#38 悲しむ
1人の女が「キャーッ!」と叫んで、逃げていった。
それは笛野宮さんだった。
野次馬たちはそれに釣られてつい逃げていく。
地響きが近づいてくる。振動も音もどんどん大きくなる。
僕はフェノメノンの足を引っ掛けるため、鎌を巨大にした。
そして周回者はついに来た。
ふやけた皮膚のような白っぽい色、ベッタベッタと粘液を纏った細長い手足のフェノメノン。額には胎動する肉の提灯を乗せ、ハエのような羽と体毛をところどころ生やした、猫背の人型チョウチンアンコウ。
鎌に、そんな不快を練り固めたようなフェノメノンの脚が引っかかる。
ぐにっという弾力のある感触。
フェノメノンは少しよろめくが、むしろ僕の体が引っ張られた。僕は鎌ごと蹴り上げられてしまった。
紐切れみたいに長細く見えていた手足は、そいつの頭や胴体に対して弱細く見えるだけでしかなかった。
僕は手からフェノウェポンを離してしまった。
鎌は転がり、スマホへと戻っていく。
鎌で踏ん張ることもできず、身体を投げ飛ばされる。しかし背中にぶつかったのは硬い痛覚ではなかった。
ユウリにキャッチされた。
「っありがとう!」
「うん!」
フェノメノンは立ち止まっていた。
ユウリは僕を地面へ降ろす。
レイジは転がった僕のスマホを拾い、僕に投げた。
「エイジ!」
僕はそのスマホをなんとかキャッチすると、フェノウェポンを出す。
レイジが火球を吐き、フェノメノンにぶつける。
フェノメノンは驚いたように微振動してレイジの方を向き、涎を垂らしながら叫んだ。思わず耳を塞ぎたくなるほどの、つんざくような悲鳴。効いているらしい。
僕はその隙にフェノメノンに走り、切り掛かる。
しかしフェノメノンは、全身を折り紙を折ったみたいにぐにっと後方に圧縮させて、僕の鎌を避けた。
収縮したということは、元に戻るということだ。格好の餌食という位置に来てしまった僕は、すぐさま横に逸れる。
そのタイミングで、フェノメノンが手に瓦礫を握っていることに気がついた。
瓦礫を丸めて固め、ねばついた涎でコーティングした団子の凶器。
だがそれを言う隙も与えられず、フェノメノンは元の幅に戻る勢いとともに瓦礫団子を投げた。
僕はその手に鎌を振るが、空振り、間に合わない。
ユウリがすぐにすっ飛んでいった。
瓦礫の先は、既にある程度の距離逃げているはずの、さっきの野次馬たちの方だった。
しかしその豪速球は、そんな遠い距離でも届くであろう速度だった。
ユウリは追いつき、両方のツメを振り翳して瓦礫を破壊した。
しかしフェノメノンが投げた瓦礫は2つあった。
ユウリの背中に、それが直撃。
ユウリはふらふらと地面へ落下した。
「ユウリ!」
レイジは走っていった。
フェノメノンは巨体を横へ向けると、また東京の外周を走っていった。
僕もユウリの元へ駆けつけた。
レイジはユウリを抱き抱えると、訊いた。
「なんで……なんであんなやつら守ったんだ!」
「あんなやつら?」
野次馬が言うが、僕が目線をやると後ずさった。
「だって……目の前で誰かが死んだら、エイジが悲しむから。
エイジが悲しんだら……お兄ちゃんもきっと悲しくなる。そうしたら……私も悲しいから。」
そう言って目を閉じるユウリ。
レイジは泣き叫んだ。
「治療する。ラボに戻ろう。」
笛野宮さんが言った。
「泣ける、感動した……!」
「シャッターチャンス!」
「帰れ!」
僕は怒鳴っていた。
そして僕たちは、ラボへと戻った。
……
「命に別状はないよ。今は眠ってるけど……十分に身体が回復したら目覚めるはず。学者としては100%なんて言い方したくはないけど……ユウリちゃんは確実に目覚めるよ。」
笛野宮さんは言った。
「そうか……ありがとう。」
レイジが言った。
「うん。……何か、飲み物でも買ってくるよ。」
笛野宮さんが言った。
「なんでなんだろうな。あんなやつら……」
レイジは言った。
「お前や……ユウリは、ユウリは優しいからああ言ったけど、俺には思えねえ。あんなやつら、守る価値あるようには思えない。」
「そうかもな。」
僕がそう言うと、レイジはこちらを見た。
「でも僕は、目の前で誰かに死なれたら胸糞悪いから。」
僕は続けた。
「幼馴染が目の前で殺されて……僕はもう、二度とそんな目には遭いたくない。
そんな、自分のエゴで戦ってる。……別に、直接誰かを守るために戦わなくてもいいんじゃないか?
ユウリ自身が僕たちにしたように、レイジもユウリに残酷な場面を見せないために戦ってもいいんじゃないかって、僕は思う。」
「……俺バカだからさ。そんな長々と話されたって、何にもわかんねえよ。」
そう言って、レイジは笑った。
「それにしてもフィブラ遅くねえか?」
レイジが言った。
そう言われると僕は不安になって、笛野宮さんに電話をかけた。
「あもしもしー?桜田君どうしたのー?」
「あっ、笛野宮さん」
ちゃんと電話は繋がった。
「いえ、なんでもないです。……温かいやつでお願いします。」
「えー、まだ根に持ってるの?真冬にキンキンに冷えたビール買ってきたの」
「そもそも僕まだ18歳で未成年なんで、キンキンとか関係なく飲めないんですよ。」
「はいはい。でもな〜!もう気温も結構温かいし、どうしようかな〜!?」
レイジはユウリの手を握って、そして戻した。
再び席に座り、スマホを操作していた。
「あれ?もしもし?桜田君聞いてるー?」
「あー、はい。それじゃ」
「え、ちょ、桜田君!?」
僕は通話を切った。
僕もスマホをいじって、笛野宮さんを待つことにした。
SNSを見ると、また『東京』がトレンドになっていた。
タップしたところで、レイジが言った。
「ちょっと、トイレ行ってくるわ」
レイジは少し震え声だった。
こういう時は、一人にしておいた方がいいだろう。
「了解。」
僕はレイジには目をやらず、スマホの画面を見たまま返事をした。
扉は、ガチャリと音を立てて閉まった。
◯ラボ、撤退。巨大フェノメノン東京外周を走る。
さっきのことが既にネットニュースになっていた。
◯結構建物壊れたらしい。これが自分の近くに来たらと思うと怖い……
◯フェノメノンも外回りか。お互い大変だな。俺もお前も仕事辞めてニートになれたらいいのに。
◯ラボがんばれ
◯ラボよっわざっこ
◯ラボって、国の組織だし税金で働いてんだろ?税金もらってんだから守って当然。なのにこの体たらく。どう責任取るの?
◯なんか悲壮感漂わせてるけど今頃ステーキとか寿司とかペチャクチャ汚らしく食ってそう。庶民の生活を破壊しても関係ない、むしろメシウマなんだろうな怒
#搾取上級国民カルト集団ラボの無能メンバーらは謝罪しろ
#怒り心頭
#正義の鉄槌を
◯大変だと思いますが、頑張ってください…!
こういう時はあんまりSNSを見ない方がいいのかもしれないけど、つい見てしまう。
そのままスクロールする。
すると、2枚の画像が出てきた。そこには見覚えのある人物が映っていた。
1枚目は、血まみれで倒れるユウリの姿。2枚目は、野次馬たちをユウリから引き剥がす笛野宮さんの姿だった。
多分……ユウリが瓦礫を受けて落下してから、僕とエイジが駆けつける前に撮られた写真だろう。
さっきの野次馬の誰かががやったのか。こんなのネットに上げて……僕らでない、ユウリのことを全く知らない人が見たって、悪趣味だって思うだろう。
実際、めちゃくちゃ叩かれていた。
フェノメノンや僕らがそういうショーだと思っている派閥の人は、称賛していたけれど。
◯オレこいつら嫌いだったんだよね。くそざまあw
◯血まみれロリえっど
◯無修正リョナ画像たまらんねん!
僕はアプリを閉じた。
そして天を仰いで、息を吐いて、吸って、吐いた。
そして思った。
「さっきの画像……レイジ見てないよな」
さっきのレイジの様子を思い出すと……まずい。そんな気がした。
僕は勢いよくソファから立ち上がると、ドアを開けかけた。
だけど僕が今出たら、ユウリを一人にすることになる。
「ただいま〜」
笛野宮さんが帰ってきた。
「笛野宮さんッ!」
「えっ、どうした?」
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