第38話 はゆる、すべてを聞かされる③

 なんの話をしてたんだっけ? 

 ああ、そうそう、三年前の回想だった。数日前のことを語る中でさらにさかのぼって三年前のことを語る。これはなかなか高度な話芸だよ。


 話を戻そうか。

 実験の内容については一応説明を受けたけれど、十三歳の頭脳では到底理解が及ばなかった。私は汀さんの話を聞いているふりをしながら、研究室の内装に視線を巡らせた。こういう雰囲気はわりと好み。スチームパンク的な。いや、スチームパンクとはちょっと違うかも。


 で、結局、どういった実験なのかはぼんやりとしかわからないまま、私は汀さんの指示通りにカプセルに入った。狭いところは好きだけれど、カプセルの中は狭すぎて少し息苦しかった。


「映、大丈夫か?」


 ガラス越しの汀さんの声が、くぐもって聞こえた。水の中から話しかけるみたいに。

 彼の周りには研究員が何人かいて、それぞれ与えられた仕事をこなしているようだった。研究員とわかったのは、みんなお揃いの白衣を着ていたから。


「それでは実験を始める。体調の異変を感じたら、即刻内側の非常停止ボタンを押すんだ。無論、我々も外から慎重に監視している」


 汀さんは無数のディスプレイと配線で要塞と化しているデスクの前に立ち、何やら操作を始めた。あれらのディスプレイと配線のすべてが本当にひとつ残らず必要不可欠のものなのか、私には判断できなかった。


 汀さんが表情を少し硬くして別の研究員を見つめ、頷き、手元でなにかを操作した。その直後、私の頭上で重く低い音が鳴り響いた。巨人用の扇風機が作動したみたいな音だった。内臓が震えるような感覚があったけれど、非常停止ボタンを押すほどじゃなかった。


 それが続いた。私はなにもしないで(そもそもなにもできなかった)、カプセルの中でじっと待った。時計は見ていなかったけれどたぶん何分かが過ぎた時、突如として音が止んで、カプセルが開かれた。


「大丈夫か?」


 汀さんがさっきと同じことを私に尋ねた。私は頷きつつも、釈然としない心地だった。今ので、はたしてなんのデータが取れたのか、さっぱりわからなかったから。


「…………、いずれも極めて安定しています」


 汀さんの斜め後ろに立つ研究員の一人が、ディスプレイを見つめてなにか長ったらしいことを言った。唯一聞き取れた後半部分から察するに、たぶん脈拍とか心拍数とか、それ系の数値の話だと思う。


「よし、やはりシステムに問題はないようだな。しかし、そうなると――」


 汀さんは研究員たちと専門的な会話を始めた。「乖離かいりが発生する時としない時が」とか「被験者の魂魄こんぱく状況次第では」とか、私にはまるで意味のわからない会話。よく知っているはずの汀さんが、知らない人たちと知らない話をしてる。私は少し心細くなった。


 その時だった。


「…………!?」


 私は全身に衝撃を受けた。雷に打たれたような。雷に打たれたことはないけれど、そうとしか言いようのない感覚だった。


 そして次の瞬間、私は不快な浮遊感を味わった。


 それは例えるならば、眠りに落ちる時の感覚に近いものだった。瞼を閉じ、浅い呼吸に身を委ねると、思考の速度が徐々に低下し、やがてクリームソーダのアイスが溶けていくかのように意識が漂い始め――ついには、ふっと身体から切り離される、あの感覚。私はこの時、眠る際に必要な工程の、最後の一段階のみを経験した。


「なに? なにが起きてるの!?」


 思わず叫んだ声に、汀さん含め白衣の人々がみんな反応した。


「どうした映、落ち着くんだ」


 汀さんの焦った声が、ずいぶん小さく聞こえる。急に私の耳が遠くなったみたいに。カプセルはもう開いているのに、閉じていた時よりも声が遠かった。


「誰か助けて!!」

「……319! コード2319だ! 至急…………よ!!」


 私に被せて、研究員の誰かが半狂乱になって叫んでいた。汀さんは視界の端で真っ青な顔をして、要塞と化しているデスクに向かい大慌てで動き回る。ディスプレイも配線もなにもかもぶち壊そうとするみたいに。その間にも私の意識はどんどん不安定になって、ついにはパスタみたいにめちゃくちゃに裂けてしまった。


「汀さん――――」


 喉を振り絞ってこぼした声が、汀さんに届いたかどうかは、最後の最後までわからなかった。

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