旦那様の本心の調べ方(まずは妖精をご用意ください)
ココですココ、ここ
第1話 ある伯爵夫人の朝
「行ってらっしゃい」
「おかえりなさい」
この二つを繰り返すのが彼女——アルデバラン伯爵夫人リリアン•キャンベルの日常。
長い茶髪と紺碧の瞳を持った女性だった。
健康的な引き締まった四肢は田舎貴族出身で街を走り回ってるうちに身についたもので、
三年前に都会に出てきてから少しずつ緩くなってくるのが最近の悩みの一つだった。
リリアン•キャンベルが政略結婚をして身分違いのお偉い旦那様と一緒に暮らして三年経った。
旦那様と全く進展もないまま三年が経った。
旦那様のことは嫌いじゃない。
伯爵という立派な爵位もお持ちだし、仕事は随分できるようでこの国の王子にも頼られているらしい。
無口ではあるけど少しだけ微笑んでくれる口元も、ちょっと冷たい眼差しもクールでかっこいいと思ってる。
でも…好きになってはダメ。
所詮私は政略結婚の相手、私自身には価値はない、好きになれば辛い思いをするだけなの、そんなことをいつも考えていた。
———朝日が昇って、自室のベッドのシーツを整える。
本当は使用人がやってくれると言うけどそんなことを任せるのは忍びなかった。
同じ部屋で寝る貴族もいるらしいけどそんなの私たちの生活では本当に本当に本当に全然想像もつかない。
用意された朝食を頂きに行くと、いつも旦那様は完璧に支度を整えてリリアンより前に食卓について座っている。
この旦那様———アルデバラン伯ヘロン•キャンベルは今年で二十八になる。
肩に少し触れるくらいの金の髪を一つに束ねて、冷徹な薄紫の目をして、ときたま微笑みを浮かべる程度で、基本的にはいつも無表情を貫いている方だった。
身長は並程度で、身体は細すぎはしないが、壮健という 言葉からは程遠い体つきだ。
一般的には見目麗しいと言われるような顔立ちかもしれないが、とにかく無口で、リリアンはこの三年間の間にほとんど長い会話を交わした記憶がない。
リリアンの前でだけかもしれないけれど、ヘロン•キャンベルという男はとにかく無口で寡黙で冷静で冷徹だった。
———六人がけのテーブルの同じ側に一つ席を離して座る、いつからかそれがお決まりになっていた。
メニューはハムと卵のシンプルなサンドイッチ、ベーコンとコーヒー。
このメニュー最初は好きだったけど、毎朝だと流石に飽きてくるな、料理人はもう少し気を遣ってくれないかしら、そんなことを思ってた。
「おはようございます」
「あぁ」
「大分大分あったかくなってきましたね」
「あぁ」
大抵の会話には毎回毎回このお返事が返ってくる。
一つにまとめた金の髪の奥にある目を上げようともせずに返ってくる
「あぁ」という返事が一般の家庭より少しばかり広い食卓を、冷たい海のように広くした。
そのせいで三年も一緒にいても何もヘロン•キャンベルという人間のことを知らなかったし、敬語も抜けることがなかった。
「今日もお帰りは遅くなりそうですか?」
「…あぁ」
「……お身体には、気をつけてくださいね」
「ありがとう、君も必要なものがあるなら使用人に頼むといいよ」
いつもそう言って、自分を頼れと言ってくれないヘロンのことが苦手だった。
朝食を終えてリリアンが食べ終わるまで無言で食卓に居座ったあとヘロンは席を立って玄関まで歩く。
これも三年間毎日繰り返されている。
早く食べろというプレッシャーを与えられているようで、リリアンはどんどんものを食べるのが早くなった。
「いってらっしゃい」
そうやってヘロンの背中に挨拶をすると無言のまま扉を開けて仕事へ出かけていく。
———リリアンはヘロンを見送ったあとで一人で自室にいた。
この家にいるのは使用人が二人と料理人が一人、ヘロンが選んだ人たちだからリリアンは家でやることもなく基本的に一人孤独に座って家に引きこもっている。
無理にでも毎朝旦那様と会話をしなければ声の出し方も忘れてしまうだろう。
田舎貴族から急に抜擢された彼女には都会で気の許せる友達の一人もおらず、
仕方ないからと窓から流れる雲を眺めたり、広い庭越しに街の様子を見るくらいしかやることがない。
リリアンが椅子に腰掛けて外を眺めていると、窓の内側を1匹のネズミが通りかかった。
こんな家にでもネズミなんているのね、なんて思いながらそれを眺めていると、
ネズミがリリアンの視線に気がついて振り向いた。
ネズミはリリアンと目を合わせたまま、右に三歩、左に四歩歩いた。
そしてリリアンがそれを目で追っていることを確信すると
「ヤバっ」
と声をあげてネズミが走って逃げていった。
ネズミが…言葉を口にして…?
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