9-4

「うう……頭の中がパンパンになっている……」

「ちょっと休憩する?」

「賛成」

 と、光は床に寝そべった。

「ああ、高校三年生〜」

「あ、知ってるその歌」

「お。さすが千歳ちゃん」

 二人でにこにこと笑い合う。

 それが心地いいのは嘘ではない。

 でも––––。

 そのとき、ドアをノックする音が聞こえた。

「光。会長くんが来たよ」

「えっ」と、光は飛び起きた。「あれ、今日はテストなんじゃ」

「テストはパスした」

 と、和洋が息を切らして部屋に入ってきた。君尋は、ふふ、と笑い、リビングに戻っていく。

「いいの? 大事なテストなんじゃなかったの?」

 千歳の言葉に、和洋は即答する。

「いいんだ。どうせ受かるし」

「さっすが会長〜」

「こっちの方が優先順位が高い」

 と、和洋は床に座った。

 千歳は感嘆する。

 この人は、友達のために、ここに来た。

「で、どこまでなにをやった?」

「えーとね、ちょっと待って、いま休憩中で……」

「よし。休憩が終わったらすぐ再開だ」

 と言って和洋は上着を脱ぎ、長袖を丸めて腕を出した。

 千歳は驚愕する。

 和洋はガッツポーズを取る。

「俺に任せろ」

「任せた!」

「いやお前も頑張れ!」

「ラジャ!」

 そんなに見つめてはいけない。そう思い千歳は教科書を開いた。

 ドキドキしている。

 この人の腕は、こんなに力強かっただろうか。

 血管が浮かんでいる。自分の腕とは明らかに違う太さ。まるで違う生き物のようだった。初めて見るわけではない。夏はしょっちゅう見ていたはずだった。しかし、いまの千歳には、そのころとは違う別の感情があった。

 “感動”があった。

 自分の感情の動きを、千歳は目の当たりにしていた。

「よし休憩終了」

「えっ。まだ休憩したい」

「休憩中でもスイッチは切るなよ」

「おっけ」

 笑い合う二人が千歳は微笑ましかった。

 この男の子たちは––––素敵な友達同士の関係なのだと、そう思えることが、あるいは––––。


 そして試験の日を迎えた。三日間の試験で、光は全力を出した。和洋と千歳のヤマが次々に当たり、光は圧倒的な手応えを感じていた。自分は留年などしない。みんなと一緒に卒業するんだ。そう強く強く思い、光は一つ一つクリアしていく。これが自分の高校生活最後の試験。そう思うと、自分でもおかしいと思いつつ、この試験が終わってしまうことをなぜだか残念がる光だった。


「はい、卒業決定」

 仁の発言で、光は飛び跳ねた。

「マジで!?」

「ま、そもそも留年なんかしないんだけどね」

 放課後、学級委員の仕事をしている三人の前に現れた仁のその発言に、光は目を剥いた。

「へっ」

「お前さん、追試をクリアしてるんだから留年なんかするわけなかろう」

「え、だってだって、教室で、みんながいる前で、あんな重い調子で……」

 仁はにやりと笑った。

「学校の先生が言ってることだからって正しいとは限らない」

「そんなあ〜」

 と、光は机に突っ伏した。

「お前さん、基本的には視野は広いけど、慌てると一気に狭くなるな。この情報化社会では不利ですぜ」

「うう……それはわかってはいるけどさあ……」

「とにかく赤点なし。つまり追試になるものは一つもない」

 仁はにっこりと微笑んだ。

「よくできました」

 光はカバンを持って立ち上がった。

「おれ、帰る! 君尋さんに報告せねば!」

「気をつけて帰れよ」

「ありがと会長! そして仕事ほっぽり出してごめんね! おれの役目はジン先生に任せたから!」

「えっ? ちょっと待ってくれ北原、ぼくはぼくで仕事が––––」

「じゃ、またねー!」

 駆け足で教室を去っていく光を三人は見送る。仁はとんでもなく後悔していた。自分には自分の仕事があるというのに、これでは学級委員の作業を手伝わなければならないではないか。タイミングが悪かった––––しかし、仁が微笑ましい気持ちで満ちていたことも確かだった。

「まったく、北原はどんがらがっしゃんなんだから」

「なんですか、それ」

「わかんない。いま、ぼくの中から自然に出てきた言葉」

「まあ、わからないでもないですが」

「それで、ぼくはなにをどうすればいいんだい? こうなっては乗り掛かった船だ。大黒、お前さんはいまなにをやってるんだね?」

「……」

「大黒?」

 千歳はどこか遠い目で、光が出ていった教室の出入り口を見つめたまま、ぼんやりとしていた。

 そして呟く。

「なんだろう……」

「なにが?」

 と、和洋が千歳の方を振り向くと、千歳はいまこの世界から切り離されているかのようだった。

 そして、千歳もゆっくりと首を動かし、和洋を見る。

「なんだか、君のことがとても好き……」

「……え?」

 仁は心の中で、苦虫を噛み潰したような顔をして、頭を抱えた。


「やった、やった、やったぜ!」

 夕日が沈み始めている時間の中、光は嬉しさではち切れそうだった。

「やったあーっ!」

 右腕を空に掲げ大きくジャンプする。

 いずれ夜が来る。

 いつか闇が迫る。

 ––––いまの光は、圧倒的な歓喜で満たされていた。

 ただ、それだけだった。


 EPISODE:9

 He Loves Her

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