第3話悪夢障害
研究室の先輩と談笑していると、ユキタカさんがやってきて
「今週末は暇か?」
と尋ねてきた。
この時期になると、自称助教授の彼女に色々なところへ連れて行ってもらい、そこで見聞きした様々な不思議な体験・話が僕の好奇心を満たしていた。
彼女からの誘いは余程のことがない限り断ることはせず、彼女を慕い、彼女に惹かれていった。
その日も、僕は先輩の羨む眼差しを尻目に、二つ返事で承諾したのである。
週末になり、早朝からユキタカさんと合流した。
行き先は未だ知らされていないが、今日は朝早くからの集合だから遠くへ行くのかもしれない。
子供のようにわくわくしている僕に、ユキタカさんはこんな都市伝説を知っているかと尋ねた。
ある女性が不本意な妊娠をしてしまった。相手が誰なのか分からず、彼女自身子供が欲しいとは思っていなかった。
そんな彼女が選んだのは、生んだ自分の子供を駅のコインロッカーの中に放置するというものだった。
彼女は罪悪感に苛まれ(さいなまれ)ながらも子を捨てたのだ。
それ以来、自分が犯した罪から目を背けたくて、そのロッカーへは近づけなかった。
それから五年ほど経った頃。
仕事も順調で彼氏もでき、結婚もそろそろと考えている所だった。彼女は幸せだった。
ある日、彼女はどうしてもコインロッカーの近くを通らなければならなかった。一瞬、過去を思い出して足取りが重くなるが、直ぐに通り抜けようと歩を進める。
自分が行った罪を忘れたわけでは無いが、今の彼女には当時感じた罪の重さは薄れていた。
彼女の歩みが、コインロッカーの目の前まで差し掛かった所で男の子が泣いているのに気づいた。
どうやら親とはぐれて迷子にでもなったようで、その男の子は一人だった。
なんだかかわいそうだと感じた彼女は、子供に声をかけた。
「ねえ、僕、どうしたの?」
しかし、男の子は答えない。
「ねえ、大丈夫?怪我とかもないかな?」
それでも答えは返ってこない。
「ねえ、僕、お母さんはどこかな?」
男の子は、すっと顔を上げると
「おまえだ!」
そう言ってユキタカさんは"わぁっ"と脅かす。
「コインロッカーベビーでしたっけ?ポピュラーな都市伝説の一つじゃないですか」
呆れ気味で見ていた僕がそう答えると彼女は
「さすがに知ってたか」
とニヤッと笑う。
「当たり前ですよ。こんなの、怖い話が苦手な人だって知ってますよ?たしか、1972年にあった新宿駅での事件が基なんですよね。親は結局判明してないって話ですけど、この親はその後どういう気持ちで暮らしてたんでしょうね」
「今からそれを確かめに行くんだよ」
彼女は、ニヤッと笑った。
***
連れて来られたのは、他県にある精神病患者の施設だった。
そこの病院は山の近くに建てられていて、自然が豊かで広い敷地だという印象を受けた。ただ、施設の周りを囲っている高い鉄柵が何のためにあるのかを考えると、ここがどこなのかを思い知らされる。
ユキタカさんが正門で看守に声をかけて中へ入っていくので、その後ろをついて行く。
こんな所に一般人が入っていいのだろうか。
僕らは難なく病棟内に入ると、受付に看護婦さんが立っていた。
「すみません。先日お電話した松野美咲です。見学よろしいでしょうか。」
ユキタカさんが受付に声をかけて、何かの紙面を差し出す。
「はい。お待ちしておりました。どうぞ。」
受付の看護婦さんはユキタカさんが提出した書類を確認すると、明るい声で僕たちを中へ通した。
僕の理解が追い付かないままにスムーズに事が運んでいく。どういうこと?
「本名って松野だったんですか?」
「偽名」
「さっきの書類は?」
「医大の助教授と学生が研究も兼ねて見学させてもらう許可証」
「医大の助教授だったんですか?」
「違うよ」
朝から不思議には思っていたんだ。なんでこの人休日にスーツを着ているのだろうと。
この人、偽装してこの病院に入り込みやがった。もちろん僕は医大生じゃない。
バレたら一緒に怒られるじゃん、これ。
「今日はわざわざ東京からいらしたんですよね?」
ビクビクしている僕を他所に、看護師さんとユキタカさんの会話は弾んでいる。どうやら怪しまれてはいないらしい。
「ええ。ここの病院は精神疾患の方へのケアが素晴らしいと聞いたので。参考にさせて頂こうと思いまして。」
ユキタカさん得意の営業スマイルだ。
この人はスイッチのオンとオフがすばらしいほどはっきりしている。
普段の彼女はどんな話を振っても我関せずといった状態なのだが、都市伝説などのいわゆるホラーとなると、ころっと態度が変わる。子供のような目の輝きを見せ、普段からは考えられない行動力を発揮するのだ。
今回だってどこから聞いてきたのか、この病院に面白そうな話があると聞きつけ、実際に出向いているということだろう。
「あらそうなの?初めて聞いたけど、嬉しい噂だわ。」
看護婦さんは、もともと明るかった雰囲気をより一層明るくさせながら"次は入院施設ね"と案内してくれる。僕達は看護婦さんに患者の症状を色々と説明しながら各病室を見学していく。
そんなに教えていいのかと思ったが、普段は田舎だからその辺が緩いのか、看護師さんは積極的に話してくれている。
そうして順々に病室を進み、5つ目の病室に差し掛かった時に、看護婦さんの軽快な口調が止まった。
「ここの人は、んー……一般的な症状で入院されているわけでは無いんだけど……」
ユキタカさんの表情が一瞬変わった。
「どんな症状を訴えているんですか?」
「……中の女性は"悪夢障害"なの」
悪夢障害?
悪夢を見るから入院しているということか?
「本来は病棟で入院するような症状では無いんだけどね。本人にそう伝えても『夢が怖い。夢を見ないように治してくれ』と言って聞かなくて。本人の要望で入院中なの。」
看護婦さんの話を聞いて、ユキタカさんがニヤッと笑って"ここだ"と僕に囁いた。
「ご本人とお話はできますか?」
看護師さんに怪しまれないように、先ほどの営業スマイルを作りながら伺う。
「そうねぇ。彼女ならいいかしら。普段は一般の人と変わらないし」
ホントはダメなのよ、と内緒ごとを話す子供のようにシッと指を唇の上に添え、看護師さんは部屋の扉を開けてくれた。
部屋の中はベッドが一つ。個室のようだ。
ベッドの上で上体だけ起こして外を眺めている女性がいた。
「こんにちは」
「……どうも」
ユキタカさんは偽装した身分を説明して、夢の話を教えて欲しいと頼んだ。
女性は少し怪しんだ表情を見せたが、"わかりました"と夢の内容を話し始めた。
夢を見る
いつも同じ夢だ
私はどこか暗い場所にいる
どこなのか調べようと、身体を動かそうとしても全く動かない
四方を壁に覆われた四角い部屋のようだが、部屋はかなり狭い
寒い、暗い、怖い
誰か私をここから出してくれ
前方から光が差し込む
暗闇が照らし出され、私は眩しさに一瞬目を細める
光の先には影が見える
人影のようだ
光を背にしているので、顔は見えない。
助かったと安堵する
「お願いします、私をここから出してください」
人影が近づいてくる
私は違和感を覚えた
随分大きな人なのだ、巨人……
近づくにつれて、巨人の真っ黒に見えた姿が少しずつはっきりしてくる
赤
赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤…
視界いっぱいが赤なのだ
何が起きているのか、一瞬戸惑う
よく見ると一色の赤ではない
様々な赤が線を形取って私に教えてくれる
顔だ
私の視界いっぱいに、赤くて大きな顔が見えている
目があり、鼻があり、口があり
周りの明るさに私の目が慣れてくる
皮が剥がれ、肉がむきだしになった顔
爛れた(ただれた)ように閉じきった目
大きな顔には、赤ん坊のように泣きそうな表情が張り付いている
私が目の前の大きな顔に恐怖していると、男とも女とも区別が付かない声でその顔は言うのだ
「私でいいのか」
「ーーーこんな夢です」
そう言うと女性は口を閉ざした
「その夢はどれくらいの頻度で見るんですか」
ユキタカさんが問う。
「ほぼ毎日だと思います。覚えている夢は全てこの夢ですから」
「いつ頃からですか」
「だいたい三年前からです」
ユキタカさんが質問し女性が淡々と答える。
「では、三年前に何か原因となる出来事がありましたか」
一瞬、女性の周りの空気が止まったように感じた。
「…いえ、特には」
「そうですか。もう結構です。有難うございました」
失礼します、とユキタカさんが席を立とうとする。
「あ、あの、私の病気の原因は分からないんですか?とても気味が悪くて、落ち着いて寝ることもできないんです」
去り際に、女性がユキタカさんに尋ねた。
彼女はこの夢のせいで本当に困っているのだろう。
ゆっくりと振り返り、ユキタカさんは何やら思案しているようだ。そしてボソッと呟いた。
「悪夢障害の正確な原因は解明されていないようです。……一般的には日頃のストレスや不安、"精神に大きな負荷をかけた出来事"なんかが原因と言われたりしますね」
「三年前の出来事……それをあなたが乗り越えられるかどうか」
「それが悪夢を見なくなるために必要だと思います」
ユキタカさんの返答を聞いて、女性は驚いていた。
そんな呆然とする女性を置いて、僕たちは部屋を後にした。
その後も施設を案内してもらい、その最中、看護師さんが何度か先ほどの会話について質問していた。
ユキタカさんは、はぐらかすような言い方しかせずに深くは話そうとしないので、看護師さんも真相を突き止めることができずにそのまま一通り施設案内が終わってしまったが。
「本日は、貴重な見学をさせて頂き誠に有難うございました」
「いえいえ、こちらこそ。もうお帰りになるの?最後に教えてちょうだいよ」
女性との会話についてだ。どうしても気になるらしい。患者の症状の原因が分かっているかもしれないのだから、当然といえば当然の反応だ。
「そうですね。彼女が自分と向き合えばあるいは…。ただ、原因が分かったからといって、治療することができるのか、彼女が夢を見なくなるのかは私にも分かりません」
最後まで看護師さんは納得がいっていないようだったが、"それでは"とユキタカさんが背を向けたので、わざわざ止めてまで話を聞こうとはしなかった。
帰りの道中、車に揺られながらさっきまでの会話を思い出す。
「お前はどう思った?」
ユキタカさんから意見を聞かれた。病院内ではあえて口を挟まなかったが、僕なりに思っていたことがある。
「あの女性、3年前に子供を捨てたんですね。たぶんコインロッカーに」
女性の話から、僕はそう解釈していた。捨てられた子供の恨みからか、彼女は赤ん坊が迫ってくる夢を見続けている。
僕の考えを一通り話終わったところで、ユキタカさんが口を開いた。
「3年ほど前にな、ある女性が亡くなったんだ」
癌だそうだ、と言った。僕は意図が掴めず、どういうことですかと聞き返す。
「癌の進行具合は治療をすれば治るような状態で発見されたらしいんだが、当の女性には治療費を払うことができなかった」
「そこで、その女性は親族に頼った。彼女には娘がいたらしい」
「しかし、その娘が治療費を出さなかったらしくてな。娘以外に頼る存在のいなかった女性は結局、手を施すことなく亡くなってしまったんだそうだ」
悪夢障害の話とどう繋がるのか分からないが、その亡くなった女性も可哀想なものだ。
一人娘に見捨てられて亡くなってしまうとは……。
「ひどい娘だと思うか?だが、その娘の気持ちも分からなくはないんだ」
「その娘は孤児院育ちでな。産まれてすぐに、母親に
捨てられていたんだ」
「成人して、何とか生みの親を探し出した娘が出会ったのが、治療費に困って捨てた自分に懇願してくる母親だったんだよ」
「さっきの病室の女性。彼女も孤児院育ちで母親を亡くしているそうだ」
僕は背筋がゾクリとした。
悪夢障害の女性は"捨てられた子供"の方だったということか。
じゃあ、彼女の夢に出てきているのは……
ユキタカさんがタバコの煙を吐きながら言った。
「彼女の親はどういう気持ちで亡くなったんだろうな。後悔しているのか、恨んでいるのか」
そう言って、ユキタカさんはニヤッと笑った。
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