アイビーに燃える

絹地 蚕

1章

1-1 絶世の美女


 イギリスがどれほど広大な土地を持ち、無限の労働力と血気盛んな若者と、由緒正しい良家の淑女を召し抱えているとしても、アメリア・スレイターに勝る美人はどこを探したって見つからないだろう。

 それは普段からアメリアをよく思わない年頃の淑女たちも、彼女を取り巻く強壮で強靭な若い男たちも、今は前線を退いた年嵩としかさの老紳士たちも誰もが認めるところだ。

 アメリアの輪郭は程よく丸みを帯び、その輪郭を取り囲む黒髪は絹のように艶があり、いつでも不思議と仄かに甘い香りを漂わせていた。肌は陶器のように白く滑らかで、豊満なバストと引き締まったウエストは女としての魅力を前面に押し出している。形のいい鼻に、厚すぎず薄すぎない感じのいい口元、整った眉、瞳を縁取るまつげは長く、その瞳が悪戯っぽく細められたり、女優さながらに伏せたりするたびに思わずはっとせずにはいられない。そして、長いまつげの奥には澄みきったエメラルドのごとき瞳が浮かび、ホープダイヤモンド〔呪われた宝石。持ち主が次々と不幸になる〕にも似た輝きを放っている。

 それはまさしく魔性の輝きだった。一目見た瞬間に心の最も深いところに刻み込まれ、思考を根こそぎ焼き尽くしてしまうほどの危うい魅力。その光に囚われれば誰であろうと骨抜きにされ、ついにはその華奢な身体を抱き寄せ、その瞳を独占したいと思わずにはいられなくなる。

 まさしく、この輝く深緑の瞳こそがアメリアの最大の武器だった。どんな紳士でもこの瞳にかかればいとも簡単にかしずかせることができたし、退屈に目を伏せれば紳士たちはありとあらゆる方法で機嫌を取ろうと力を尽くした。ひとたびその瞳に憂いを帯びた悲しみの色が浮かべば紳士たちはまるで自分の心臓が引き裂かれたかのような苦しみを味わい、あるいは、アメリアがちょっとした気まぐれで、天使のような愛らしい微笑みを浮かべれば、どれほど堅物として名の知れた男でも彼女に思いを寄せた。それどころか、どうかもう一度自分のために微笑んでほしいと切に願い、そのためなら家財を投げ売り、心さえも捧げてしまえるような、そんなどうしようもなく危うい感情に心を支配されることになるのだ。

 そして、その程度で済むのならまだ救いようはあるが、アメリアの内面に触れてしまえばいよいよ取り返しがつかない。

 無敵の美貌を持っているからこそ、アメリアは活発で溌剌はつらつとして恐れ知らずで、悪く言えば我儘わがままで自由奔放な人間に育った。売られた喧嘩は買わずにはいられないし、一度決めた事は何がなんでも成し遂げる行動力と我の強さがある。万が一にでも自分の我儘わがままが通らないなら、激昂し、周囲に当たり散らすことも日常茶飯事だった。その上、大層な気分屋で短絡的な思考の持ち主だったので、激しい怒りに身を任せたかと思いきや、次の瞬間には一転して花が咲くような笑顔をみせることもある。その表情は春の天候よりも変わりやすくて節操がないほどだ。

 その気まぐれで、自由で、破天荒な様子はエチケット本に書かれるような理想の淑女には程遠かったけれど、その移り気な気性こそがアメリアの美しさに拍車をかけていることはいうまでもない。そういう不安定な一面にこそ人は興味を惹かれてしまうものなのだ。その意志の強さも、その自由奔放な振る舞いも、そのすべてがアメリアの瞳に恐ろしいほどの輝きを与えて、彼女の魅力を何倍にも高めているのだから。

 ひとたびその激しい内面に触れてしまえば、誰であろうと本格的にアメリアから目を離せなくなり、「はい」と「いいえ」しか言葉を発せない凡庸な淑女たちは色あせ、それはそれは退屈に感じることになる。そして、しまいには本気でアメリアを愛するより他になくなってしまうのだ。それはちょうどアイビーが立派な白亜の邸宅を覆い尽くしていくのに似ている。一度その瞳に囚われれば、耐えがたい魅力は心の深いところにツタを張り、どれほど崇高な魂ですら抜け殻にしてしまう。

 そして困ったことに、アメリアの魔の手に絡め取られた名家の紳士たちは今では数えられないほどに膨れ上がっていた。それも、偶然というにはいささか不自然なスピードで。

 アメリアはその美貌を武器に、淑女であれば必ず身につけるべき教養の数々をくず入れに投げ捨て、娘時代の大切な時間をもっぱら紳士をたぶらかすために使っていた。その有り余る魅力は男性に対しては特に有効的だった。たとえばそっと手に触れて目をパチパチさせたり、何かを言いかけて憂いを帯びた表情で口をつぐんだり――たったそれだけで男たちはいとも簡単にアメリアに溺れ、とろけるほどの甘い言葉を贈り、愛の印を願った。

 しかし、どれほど熱烈に愛を語られようともアメリアが求婚を受け入れることはなく、いまだに誰一人としてアメリアの愛を勝ち取った男は存在しない。それどころか熱烈に愛を語られるほど心はどんどん温度を失っていき、しまいには凍りついてしまうような気さえした。

 それは単純な話で、社交界の女王として燦然さんぜんと輝くアメリアは狙った男性の愛を必ずその手に収めたものの、その実、誰かに恋心を抱いたことなんて一度たりともなかったのだ。男性という生き物はロマンチックではあるけれど単純で、何を考えているのか、何を望んでいるのかなんて手にとるようにわかってしまう。褒め言葉にはいつだって定型文が返ってくるし、挙げ句求婚の言葉なんて酷いもので一言一句同じ言葉を囁かれることもしばしばだ。その上、アメリアからすれば回りくどい求婚なんてセンスの欠片もなかった。一体月や花や星にたとえられて誰が喜ぶっていうの? そんなものよりもわたしの方がよっぽど輝いているっていうのに!

 男性というのはまるで型通りの人間ばかり。理解が及ぶから、深く知ろうという気にもならない。もしも海がその底まではっきり見通せるほど明るい色をしていたなら、誰が命を賭けて探査しようと思うのだろう。人は未知にこそ心惹かれ、手を伸ばすというのに。

 そういうわけで、アメリアが紳士たちをたぶらかしているのはたちの悪い趣味に他ならない。そこに恋や愛という人間の最も原始的にして美しい感情はなく、ただ悪い喜びと承認欲求が満たされる果てしない快楽のみがある。

 言うまでもなくアメリアのこういう振る舞いは称賛されるようなものではない。

 淑女であるなら誠実で控えめであるべきだし、ましてやその美貌をむやみやたらに振りまくなんてことは決してしてはならない。そういういやしい手段に頼るのはせいぜい中流階級から抜け出したい成金のご令嬢くらいのもので、本当に家柄のいい淑女であるならばその美貌はひた隠しにして、本当に重要な局面――つまり結婚相手を手中に収めるとき――以外で日の目をみせてはならない。少なくとも、公の場でだれかれ構わず振りまいていいものではない。と、母エレンは何度もアメリアに説明したが本人の心にはまるで響かなかった。それどころか、それを聞いたアメリアは不思議そうな表情を浮かべると鏡を覗きこみ、首を傾げた。どうしてこんなに綺麗で美しいのに、それをひた隠しにする必要があるっていうの?

 この件に関してはスレイター家で一番年嵩としかさで、暇さえあればアメリアに小言ばかり言っている女中頭のオルコットが母よりもよっぽど直接的な言い方で言及していた。

「奥さまもあんな回りくどい言い方じゃアメリアさまは理解できないっていい加減学ぶべきだよ。いいですか、お嬢さま。そんなとんでもない行いばかりしていると今にどこの家の舞踏会にも呼ばれなくなりますよ。歴とした貴婦人のヘンダーソン夫人やベネット夫人がなんとおっしゃっているか、まさかご存知ないとは言わせませんがね! それに、今に寄りつく男性もいなくなって旦那探しにも事欠くようになりますよ。なんたって、身持ちが悪い女っていうのはそれだけで事故物件みたいなものですからね。貞操を疑われても仕方ないってものです。ああ、まさかスレイター家にこんなとんでもないお嬢さまが生まれるなんてねぇ! アメリアさまみたいなお気楽な人間は今にどこの馬の骨ともしれない悪漢にキズモノにされちまうだろうね」オルコットはそれを想像して眉間にしわを寄せると小さく身震いした。

 アメリアにはキズモノという言葉の意味なんて分からなかったけれど、オルコットの吐き捨てるような言い方を聞く限りとにかく恐ろしいことなのは理解した。実際、アメリアはそういった見え透いた脅しをそれなりに真に受けて、一時は夢に見るほどに怯えていた。けれど、その恐怖も代わり映えしない日常の中ですっかり忘れてしまった。

 待てど暮らせど悪い男は影も形もみせないし、今のところ舞踏会の招待状も絶え間なく届いている。それどころか寄りつく男はいなくなるどころか増える一方だ。どこからともなく、アメリアの噂を聞きつけた男たちが光に群がる羽虫のように姿を現し、自分だけは真に愛される自信があるといった様子で、自ら進んでアメリアに身を投じていく。そして“元恋人”という名の犠牲者が増えるたびにエレンは心を痛め、オルコットの眉間のしわは更に深く刻まれていくことになる。誠実で心の清らかなキリスト教徒である二人はアメリアの不誠実な行動に我慢できなかったし、どうにかして正しい道に連れ戻すことこそが自分の使命だと確信していた。

 そして、アメリアの横暴な振る舞いに我慢できないのは何もエレンやオルコットだけではない。良家の淑女や年頃の娘を持つ貴婦人たちも心の沸きたつ思いだった。何しろ、アメリアという悪女がいるせいで舞踏会のダンスを断られたり、密かに思いを寄せていた人物を奪われたりすることがしょっちゅうなのだから! 貴婦人にしてみても、娘のためにせっかく見繕った男をかっさらわれるのだからたまったものではないだろう。その上、アメリアの態度は傲慢でとても淑女的とはいえないし、何より美貌を鼻にかけているようでむかっ腹がたった。そういうわけで、アメリアと良家の淑女たちの間にはクレバスよりも深い溝があり、それは年々深さを増している。

 こういった一面もあったにせよ、アメリアは年頃の淑女を除く大抵の人間に愛されてきた。外見さえ美しければ、どんな悪癖があろうとも大した問題にはならないというのは世の常だ。それにもしアメリアの身勝手な振る舞いに腹がたったとしても、彼女が気まぐれに笑顔を浮かべれば誰だって許してしまうのだから事が荒立つこともない。それどころか、アメリアは気分さえ良ければ場に活気と華やかさを与える素晴らしい逸材だったので誰もがその機嫌を伺っていた。

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