第10話西岐城へ

 さて、時間というものは気に留めないとあっという間に過ぎていくように出来ているらしい。


 呂望リョボウ西岐サイキ城の城下町に辿り着いたのは、雲水真人ウンスイシンジンモトを去って実に3ヶ月近く経ってからの事である。


 彼の住まいは西岐サイキの城下町の中心で、造りは以前住んでいたのと同じ土壁で出来たモノだ。


 違うのは、山の方には部屋が3つあったのに対し、ここには4つあるという現実コトである。


 という事は、一室を密会の部屋専用にしてあとの一室は自分の部屋、残り一室を来客が泊まる“客室”に使用すればいいと、呂望リョボウアラカジめ決めていた。


 この素敵な家は、雲水ウンスイを慕う1人の男性が探してくれたモノで、西岐サイキ城に近いという点からでも良い物件だと、提案してきたのである。


“城の近くに住めば、何かしら注目をしてもらえる”


 そんな目論見があったかどうかは知らないが、呂望リョボウは1つ返事でこの家を借りたのであった。


 その日から住み始めて半年、町のあちこちで朗報ともいうべき噂が流れてくるようになる。


 それは、紂王チュウオウによって7年程殷の都で軟禁生活を強いられていた、西岐サイキ城城主である姫昌キショウが解放されたという、喜ばしい情報だった。


 彼を助ける為に城の者達はあの手この手を尽くしたようだが、結果は虚しく7年という歳月が経ち、尚且つ長男である伯ゆうこうも殺害されてしまったのだから、なんとも悼たまれないであろう。


 その噂を聞きつけた呂望リョボウは、早速彼等がこの集落に立ち寄るようにしようと、あれこれ策を練り始める。


 こうすることで、“自分が生まれ育った集落がまだまだ頑張ってくれている”と感じさせ、尚且つ自分自身も元気を出さなくてはいけないと考えるようになるのではないかとふんだのだ。


 幸いにもこの集落は姫昌キショウが不在であっても、活気が低迷するようなことはなく、逆にそれが他国にも良い影響を与えている印象を持つ。


 呂望リョボウはそんな心地良い雰囲気を壊さずに、且つ自分が目立つにはどうしたら良いか考え、行動してきた。


 その小さな努力が集落の人の目に留まったのは、ここへ来てから4ヶ月目のこと。


 つまり、今から2ヶ月前のことである。


 その日の呂望リョボウは胸の内に秘めた計画など一切表情カオに出さず、家の前でただ黙々と焚き火の準備をしていた。


 すると、同じ敷地内に住む人々が、“これから何が始まるのか?”と、興味津々な表情を浮かべて徐々に集まり始める。


 彼等は呂望リョボウがここへ来た当初から、次々と不思議な光景を見せられてきた。


 ある時は彼の“もうすぐ雨が降る!”という宣言に応えるかのように、時を置かず空がどんよりとしたかと思った瞬間、ポツリポツリと冷たい粒が落ちてきたのである。


 その粒は気が付くと降り注ぐ量が少しずつ増え、やがて集落全土を雨色に染めていった。


「今年は雨が少ないと聞いていたのに……」


 呂望リョボウの予言をその場で聞いていた住人の1人が、感無量と言わんばかりにポツリと呟く。


 その声をまた隣にいた若者が拾ってを繰り返すうち、住人達からは次々と賞賛の声が上がった。


「良かったのう。

お湿り程度だが、雨が降って」


 呂望リョボウのその声は、彼らの歓喜極まる叫び声に掻き消されていく。


 それでも呂望リョボウは、人々の役に立てたことが嬉しく、また何か困ったことがあったら、出来る範囲で手伝おうと密かに心に決めた。


 そして、避けては通れない戦から皆を守るにはどうしたら良いか、日々考え続けていた。


 そんな日常を続けているうちに、集落では彼の不思議な能力に興味を示す人々が続々と集まり……


 やがて噂は隣の集落まで広がって、今の地位を得たのである。


 さて、呂望リョボウが焚き火の用意をしていると、傍らでその様子を見ていた風の精―風伯カハク

「今度は何をやらかすのですか?」

と、不思議と疑いを織り混ぜた台詞を呂望に送った。



 風の精らしく、彼の回りに吹く優しい風が、肩まで伸びた黒髪を静かに揺らしている。


 その微風を肌で感じつつ、黙々と準備を進める呂望リョボウ


「今日は何を見せてくれるんだい?」


  横から中年男性の声が聞こえてくるや否や、呂望リョボウは得意気に

「まぁ、見ておれ」

と、片笑みを浮かべて言った。


 それから側に置いてあった青銅器製のビーカーを、炎の上に移動してから

「今から面白い手品モノを見せよう」

と、いかにも楽しそうな態度で言った。


“もっと近くに寄るが良い”と、広がり気味の民衆に、自信に満ちた声でそう命令する呂望リョボウ


 民衆はその掛け声を合図に焚き火の周りに集まり、ビーカーの中を一斉に覗き込む。


“前の方ばかり見てずるいぞ!”という怒鳴り声も聞こえた為、後でもう一度やってみせると説得して、呂望リョボウは引き続き実験を行った。


「この中に、この透明な石英を入れたらどうなるのモノか」


“しかと見ておれ”と民衆に念を押し、彼は頃合いを見計るように様子を見守る。


 暫くの間、青銅器製のビーカーの中を覗きながら彼は火の加減を調整していき……


 倉皇しているうちに、あの透明だった石英が段々と色濃く変色していったではないか!


 透明な部分が完全に黒く焼け焦げたところで、呂望リョボウはその石を箸で上手い具合に取り出し、暫し涼風に晒す。


 やがて手で触れられるぐらいの熱さまで冷めた石を、右隣にいた青年に何の前触れもなく呂望リョボウは腕を伸ばした。


 突然の出来事に驚いた青年は、石と呂望リョボウを交互に見つめ、かける言葉を失う。


 その彼の動揺を見抜いていた呂望リョボウは、クスッと笑い

「手品故に種は明かせぬが、その石自体は羌族にとって大切なモノだ」

“持っているがよい”という言葉と共に立ち上がる。


「さて、昼過ぎからもう1度この手品をやろうと考えておるが……」


“どうだろう?”と、訊ねるように集まる人々の顔を見回して様子を探る呂望リョボウ


 ある場所で一瞬その動きが止まるが、しかし納得したのかまたすぐに動き出す。


「何だ、もう終わりか……」

「もう少し見てみたかったなぁ……」


 落胆の声が相次ぐなか、呂望リョボウはニヤリと笑っていた。


 その様子を彼の左肩にちょこんと大人しく座っていた風伯カハクは、不思議に思い

「あの……何故笑っているのです?」

と、訊ねてみたものの

「数日経ってみれば分かることだ」

と、呂望リョボウに冷たくあしらわれ、“この場は仕方ない”とこれ以上追及するのを止める。


 そして、呂望リョボウのもとに姫昌キショウの使者が訪ねて来たのは、あの実験から僅か一週間後のことだった。


令和4(2022)年1月6日5:30~2月22日21:18作成


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