第8話二国の過去

 むかし、呂望リョボウが生まれるかなり前。


 かれこれ500年はゆうに遡るだろうか?


 その時の殷と羌族は、とても仲が良かった。


 侍従関係を結んではいたが、それはどちらが上というものではなく、お互いが尊敬の念を抱いていたからこそ、出来たのである。


 しかしいつの頃からだろうか。


 その関係は砂山のように、徐々に崩れ始める。


 年代ジダイを重ねるごとにキョウ族が強くなっていく事が、インにとって肩を並べる嬉しさを通り越し、恐怖を感じるようになったのだ。


“これ以上放っておけば、いつか彼等に滅ぼされてしまうかもしれない……”


 そんな、まるで高い壁が音もなく迫り来る恐怖に耐えかねたインは、キョウ族との友好関係を断ち切った。


 だが、それ以上に彼らの存在そのものを消そうと考えたのだろう。


 インは、“自分の種族こそ頂点に立つのが望ましい!”と言わんばかりに、キョウ族に対して執拗以上に攻撃をし始める。


 それどころか、キョウ族を打ち負かしたことをいいことに、近隣の種族にまで手を出し、次々と勢力を拡大させていった。


 しかし、キョウ族は羌族で打撃を受ければ受ける程強くなっていく。


 事実、数回に一度はイン軍に襲われても撃破し ている事から、彼等は分析して自分のものにする能力が優れているのだろう。


 それでも多勢に無勢、キョウ族は時の中でインの配下という名の奴隷と化してしまう。


 キョウ族は粘りに粘った。


 兎に角自分達に出来る術があるのなら、諦めずにに戦い続ける。


 だが、何かが足りずに次々と仲間の集落が、跡形もなくインの餌食となっていった。


 呂望リョボウが育った羌キョウ族の集落も、そんな経緯でイン軍に滅ぼされる。


 そうしているうちに、インは時間をかけて羌キョウ族の他の部族にも手を出し始め、次々と掌握していき、現在に至っている。


 奴隷となったキョウ族は一生涯働き詰めか、王族の墓守として生き埋めにされた。


 勿論、この他にも神の貢ぎ物-いわゆる生け贄-にされ、息を返さぬようにと首から上を切り離される形で埋葬される。


 他にもまだあるが、これ以上は残酷極まりない表現になる為、読者のご想像に任せよう。


 だが何故呂望リョボウがこんな時代に生まれたものの、然程サホド命の危機を感じていないのには、雲水ウンスイがいつも側にいたからであろう。


 

 それでも無意識とはいえ、戦いの場に足を運ぼうとしないのは、きっと頭の何処かで、平和だった村に突如殷イン軍に襲撃された光景を思い出しているのに他ならない。


 今でさえ、淡々とした表情で話を進める雲水ウンスイの声を否定している自分がいた。


「それで散り散りになったと思われる、わしの一族の生き残りは、今はどうしているのです?」


 静かに見守る雲水ウンスイに苛々し、呂望は訊ねる。


(結果論として仲間はいない)


“だから、訊いても虚しいだけ”と、彼は心の中で糠喜びする自分を嗤った。


「生き残りはいないと聞いている」

「矢張り」

「しかし、それは見せかけの情報に過ぎない」

「?」

「そういう噂を広めなければ、イン人が執拗に追ってきて、キョウ族は全滅するだろう?」

「あっ!」


 呂望リョボウは、雲水ウンスイの台詞にハタと気付く。


 それと同時に自分の胸の奥に広がっていた諦めにも似た感情が、ゆっくりと消えていった。


「師匠、という事は」


 入り口から入ってくる涼やかな風に背中を押させるように、呂望は期待に満ちた瞳で訊ねる。


呂望リョボウ、君の兄妹は高い山の方へ逃げ延びたそうだ。

そこには仲間もいるから、安心しなさい」


“大分年齢はいっていると思うが”と、言葉を付け足した雲水ウンスイの表情は、満面の笑みに匹敵するものだった。


「そ、それは嬉しいのう……」


 呂望リョボウは、言葉にならない言葉を何とか口から紡ぎ出す。


 ずっと……心の奥に押さえつけていた感情。


 人前では出してはならないと常日頃から言い聞かせ、自分で自分を思った通りに動かせなかった日々が、本当は辛くて辛くてどうしようもなかった。


 ただ、本来の自分ではない“何者か”を演じることによって、少なからず呂望リョボウの気持ちは晴れていったかのようにみえて……


「かなり無理をしていたようだな」

「えっ……?」


 雲水ウンスイにそう言われ、我に返る呂望リョボウ


 気付けば黒色の双眸から一筋の涙が頬を伝っていた。


“そんなことは……ない”


 そう言い張りたかったが、心とは裏腹に呂望リョボウは大きく頷いて

「わしは矢張り無理をしておったようです」

と、素直な気持ちを打ち明ける。


 ややあって落ち着きを取り戻した頃。


 呂望リョボウはゴクリと唾と緊張を飲み干し、話を切り出す。


「師匠、西岐サイキへ行っても宜しいですか?」

「行ってきなさい」


 呂望リョボウの申し出を快く承諾した雲水ウンスイは、満面の笑みを浮かべ

「出発の朝に渡したいものがあるから、楽しみにしておきなさい」

と、何処か嬉しそうに、まだ緊張している素振りを見せる呂望リョボウにそう伝えた。


 斯くして、ヨウヤク今最モットも注目を浴びている西岐サイキ-後の周-へ向かうと決めた呂望リョボウ


 これから何が起こるのか分からないが、それも含めて楽しもうと心に誓ったのだった。






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