おじいさんとおばあさんは山と川へ行け! バカとブスは東大へ行け!

惑星ソラリスのラストの、びしょびし...

第1話

 昔々、あるところにおじいさんとおばあさん、それにバカとブスが居ました。

 そこへ黒いスーツを着た男が現れると、めいめいを険しい顔で睨みつけた後で、

「おじいさんとおばあさんは……山と川に行け! バカとブスは……東大に行け!」

 おじいさんとおばあさんは山と川に、バカとブスは東大へ向かいました。

「おばあさんは、川の上流からこう、どんぶらっ、どんぶらっと流れる、あれだ、これくらいのォ、そうだ……桃、大きな桃を拾え!」

 おばあさんはその大きな桃を家に持ち帰ると、包丁で真っ二つにしました。

 すると中から元気な男の子が出てきました。

 スーツの男は「んんんあああああ!!!!!」と、赤子と桃を結び付ける臍の緒を素手で毟り取ると、ハンカチで丁寧に包み、大事そうにジャケットの胸ポケットへ仕舞いました。そうしてから、赤子へとぐっと顔を近づけ、

「お前、桃から生まれたんだろう?! だったらァ、あれだ……桃太郎、桃太郎を名乗れ!」


 *


 桃太郎はすくすくと成長し、立派な青年となりました。

「桃太郎は、鬼ヶ島へ行け!」

 桃太郎は、鬼ヶ島へ向かいました。

 旅の途中、犬と猿と雉が並んで、こちらへ向かって歩いてきました。

 スーツの男は三人を睨みつけます。

「あの、お腰に付けたきび……」と犬が言いかけるのを遮り、

「犬と猿と雉は……東大に行け!」

 犬と猿と雉は東大に向かいました。


 *


 桃太郎は鬼ヶ島に辿り着きました。

「東大へ行け!」

 鬼たちは東大へ向かいました。


 そこにはもう桃太郎とスーツの男しか残っておりません。

 桃太郎には最早斬るべき相手も、向かうべき場所も示されませんでした。

 桃太郎は生まれて初めての感覚、不安と恐怖、まるで自分の足元がぐらぐらと崩れ落ちていくような気持ちになりました。

 そうして、何日も何日もそこで過ごしました。

 桃太郎は日に何度か、縋る様な気持ちでスーツの男を見ます。

 しかしスーツの男は桃太郎などそこにいないように険しい顔で腕を組み、宙の一点を睨みつけているのでした。

 桃太郎はやむなく、その男を斬りました。


 男は血飛沫を上げ、ゆっくりと倒れました。桃太郎が駆け寄り、その肩を抱きます。

「阿部さん、僕は、僕はどうしたらいいんですか?! 僕はどこに向かえばいいんですか?! 教えてください! どうしてっ……」

 スーツの男はゼァ、ゼァと荒い呼吸を繰り返し、苦悶の表情を浮かべていました。そしてフーッと最期の息を吐くと瞳孔がゆっくりと開き、桃太郎はその腕に抱いた男の身体から力が抜けていくのを感じました。

「阿部さん、そんなっ……置いていかないで! 僕を一人にしないで!」

 刹那、男の眼はカッと見開かれ、今際の際とは思えぬ凄まじい膂力で桃太郎の肩を掴むと、ぐっと抱き寄せて、耳元でこう言いました。

「お前は……上位階層へ行け!」

「上位階層……?!」桃太郎は思わず聞き返します。

「そうだ……この世の中はなァ、やつら、〈大いなるもの〉がつくった、システム……因果律のなかで廻ってるンだ……やつらの都合がいいようになァ……」

「〈大いなるもの〉……因果律?! 一体、何の話を……そんなことより、僕は、僕はどうすれば」

「馬鹿野郎!」男はそういうとゴフッと血を吐きました。

「お前は……羊だ! 運命の……因果律の……眠れる羊……そのほうが、やつらにとっては都合がいいんだ……分かるか?!」

 男の剣幕に、桃太郎は何も言い返せません。

「だからァ、やつらと同じ土俵に立って、戦わなけりゃならない……! 俺には、これが精いっぱいだ……お前に斬られるしかなかった……やつらに逆らうには……!」

「阿部さん……!」

「胸の、ポケットを……」男が苦しそうに、桃太郎に言います。

 桃太郎は男のスーツ、その胸ポケットを探ります。中からハンカチに包まれた、干からびた臍の緒が出てきました。桃太郎と桃を、此岸と彼岸を、獣の裔と〈彼ら〉を結ぶ、臍の緒でした。

「これは……」

「それが……やつらと、お前を結び付けるだろう……」

 桃太郎は男の手を握り、力強く頷きました。それを見たスーツの男は、眠るように目を閉じました。

「阿部さん……!」

「俺たちの一生なぞ……因果律の流れの前では……ちっぽけな一滴……だが、時折こうして、やつらも予期しえぬ、収束しきらぬ運命が……特異点……これが俺の役目……由紀恵……」

 桃太郎はただ泪を流すばかりで何も言えません。黙って男の話を聞いています。

「桃太郎……お前は……上位階層へ行け! そして……〈大いなるもの〉を……一匹残らず……狩れッ!」


 *


 桃太郎はスーツの男を葬ると、上位階層を目指して旅立った。

 その後を知るものは誰もいない。

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