷を出させて貰えず、外のことを何も知らなかったのだ。

「あはは、それで」「はい、その乱という者がですね」

そのような背景もあってか叶柄は外の話に深く興味を示した。悪く言えば『食いつき』が良く、まるで子犬のように次の話を待つ彼女に、私は心の高ぶりを感じざるを得なかった。

そしてその日に夜襲が入った。


私は剣を振るい、人を殺すことには自信がある。だが守ることには不慣れであった。

思わぬ盗賊の数に押され、屋敷は血にまみれて依頼主は何を早とちりしたのか『賊にやられるくらいなら』と自ら命を絶った。

守るものは無くなり、私以外の警備が逃げ出したところでふと叶柄のことを思い出す。

『あの娘は無事か!?』

私は屋根をつたって彼女の部屋まで駆け抜けた。

「叶柄様!!」

ふすまを蹴破るとそこは今まさに賊が叶柄を殺さんとにじり寄っているところで、すかさず刀を抜いてその賊を切り捨てる。

「大丈夫ですか!?」

「あっ、うぅ」

「怪我は無さそうですね、さぁこちらに」

「後ろ!!」

油断していた。切り捨てたと思い込んでいた賊はふらふらと最後の力を振り絞って立ち上がり、私を切ろうと刀を上に振り上げていたのだ。

「死ねェい!!」

そいつは大声を上げて襲い掛かる、がその刃が私を切ることは無かった。なぜなら

「うッ」

「はぁ、はぁ」

叶柄の短刀に腹を刺されて賊は力なく崩れ落ちた。そして同じように彼女もその場にへたり込んで、ヒックヒックと泣き声を上げた。

「う、あぁ」

『箱入り娘には少しキツイか』

私は彼女を抱え込むと急いで屋敷を後にした。


屋敷ではちょうど奉行所が来たようで賊の残党とやいやいカチ合っている。しかしそんな声が遠くに聞こえるほど、叶柄の泣き声は夜闇に響いた。

「うぅ、うぅ」

そんな彼女を放ってはおけないと思いつつも、前から奉行と相性が悪かった私は一刻も早くその場から立ち去らねばならなかった。

「叶柄様、事が終われば奉行所に行ってください。屋敷の生き残りと知れれば親類が貴方を引き取ってくれるハズです。お辛いでしょうがそこまでは何とか」

「貴方は?」

涙を拭って震える声で問われる。

「私はもう去ります、ではお元気で」

「待って」

去ろうとする私の袖を叶柄はグイッと掴んだ。

「私は人を殺しました、どうせもう日の下は歩けません」

彼女は決心した顔で私の目をしっかりと見つめる。

「剣を教えて」




桜の花びらが1枚、ふと膝の上に舞い落ちた。それを見てお茶を飲みながら叶柄のことを思い出す。

「あの時は可愛かった、この花びらのように儚い少女でね」

「そこはどうでもいい。結局剣を教えたのかい?」

「まぁ結論から言えば教えたさ」

そう言うと、乱は目を開いて驚き「へぇ」と言った。

「弟子を取ったのかい?決まった主さえ持たないアンタが」

「あぁ、彼女が人を殺すことになったのも、元を辿れば私の不手際だし。それに」

膝の花びらにフーッと息を吹きかけると花びらは舞い上がって地面に落ちる。

「彼女、可愛かったし」

そう言いながら乱を見ると呆れて言葉も出ないといった様子だった。




屋敷の一件から、つまり叶柄と一緒に過ごすようになってから一つの発見があった。

「叶柄、いいかい?木から落ちてくる葉を切るんだ」

「はい!師匠」

落ちてくる葉を切るのは本当に難しい。剣を振るのが遅ければ葉はひらりと剣を避けてしまうし、葉が落ちてくるまで集中を維持しなければならない。今の私でも15分間切り続けるのが限界だ。

『さて叶柄はどうかな?』

「ッ!!」

彼女の振った剣は葉に当たりはするものの、振りがよろよろで切れてはいない。

『まぁこんなものか』

「叶柄、私は水を汲んで来るよ」

「はい!」

そうして私は近くの河に水汲みに出かけた。だがその帰りにこれまた麗しい女性を見かけた私は、少しばかりその女性と談笑をしてしまい帰る頃には日も沈みかけていた。


『いやぁ、うっかりうっかり。しかし叶柄は大丈夫かな?』

草をかき分けて戻って来ると彼女はまだ出かける前と同じ木の前で剣を構えていた。

「叶柄!まさかそうやってずっと構えていたのか?少しは休んで」

私が彼女の間合いに入ったその時だった。

剣先が一瞬にしてこちらに向き、体全体に剣の殺気が纏わりつく。『!?』思わず私が剣を抜こうとした瞬間

「ん、師匠」

さっきまでの据わった目がいつもの少女の目に変わり、気配も同じように元に戻った。

「あ、あぁ、叶柄。すまないね。遅くなった」

私が剣に添えた手をそっと下ろすと

「遅くなった?」と言って彼女はキョロキョロと辺りを見渡す。

「あれ、もう夕方」

「そうだよ、随分長いこと構えてたんだね」

「はい!私頑張りました。でも」

彼女はふらぁと体勢を崩して私にもたれかかって来ると「おかげで疲れちゃいました」と言ってそのまま眠りについた。

「お疲れ様、叶柄」

私は彼女を抱えようと一旦地面に降ろす、そしてあることに気付いた。

「何?」

地面には2つに切られた大量の葉がバラバラと散らばっていたのだ。

『まさか構えていただけじゃなく、ちゃんと落ちてきた葉を全部切ったのか!?』

私はすやすやと眠っている叶柄を見つめる。

「才能か」

腕の中で眠るこの子が、さっきとは変わってまるで鬼のように見えた。




湯飲みに残ったお茶を見つめて「はぁ」とため息をつくと地面を数枚の花びらが風に巻かれて這っていった。

「弟子自慢かい?」

「違うよ、今となってはその才能が私を苦しめてるんだ」

ぬるくなったお茶をすすって、青い空を見上げる。

「案の定と言うか、その後彼女はメキメキと才能を発揮してね。自信を折るつもりで出した試合でも負け無し、気付けば無敵の大剣豪だ」

「へぇ!もしかして噂の『美貌を持ってして決まった主を持たずにただ剣を愛し~』って奴は」

「叶柄だね。残念ながら」私は再びため息をつく。

「おいおい、残念ってことは無いだろ。それとも何だ、弟子に嫉妬かい?」

「まぁ話を聞いてくれ」

私は湯飲みを置くと再び話を続けた。




私には気がかりがあった。それは『実力ならとっくに私を超えた叶柄が何故私にいつまでも付いてくるのか』というところだった。

あれほどの実力ならば勤め先になど困らないどころか、むしろ誘いが来すぎて困るほどだろう。もしかして私に気を使っているのか。弟子に気を使われる師匠とは、うむむ

「考え事ですか?」

「あ、あぁ失礼」

私は毎日の『町に繰り出して女性に声を掛ける』という日課で出会った婦人と茶屋でお喋りをしていた。

「ところでお侍さん、こんな話を知っていますか?」

婦人は湯飲みに口を付けておしとやかにお茶を飲む。

「何でも最近、夜な夜な辻斬りが出ているそうですよ」

「辻斬り?」

「えぇ、しかも女性だけを狙った」

「何と!それは卑劣な」

私は正義感を前面に押し出して言った。

「私ってば怖くて、おちおち散歩も出来ませんわ」

「ならばご婦人。私がその辻斬りを必ずや討ち取って見せましょう」

「あら?本当に」

「もちろんお任せを。そしてもしその者を討ち取った暁には」

「えぇ、またこうやってお茶しましょう」

こうして私はご婦人との再会を約束して辻斬り討伐に向かったのである。


「そろそろだな」

冬の夜はすっかりと冷えきって、薄っすらと霧も出ていた。

『辻斬りするには絶好の機会だな』

刀を腰に据えてその時を待つ。すると月光に照らされて浮かび上がった影がすたすたと移動しているのが見えた。

「アレか?」

私はその影にバレないようにひっそりと後ろをつけて行く。が、その後ろ姿にはどこか見覚えがあった。

「ご婦人!」

「あら、凛才さん」

影の正体は昼間にお茶をしたばかりの婦人であったのだ。しかし散歩さえ怖がっていた彼女がこんな夜に出歩くなどとは

「ちょうど良かった、私も今行こうと思ってましたの」

「ん、何処へですかな?」

「何処へって、もちろん貴方との待ち合わせ場所にですわ」

「待ち合わせ場所?」

その時だった、がらんがらんと後ろの方で音が鳴った。剣柄に手を置いて瞬時にそちらを向き、警戒を高める。

「何?」

「今日の所はお引き取りを」

そう言うと婦人は「え、えぇ」とだけ言い残してその場を去って行った。


「出てこい、下衆が!」

そう呼びかけるもただ私の声が夜の町に響くのみ、相手の気配など微塵とも感じられなかった。

『気のせいか?』

そうも思いかけたその時であった。

「キャアアアァァッ!!!」

闇を切り裂くような女性の叫び声が辺り一帯に響き渡った、それもその声の方角は

「ご婦人!」

私は急いで駆けつけるも、時すでに遅し。婦人は血を流して地面に突っ伏し、その傍らには血に濡れた剣を持つ般若の仮面をかぶった人間が立っていた。

「お前ッ」

剣を抜いて切りかかる。私はこの抜刀後の速度には定評があった、自分でも自信があるし『神速』と評されたことだってある。つまりこの最初の一太刀を防げるものなど

「馬鹿な」

いないハズだった。コイツに会うまでは

「うッ!」つばぜり合いになるも一太刀目を防がれ動揺していた私は徐々に圧されていき、とうとう最後には自分の剣が鼻先に当たりそうになるほどまで追いつめられる。

『これほどの腕前、私は一人しか知らん』

嫌な予感を抱えつつ『もしこの考えが当たっているなら』と辻斬りの腹に蹴りを入れる

「ぐ!?」

「当たると思った、実戦は剣術だけの試合とは違うから」

手を払うようにして辻斬りの顔をひっぱたく。仮面は宙を舞い、下の顔があらわになる。

「ねぇ叶柄」

その顔は他でもない。私の生涯唯一となろう弟子、叶柄であった。

「何故だ。剣に酔いしれて素人を襲うなど、お前はそんなに弱い子ではないだろう?」

叶柄は黙って私の顔を月に照らされた澄んだ瞳で見つめる。

「叶柄、ワケを話してくれ。悩みがあるのか?私の知らない所で何か」

「悩みですか」

彼女は剣をからんからんと落として私の元へと歩み寄ると

「私の師匠が弟子の気持ちにも気付かないナマクラ野郎ってことですかね」

と剣を持つ私の手首を掴んで壁にグイと押し付けた。

「叶柄?」

「好きですよ師匠。会った時からずっと」

「!!」

隙を作るための冗談かとも思った。しかし叶柄の目は真っ直ぐと私を見つめ、一緒に過ごしてきた私からして嘘ではない。彼女の本当の気持ちを前にして私は戸惑いを隠せない。

「そ、それと辻斬りをすることに。何か関係があるのか」

「大ありですよ師匠。今まで私が斬ったのは、全員師匠が話しかけてお茶をした相手です」

「何!?」

「ウザかったので斬りました。触れてほしくなかったので」

叶柄の手は彼女が思いをはき出す程にギュウときつく締まっていく。

「師匠、最初に屋敷で話した時から、ずっとずっと好きでしたよ。もちろん一緒に過ごすようになってからも。いつか思いをお伝えしようと、それで今日まで師匠に付いてきました」

叶柄は愛おしいものを見るように目を伏せて口は薄っすらを笑みを浮かべ、このような状況でなければ私の方から声を掛けそうになるほどに美しく、愛に満ちた顔で私に迫った。その時

「あっちの方だぞ!急げ急げ!!」

と提灯明かりがぞろぞろとこっちに走って来るのが聞こえた。

「ご返事お待ちしております。いつも修行で使っていた木の下で」

そう言うと彼女は手を放して剣を拾い、軽やかに跳んで夜に消えた。




湯飲みに残ったお茶はもう少なく、透けて底が見えるほどであった。水面には春嵐に乗った花びらが龍のように吹き抜けているのが映る。

「なるほどね。アンタを慕ってたのは尊敬じゃなくて愛が理由ってワケかい」

「あぁ、だからこそ実力が私を超えても私の元から離れなかったんだろう」

「ははぁ、弟子の気持ちに気付かないとは。アンタも甘いねぇ」

乱はそう言って「はっはっは」と笑った。

「笑い話ではない、おかげで私は」

「いいや笑い話さ。女たらしが女で痛い目見るなんて定番じゃないか」

私はムッとした気持ちですっかり冷めきった茶を飲み干す。

「それでどうしたんだい?」

「また結論からになるが、私はその木の下に行かなかった」

「へぇ、そりぁまた何で?」

「私と話した女性を斬るような奴だぞ。風来坊の私とは極めて相性が悪い」

空になった湯飲みを置いて、剣の鞘先を指でいじる。

「しかしそこからが大変だった」




木に行かなかった私は即刻その場所を離れて各地を転々とした。叶柄のことなど忘れよう、叶柄と会う前までの暮らしに戻ろう。そう思ってあるところで依頼を受けたとき、こんな話を聞いた。

「そういえばあの流浪の女剣豪。ついに剣術指南の仕事を受けたらしい」

当時で話題に上る女剣豪など叶柄以外にいない。『そうか、ついに腰を落ち着けたか』と私は安堵した。木の下で待てども私は来ずに、諦めて定職に就いたのだと、本当にそう思った。

しかし私はここまで聞いてその場を立ち去ってしまったのでこの話の続きを知らなかった。話はこう続く

「何でも人を探しているらしい。自分と同じ女の剣士だと」


少しの月が経って、叶柄のことが忘れられてきた日のこと。ある人が私を訪ねてきた。

「凛才様でございますか?」

「あぁ、そうだが」

「失礼ッ!」

その者は突然に背を低めて懐から小刀を取り出すと、素早い動きで私に斬りかかった。

だがその動きは言うなれば早いだけ、鞘も付いたまま頭をゴンと叩く。

「うッ!」

「ダメだ、お前では私に勝てん」

私は頭を抱えてうずくまる暗殺者に問いかける。

「主は?」

「叶柄様です」

『やはりか』「随分すっきり言うな」

「どうせ勝てないから、負けたら素直に言えと」

『どういうつもりだ?』

それからというもの散歩、風呂、就寝、あらゆるときに暗殺者が現れるようになり、それも全員がとっ捕まえて主を問うと「叶柄様」と答えた。そして流石の私も刺客の多さに参ってきた頃、それを見計らったかのようにある暗殺者が紙を一枚手渡してきた。

その紙には『まだお持ちしています』とだけ書かれていた。


「何が『お待ちしています』だ」

連日に寝ていても襲い掛かって来る暗殺者で寝不足だった私は心に怒りを携えて久方ぶりに叶柄に会うことを決心した。

例の木に向かう間、様々なことを耳にした。叶柄はどうやらその腕を評価されて今ではすっかり高い地位に昇り詰めていること、そのことを鼻にかけずに町の人達にタダで剣術を教えていること、そしてそんな彼女に言い寄る者は沢山いるのに一切を真に受けず、ひとりを貫いていること。

「『お待ちしています』か」

そういった話を聞くうちに私は何だか自分にも非があったのではと考え出した。もしかしてあの時に木の下へ行くべきだったのではないか、と。考えるほど出た時の怒りはとうに消え失せて、代わりに心には罪悪感が芽生えた。


そして目的の場所へと着いた、叶柄と修行をしていたあの場所。

草をかき分けて進むと例の木が見えた。そして

「叶柄!」

「あぁ、師匠。久しぶりですね」

そこには最後に会った夜と変わらない、一見して可愛らしくて可憐な乙女が立っていた。

「叶柄、何故こんな所へ呼んだ。用ならばお前が出向けばいいものを」

叶柄は風に揺れる髪を抑えながら言う。

「形だけでも貴方の方から来てほしかった、それに」

「この場所に来てもらわなきゃ意味がない」

私は罪悪感からか彼女の顔を見れず、俯きながら「そうか」としか言えなかった。

「それで師匠」

叶柄は真っ直ぐ私に体を向け

「あの時貰えなかった返事、今貰えますか?」

と笑顔で首を少し傾けた。私は


「すまないが叶柄の気持ちを受け取ることは出来ない。君はいつまでも私の弟子だ」

と言った。

風が2人の間を抜けて葉がヒュゥと吹き去る。

叶柄は私の言葉をしっかりと受け止めたのか

「そうですか」

とただ一言だけそう呟いて

「うぅ、うぅ」

と私が彼女を屋敷から救い出した時のように涙を流し始めた。

「叶柄、すまない」

私は胸を締め付けられながら必死に謝った。

「だが君が私の自慢の弟子なのは確かだ、評判は常々耳にしているよ。全く私は幸せ者だな」

彼女を慰めようとゆっくり近づいていく。

そして私が彼女の間合いに入ったその時だった。

「!?」


グルンと視界が回転し地面にぶつかるその時まで、私は投げられたことに気付かなかった。

「うッ!?」

「師匠。何ですか幸せ者って」

叶柄は倒れた私に近づいて馬乗りになると据わった目で見下した。

「師匠がいない間、私はちっとも幸せじゃありませんでしたよ。師匠がいない世界なんて、苦痛でしかなかった」

叶柄は体をすり合わせるように私に覆いかぶさる

「それで気付いたんです、あぁ師匠がいたから毎日幸せだったんだって。師匠と離れたおかげで師匠のことがもっともっと好きになったんです」

「叶柄、止めなさい。こんなことをしたって私の気持ちは変わらないよ」

「変わりますよ。だって師匠はこれから、私無しじゃ生きれなくなるんですから」

「どういうことだそれは?」

「こういうことです」

叶柄は私の持っていた剣を鞘から引き抜くとその刃に自分の顔を映し

「師匠の剣、師匠の」と言って恍惚とした表情で剣を見つめる。

「何をする気だ?」

「この剣で師匠の腕を落とします」

「何!?」

「剣が振れなくなったら師匠、どうやって暮らせばいいんでしょうね?」

耳元でそう呟くと、起き上がって叶柄は片方の手を使い私の腕を押さえつける。

「大丈夫ですよ師匠。剣の使い方は、貴方に深く教わりましたから」

「叶柄。待て、待つんだ」

「私が責任をもって面倒見ますよ」

そう言って今にも剣を振り下ろそうとしたその瞬間、ひらひらと木から葉が落ちてくる。

「!」

叶柄はそれを見ると反射からか即座に剣で葉を2つに切り裂いた。

『今しかない!』

そう思った私はすぐに肘で彼女の腹を叩くと驚く彼女をのけて立ち上がり、剣を持つ腕をグッと掴んだ。

「剣を返しなさい」

「ひどいですね師匠。弟子のお腹を肘打ちなんて」

「お前はもう弟子じゃない!今日限りで破門だ!!」

私がそう言い放つと叶柄はあっけに取られた顔で茫然と剣を手放した。そして私は一目散に鞘を拾い上げてその場から退散したのだ。




「以上がここに至るまでの全てだ」

「ははぁ、一概にアンタが悪いわけじゃなかったんだねぇ」

乱は腕を組んで「ふんふん」と頷く。

「どこで間違えたんだか」

「強いて言うなら女をとっかえひっかえしだした時じゃないかい?」

「勘弁してくれよ」と言いながら私は遠くの山を見る。青々とした木々が並んで、その中にぽつぽつと桜の桃色が見えた。

「全く、いつまで逃げればいいのやら」

「あぁ、それなら心配いらないさ」

「何?」

「迎えならとっくに来てる」

そう言うと乱は団子やの隣に生えていた桜の木を指さす。天まで伸びるかのような大きな桜の枝に座っていたのは

「叶柄!」

「師匠、いえ凛才さん」

叶柄はスタッと地面に下りてくる。

「先ほどから少しずつ桜の花を散らしていたのに、ちっともお気付きになりませんでしたね」

「ハハッ、コイツ鈍いんだよ」

「えぇ、そうでした」

まるで知り合いだったかのように話す2人に眉をしかめる。

「乱、これは?」

「実はね、手配書 結構昔に来てたんだ。それでアンタなら絶対ウチに寄るだろうなと思って」

「事前に連絡を貰っていたのです」

叶柄は春風に服を揺られながら上品に笑う。

「凛才さん、私もあれから反省したのです」

「反省?」

警戒心強めで叶柄の方を見る。

「腕は流石にやり過ぎだったなと」

「そうかい、成長したね」

「はい、ですから」

叶柄の言葉に耳を傾けていたその時、後ろからカギ縄がグルグルと私を縛り上げた。

「悪いね凛才」

思わず地面に倒れ込んだ私の傍らに叶柄が腰をかがめると

「首輪、手錠、足枷。次こそ逃がしませんよ、師匠」


椅子の上に置かれた空っぽの湯飲みに1枚の桜花びらがひらひらと入っていった。





~エピローグ~

「いやぁ!いい気分だねぇ!!」

椅子に座って机を叩きながら大笑いする。

「でも良かったんですか?昔からのお知り合いじゃあ」

幸子が台所で食器を拭きながら言った。

「なぁに、女たらしのロクデナシさね。多少のバチは仕方ない」

机の団子をあぐあぐと口にほおり込み、一気に飲み込む。

「師匠、そんな食べ方では喉に詰まらせますよ」

「幸子は優しいねぇ、やっぱりシノビ向いてないよ」

「もう!からかって」

ズズズとお茶を飲んで「はぁ~」と一息つく。

「しかし奴も馬鹿だねぇ、弟子の恋心に気付かないとは」

天井を眺めながら顔をニヤつかせる。

「ちゃんと弟子を見てないからそうなるんだ。ねぇ、幸子」

「師匠も」

「ん?」

「師匠も同じですね」

幸子はそう言いながら食器を拭き続けた。

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