第40話 はゆる、引き続き冒険譚を聞かされる①
それからのことは、だいたい想像がつくでしょう?
まあ一応、説明してあげる。
財団の研究施設を出た私たちは、汀さんの車で学校へと向かった。あなたの通う高校。
「時間割通りなら、五限は体育のはずだ。彼女は必ず、
運転席の汀さんが笑った。言うことを聞かない子どもに呆れる保育士みたいに。
「ただよい?」
「あの子は自分の体質をそう呼んでるの」
はるなが答えた。私たち(といっても身体はひとつだけど)は後部座席で足を伸ばしている。
「もともとこの世界の人間じゃないからか、魂の出入りが自由にできるんだって」
赤信号。汀さんはハンドルに置いた指で適当なリズムを取りながら待つ。
「上手く取り返すことができたとして、はゆるは必ず君を探しにくる。自分の肉体だと思っているのだから」
その言い方には、やっぱりほんの少し違和感があった。はゆるが私の身体を自分のものと思っているのは、仕方がないというか、はゆるに非はないというか、んー、でも……。
と、そこで私はふいに思い当たった。
「ねえ、はゆるの身体はどうなってるの?」
私の問いに、はるなの目が少し大きくなった。
「はゆるの魂は今この世界の私の身体に入ってる。そうなると、本来はゆるがいた世界での彼女の身体は、ずっと空っぽのままってことにならない?」
背もたれ越しに見える汀さんの横顔が、少し曇ったように見えた。
「それは――」
汀さんが言い淀んだ時、ちょうど信号が青に変わった。
「なにを言おうとしたんだったかな……そうだ、君は追ってくるはゆるから逃げなければならないんだ」
汀さんは話を逸らした。私は小首を傾げつつ、頷いてみる。
「……身体を取り返して、その後すぐにはゆるに事情を説明するんじゃだめなの?」
「おいおい、この身体は実はあなたのものじゃないから返してもらいます、なんて、君は面と向かって言えるのか?」
「でも逃げたって、結局いつかは真実を明かさなきゃいけないでしょ?」
「それはそうだが、君が逃げなければならない理由はもうひとつある。君の魂魄はまだ不安定な状態にあるんだ」
「不安定?」
「そうだ。三年もの間離ればなれでいたんだ。いくら本来の肉体だからって、そう簡単に定着するものではない。言い換えれば――肉体を取り戻しても、すぐにはゆるに見つかれば、また奪い返される危険がある。魂魄が肉体にすっかり定着して、はゆるの入り込む余地がなくなるまでは、君ははゆるに見つかるわけにはいかない」
詳しく説明されても、どうしても私の胸には、つっかえるものがあった。いくら水を飲んでもわずかに喉に残ってる気がする粉薬みたいに。
身体を取り返すというところが、どうにも納得できなかったんだと思う。はゆるも私も同じ和泉映なら、ひとつの身体で共存できないのかな。それこそ今の私とはるなみたいに――。
都合のよすぎる考えかもしれない。でも、そう考えずにはいられなかった。
考えていたら、いつの間にか車は学校の前に到着していた。
「いいか映、取り返したらすぐに戻ってくるんだ。車は向こうのコンビニに停める。長く学校の前に停車していては、事務員にでも怪しまれるからな。万が一なにかトラブルが起きたら、この携帯電話で連絡しろ」
私が答えるのを待たずに、はるなは意気揚々と車を降りた。私はその時初めて、はるなであり私が着ているのが、この学校の女子の制服であると気がついた。はるな曰く侵入のために汀さんがわざわざ用意したらしい。
そこまでする? とは、正直思った。
※ ※ ※
指示された教室に向かって、私は机に突っ伏す自分を見つけた。やり方なんて教わっていないのに、驚くほどすんなりと身体に戻ることができた。
そうして学校を後にするまで、私はずっとぼんやりとしていた。
汀さん曰く、この時空には無数の世界が存在しているらしい。でもそのすべてを
とにかく、不思議な感じがした。不思議なのかどうかすら曖昧なほど、不思議だった。
私の指。私の掌。私の髪。私の眼。
三年分成長してるけど、紛れもなく私。
成長してるわりに身長がほぼ伸びてないけど、やっぱり私。
尊くて、なんだか愛おしかった。
はるなとともに汀さんの車に戻る。汀さんは私が後部座席のドアを開くと同時に早口で指示した。
「私はこれから施設に戻らなければならない。映は一旦、はゆるの自宅アパートに寄るんだ。はゆるの部屋の鍵は?」
「私が取ったよ!」
はるながすかさず、顔の横で小さな鍵をつまんでみせた。なんて抜かりない……。
「よし。はゆる宅で必要最低限の金や着替えなんかを調達したら、はゆるが帰ってくる前に急いで出ろ。その後は、クオラル堂で合流しよう。私が暇つぶしに開いた雑貨屋だ。店への行き方ははるなが詳しい」
ふと隣を見ると、はるなが親指を立てて片目をつぶった。
車が走り出す。私は首を回して後ろを眺めた。はゆるの通う高校が、どんどん小さくなっていく。
身体を取り返した代わりに、別のなにかを置いてきたような気がする。それも、ものすごく大切ななにか。誰もその存在に気づきもしないくらいにありふれたものだけれど、人はそれを失うと生きていけなくなってしまうような、なにか。
私には結局、その正体がわからなかった。
わからないまま、秒速十何メートルかで過ぎていく街を眺めていた。
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