遺伝子的ベイビー

ロッドユール

遺伝子的ベイビー

 その子は、深夜の闇の影に浮きたつように座っていた。コンビニの片隅、吊り下げられた電機蚊取り器の怪しく光るブルーライトの下だった。

 深夜二時過ぎ、不良たちでさえそろそろ遊びに飽きて帰り始める時間帯。真夏ではあるが、さすがに少し冷え込む時間。彼女は水着にちょっと毛が生えたみたいに薄着だった。超ミニのデニムのショートパンツに、おへその出た青いピタT。

「・・・」

 私はタバコが吸いたかった。しかし、喫煙場所は彼女のすぐ後ろだった。私は一瞬躊躇する。しかし、異郷での単身赴任。借りているアパートをタバコで汚したくはなかった。

「どうぞ。遠慮なんていらないわ」

 その時、その少女がそんな私を素早く察して言った。

「あ、ああ」

 私は彼女のその反応に驚いた。たいてい、この時代の若い女の子は、私のようなおじさんには話しかけないし、まして近寄ることを許可など絶対にしない。

「・・・」

 私は戸惑う。今までに経験のないことを目の前に突き付けられると、人間というのはどうしていいのか分からなくなるらしい。

「・・・」

 そのまま帰る選択肢もあった。しかし、何とも言えない彼女の懐に飛び込んで来るその快活さにやられたのか、私は、彼女の右後ろにある長細い灰皿の横に立った。そして、ポケットからタバコを取り出す。

「あっ、前持って言っておくけど、私、売りとかやらないから」

 彼女が、また突然、座ったまま私を振り仰いだ。率直な物言いだった。

「別に疑っているわけじゃないのよ。でも、そういう時代でしょ」

 彼女は気さくに言う。

「あ、ああ、そうだな。分かるよ。そういう時代だ」

 私は少し戸惑いながら、取り出したタバコの箱からタバコを一本抜き出し、咥えた。こんな時、ちらりと彼女の胸に目が行ってしまうのも、時代のせいだろうか。

「・・・」

 私はタバコに火をつけ、その煙りを吸い、そして大きく吐いた。

 田舎のさらに辺鄙な、なぜこんなところにコンビニがあるのか不思議なほどの場所。そこは世界が終わってしまったみたいに静かだった。私は、自分がとんでもない世界の最果てにまで来てしまったみたいな、奇妙な感覚に陥った。

「深夜にやってる映画ってなんかいいわよね」

「えっ」

 少女がまたふいに口を開いた。私はさらに驚く。まったく見知らぬ少女にこんなに気さくに声をかけられたことなど、今まで経験がない。

「・・・」

 私はあらためて少女を見た。年は十四歳くらいだろうか。小学生にしては大きいし、高校生にしてはまだ幼い感じがする。

「つい見ちゃうのよ。今日もなんか寝ようかなって思ってたら、ちょうど映画が始まっちゃって。見始めたらなんか止まらなくなって、そして結局最後まで見ちゃった」

 彼女は私を見上げて無邪気に微笑む。

「ああ・・」

 私は戸惑う。この時代にあって、彼女はあまりに人懐っこい。

「それでこんな時間まで夜更かしってわけ。決して不良ってわけじゃないのよ。もちろん学校は夏休み」

 彼女はしきりに笑う。とても明るい子らしい。

「・・・」

 私は戸惑いながらもそんな彼女の話しを聞いた。

「別に大した映画じゃないのよ。ただ女の子が二人出てきて、なんか仲良くなるってだけの映画。でも、なんか見ちゃったわ。なんかいいのよね。深夜にやっている映画って。そう思わない?」

「あ、ああ・・」

 よくしゃべる子だった。しかもこんなおじさんに、こんな場所で、しかも時間は深夜だ。コンビニの中には店員がいるにしても、周囲に人はいない。

「なんで、こんな時間に外に出て怒られないかっていうとね、私にはお父さんがいないの。いわゆる母子家庭ってやつね」

「・・・」

 なぜそんなプライベートなことを、見も知らぬ私のようなおやじにいきなりしゃべるのか分からなかった。

「お父さんがいないっていうと、離婚とか死んじゃったとか想像するでしょ?でも違うの」

 彼女はそこでいたずらっぽく笑った。

「本当にいないのよ。私にはお父さんが」

「?」

 意味が分からなかった。私は彼女の顔を見る。頭のおかしい感じはない。

「・・・」

 父親がいなくてどうやって、生まれたというのか。この子は、まともな性教育を受けていないのか。これも現代社会の産んだ歪な現実なのか。それとも、やはりどこか頭の・・。

「別に性のことを知らないわけじゃないのよ」

 そんな私の思いを読み取ったかのようなタイミングで彼女は言った。

「科学の進歩ってやつよ」

「科学の進歩?」

「精子バンクってあるでしょ」

「ああ」

 優秀な男の精子を集め、それを販売しているところだ。それを買い、人工授精して、子どもを作る女性が今は増えているという。

「でも、もうそれは古いのよ」

「ん?」

「今はもうそんなのすっ飛ばして、自分で遺伝子をデザインするの」

「デザイン?」

 遺伝子とデザインというまったく業界の違う二つの単語の同時の表出に、私の頭はどう認識していいのか軽く混乱する。

「遺伝子操作の技術の到達点が、最高のDNAを作り出す。ありとあらゆる面において、すぐれた人間。それは人間の最高傑作」

「?」

「そう、優秀な遺伝子を探す必要はなくなったの。自分たちで自分好みに作り出せるようになった」

「・・・」

 今の最先端科学はそんなところまで行っていたのか。私は驚いた。

「そして、私の遺伝子はデザインされた」

「・・・」

 私はあらためて彼女を見る。当然だが、何も変なところはない。指が六本あるとか、腕がないとか、頭が異様にでかいとか。むしろ、ちょっと痩せてはいるが、目がくりくりとしていてかわいい顔をしている。

「そう、人類史上最高の人間が生まれるはずだった」

 彼女がにこりと私を見た。

「顔がよくてぇ、身長が高くてぇ、頭がよくてぇ、スポーツ万能でぇ、音楽や芸術の才能もある。人柄も性格もすべて完璧」

 彼女は指を一つ一つ折りながら言った。

「人類最強の存在」

 彼女は再び私を見た。人懐っこいキラキラした目をしていた。

「でも、そうはならなかった」

「?」

「私はすごく平凡。悪いところはないのよ。病気とか、極端に何かがダメとか」

「・・・」

「でも、期待が大きかったからねぇ・・」

 彼女は顔を斜めにかしげながら、少し複雑な表情で微笑んだ。

「ねえ」

「えっ」

 彼女が突然私を見た。

「私アイスが食べたいんだけど、でも、お金を持ってくるのを忘れてしまったのよ。それで私はこの場に座り込んで、家に戻ってお金を取りに戻るか諦めるかどうしようか悩んでいたってわけ。ちょっと微妙に遠いのよ私の家。だから悩ましいところなのよ。そこにあなたが来た」

 彼女は私を期待を込めた目で見た。

「安いのでいいの。百円くらいの」

「あ、ああ、いいよ。買ってくるよ」

 そういえば私もタバコとちょっとお酒を買いにここに来たんだった。私は、暗闇からコンビニの強烈な明かりの中に入った。

 私が戻ると、少女はちゃんとそこにいた。私はなぜか少しほっとしていた。

「はい、これでいいかな」

「うん」

 私はバータイプのアイスを差し出した。チョコのかかったバニラアイスだった。

「う~ん、おいしい」

 早速彼女は袋をむいてアイスにかじりつく。

「最高よね。深夜のアイスって」

「・・・」

 その感覚は私にはまったく分からなかった。私は同じく買ってきたビールのプルトップを開け、飲んだ。

「膵臓のDNAを操作したマウスを作ったの」

「えっ」

 私は彼女を見る。彼女はアイスを豪快に頬張りながら、また突然話し始めた。

「膵臓のDNAを傷つけて、膵臓の機能に障害を起こしたマウスを作ろうとしたの。当然、膵臓に異常が出て、それをもとに膵臓に関する病気

の研究につかえると思った」

「・・・」

「でも、できたマウスは健康そのものだった」

「・・・」

「なぜか」

 彼女は私の顔を覗き見るように見る。

「・・・」

 私にはちんぷんかんぷんだった。

「生命は総体だった」

「?」

「膵臓機能を傷つけるマウスのDNAは、しかし、確かに膵臓を傷つけていた。しかし、その他の機能がそれを補い、全体としてその膵臓の問題を克服してしまった」

「・・・」

「生命の神秘よねぇ」

 彼女は自分の言葉に感心するように言った。

「だから、私は失敗作」

 そして、彼女は私を見て笑った。

「でも、自然というバランスの中での私は完成品」

 彼女は今度はにこりと笑った。

「私は複雑なの」

 彼女は少し複雑な表情をした。

「・・・」

 私は彼女の人懐っこさと快活さに、好感を持っていた。とてもいい子だと思った。頭がよく、有名な大学を出ていても、ろくでもない奴はいっぱいいる。そんな奴らを私は今まで山のように見てきた。

「でも、誤解しないでね、ママはとても愛してくれているわ。やっぱり自分のお腹を痛めた子どもだからね。それはもうかわいがってくれるわ。一人娘だし。四十過ぎてやっと授かった子どもだもの」

「・・・」

 私にも娘がいた。まだ小さく今まさにかわいい盛りで、かわいくてかわいくて仕方ない。

「家にお金がないわけじゃないし、やりたいこともさせてもらっている。私はチアリーダー部に入っているの。誰かを応援するってのが私はなんか好きなの。なかなかいい趣味でしょ?」

「ああ」

 やっぱりこの子はいい子だ。私は思った。

「だから、生活とかに不満があるわけじゃないのよ。学校でも割かしうまくやってるし・・」

 そこで、彼女は一寸黙った。

「でも・・」

「でも?」

「でも、不安なの。やっぱり不安になるの。自分のアイデンティティーって奴が不安定になるの。よりどころがないって言うか。自分の出自のこと、そして、私という存在の意味。それだけじゃない思春期の女の子だったらもうそれだけでいろんな悩みがあるでしょ。だから・・、私はいろいろ悩んでいるの。まあ、もちろん、だから、年頃だからっていうのもあるんだけど、当然こんな珍妙な出自の仲間もいないしね。みんな必ずお父さんはいるわけだし。離婚してようが死別してようがその存在はあるのよ。存在していたという存在があるのよ。でも、私には一切ない。存在すらがない。ただのDNAなんだもの。ただの情報なんだもの」

「・・・」

「不安なの・・」

「・・・」

「私という存在の文脈が途切れている感じ」

「・・・」

「人間はたぶん連続なんだと思う。私という個だけでは生きられないのよ」

「・・・」

「こう見えて、とても悩んでいるの私。そう見えないでしょ。損な性格なの。私って。かわいそうに見えないかわいそうな子なのよ」

 彼女はそこで初めて悲しそうな顔をした。これが、彼女の抱えている内奥の部分なのだろう。

「不安。苦しいわ。とてもとても苦しい。私がどこから来たか分からないってことは私がどこへ行くか分からないってことだもの。自分が何か人の意図によって作られた存在の残骸のような気がする時があるの」

「・・・」

 才能はアンバランス。一つの才能が突出するということは他の才能が犠牲になる。そういうものだ。だからこそ、歴史上の偉人たちは、変人が多いし、人格的に問題のある人間も多い。実際、核兵器や、原発を作って来た連中はそういう人間たちだ。そんなことも分からずに、完璧な人間を遺伝子操作で作ろうなんて、なんて、科学者たちは愚かなんだ。私は憤った。

「・・・」

 しかし、まあ、それがまさにアンバランスなのだが・・。

「でも、こんなこと、どうでもいいって思えるんでしょ?」

「えっ?」

 突然彼女は私を見上げてきた。まるで救いを求めるかのように、その目は潤んでいた。

「まるでなんであんなことに悩んでしまっていたんだろうって思えるんでしょ?大人になれば」

「・・・」

「それを訊いてみたかったの。訊けないでしょ。親とか先生には。こういうこと」

「・・・」

 大人になっても人生は苦しい。それが四十二年生きてきた私の結論だった。多分生きるっていうことはそういうことなんだろうと、今では割り切っている。いや、割り切らなければ生きてこれなかった。

「ああ、大人になれば、ああなんてあんなことって思えるよ」

 私は嘘を言った。大人になれば、大人によって隠されていた、人間のより汚い醜さを見るだろう。より人生の理不尽や矛盾が見えてくるだろう。それが彼女の言うこの時代の現実だった。

「安心した。そう言ってほしかったの。誰かに」

 彼女は立ち上がった。

「たとえ嘘でも」

 彼女は私を見て、にこりと大きく笑った。

「・・・」

「じゃあ、アイスありがとう」

「あ、ああ」

 彼女は右手を上げると、笑顔で田舎の闇の中に消えていった。まるで今までのすべてが幻だったみたいにその先に消えていった。

「・・・」

 残された私は、しばらく彼女の消えていった闇の中に彼女の余韻を見ていた。そして、残りのビールを飲みほした。彼女は彼女の感のようなもので、この時代の真実を知っていたのだろう。

「さて」

 私も帰って寝なければ。私も家に向かって歩き始めた。

「・・・」

 私はむしろ平凡こそが最強なんだと思う。平凡は突出もないが、欠落もない。そもそも人の優劣など相対的なものでしかなく、客観的に見れば人間などみな愚かで弱い生き物だ。

 私は彼女の消えていった闇の彼方を振り返り、もう一度見つめた。

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