第5話見るな
僕の家は、家族全員怖い話好きだ。物心ついた頃から、僕は両親と一緒にレンタルショップへ行っては怖いビデオを漁っていた。
その中に、幼少の頃の僕には鳥肌の立つ話があった。それは素人の体験談を集めている怪談師の語る物語りの一つにあった話だ。
***
カップルでドライブをしている影像から始まる。
お昼頃なのか、お腹がすいた二人は湖の近くの店へ入った。
店員に人数を確認され、テーブルへ案内される。二人は案内された席へ着いて、注文を伝える。
料理が届くまで、二人で色々と話をしているとき、彼氏がテーブルになにか文字らしきものが刻まれていることに気が付く。
自然と彼氏が視線を刻まれている文字に落とす。
『顔を上げるな。俯いてろ』
なんだ?いたずらか?
彼氏が不思議がり、彼女に教えてやろうと顔を上げる。すると、彼女の後ろの席、さっきまで空いていたテーブルに女が座っている。
こちらを向いて。
ファミレスでよく見る座席の並びなので、彼女の後ろの席だと本来は背を向けているはずだ。彼女は自分の背後の異常に気付いていない。
俯き気味の女はずぶ濡れで、長い髪が顔に張り付いている。鼻や口は確認できるが、目は見えない。キ○ガイか?
「おい、何見てるんだよ」
彼氏が女に注意する。
女が顔を上げた。
目が合った。
いや、正確には合っていない。女の顔には目がないのだ。目があるはずの部分は黒く窪んでいて、まるで穴だ。
女がニタっと笑う。それを見て彼氏の顔が引き攣る。
彼氏の様子の変化に、彼女が後ろを振り返ろうとする。
「見るな!!」
彼氏の豹変に、彼女は驚いて動きを止めた。
「絶対に振り向くな。いいな。俺はトイレに行ってくるけど、何があっても振り向くなよ」
彼氏が席を立ち、歩いていく。
彼女は、彼氏がトイレに行ってからほとんど身動きが取れなかった。意味は分からないが、彼があそこまで興奮しているのは初めて見た。
店員が料理を運んで来たが、手を付ける気になれない。どれくらい時間がたったんだろう。いつまで経っても彼氏が帰ってこない。
彼氏がいくら待っても帰ってこないので流石に遅すぎると感じて心配し始めた頃、店の外で人だかりが出来ていることに気づいた。
何が起こっているのかと不安になる彼女の耳に"水死体が上がったそうだ"という店員同士の会話が聞こえてくる。
なぜか嫌な予感がした彼女は、料理も放って置いて店の外に駆け出す。
湖の方に集まっている人だかりを分けて進むと、彼女はその場に力無く座り込んでしまった。
トイレから戻らない彼氏は湖の畔で水死体となって発見されていたのだ。
***
「どうでした?」
ユキタカさんと廃墟探索をしている最中に、交互に怖い話をしていた。
廃墟は平屋造りで、一階しかない。すぐに探索は終わってしまった。
その上何も起きなかったので、あまりに早すぎる肝試しのお終いに予定が狂って、居間として使われていたであろう畳の部屋で二人胡座を掻いて暇を持て余していた。
「まあまあ」
ユキタカさんの「まあまあ」は褒めてくれている方だ。大体の話は、知ってるとかつまらんと言われる。
「ユキタカさんは初めて聞きました?誰がその文字を彫ったのか分からないですけど、その幽霊の女は、ずっとそこに居るんですかね」
「その地に縛られた魂、地縛霊ってやつなんだろうな」
「…顔を上げるな、か」
じゃあ次は私、とユキタカさんが吸っていたタバコを捨てる。畳に落ちた焼けた灰が線香花火のようにパチリと爆ぜて消えた。
暗闇と静寂が戻ってくる。
僕たちが来ているのは人里離れた地に立つ廃墟で、
音と言ったら遠くで鳴く牛蛙の声くらいのものだった。
「さっきのお前の話では顔を上げちゃいけなかった。実は、今いる廃墟にもルールがあるんだ」
雰囲気が変わる。彼女は僕が話した何処かの誰かの体験談では無く、"現在"の話をしているのだ。ここに来るまでにルールがあるなんて聞いてないぞ。空気が重くなったように感じる。
「ここの廃墟は、ルールさえ守っていれば大丈夫なんだ。何も起こりはしない」
ユキタカさんがすっと立ち上がった。
埃が辺り一面に舞って、ユキタカさんの懐中電灯に照らされた彼等はキラキラと輝く小さな虫のように見えた。
確かに不思議に思っていることがあった。僕たちはまだ風呂場を見ていなかったのだ。
風呂場ですか、と聞くと、そうだと返ってくる。
「ここの廃墟は風呂場で怖い噂を聞くことが多くてな。最後に残しておいた。」
ずんずん進んでいく彼女を追う。平屋なので、あっという間に風呂場に着いた。引き戸が閉まっている。
「じゃあ、開けるぞ」
え?ルールは?
僕の気も知らないでユキタカさんが戸を引き、懐中電灯で中を照らす。中は今と比べると古臭い印象は受けるが、普通の風呂場だ。ステンレスで造られた風呂釜の中はどす黒い液体で満たされている。
真っ黒な風呂釜の中で何かが動いたように見えた。ルールが分かった気がした。
「ルールは何ですか?」
それでも、確認をする。ユキタカさんがニヤッと笑った。
「"湯船の中を見るな"だ」
ユキタカさんが懐中電灯で風呂釜を照らす。
墨のような液体が満たされた箱の淵に見覚えのあるものが引っかかっていた。
指だ。指が風呂釜からにょきりと四本飛び出して、釜の淵を掴んでいた。
その指が動いた。力を入れて湯船から身体を引き上げるように。
いつの間にか牛蛙の鳴き声は止んでいる。
ユキタカさんのライトに照らされて何かが浮かび上がってくる。
墨色の液体と同じくらい真っ黒な濡れた長髪。遅れて、耳をつんざくような金切り音が響く。
……それが女の叫び声だと気付くのにそれ程時間は要さなかった。
***
帰りの車の中で、ユキタカさんに馬鹿にされる。
「臆病者」
女の叫び声だと気付いた僕は、ユキタカさんの手を引いて全力で廃墟から飛び出して、真っ暗な獣道を駆け出していた。
途中、ユキタカさんが何事か叫んでいたが、彼女の話を聞く余裕が無かった僕はそのまま彼女の車まで走って戻ってきていた。
「お前のせいで、服も破れて擦り傷だらけだ」
ユキタカさんが運転しながら"ほら、ここ"と傷跡をアピールしてくる。
「あのオバケはなんですか……」
今の僕には彼女ほど冷静に物事を考える余裕は未だない。
「さあなー。女の幽霊が出るって噂ではあるけど、何処の誰かは知らん」
「あの幽霊も地縛霊ってやつですか?」
噂になってるほど目撃されてるってことは、あの廃墟に縛られた霊なんだろう。昔あの風呂場で殺されたとかそんな曰く付きとかで。
ユキタカさんがニヤリと笑って答える。
「面白い事に、あの廃墟に女の幽霊が出るような事件や話は無いんだ」
「そもそもあの廃墟は、田舎に越してきた老夫婦が建てたもので、それ以前も以降も人は住んでいない」
「老夫婦も普通に亡くなっているし、曰くになるような事が何もない地なんだ」
「あの女は、何処からやって来て、何故あの廃墟にずっといるのか」
案外、居心地が良ければお前の家に越してくるかもよ。
そんな茶化しを入れて彼女は笑ったが、今の僕に笑い返す気力は起きなかった。
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