エピソード20 十一回目の選択

「エリー」

 そのタイミングは偶然か否か。創造主と入れ替わる形で現れた少女の名をそっと呟く。

 少女、エリーはサクヤの姿を見ると、ふわりと柔らかな笑みを浮かべた。

「やっぱりここにいたんだ」

「やっぱり?」

「ずっと思い詰めた顔をして、誰ともロクに会話もしていなかったから。だからもしかして巫女様に相談しているのかなって思って」

「ああ……」

「また巫女様に会えた?」

「いや、会えなかったよ」

 創造主には会ったけれど。でも創造主は巫女ではないので、その事は黙っておこうと思う。

「そっか」

 サクヤの返事にそう呟くと、エリーはそっと視線を下へと落としてしまう。

「……」

「エリー?」

 俯いたまま黙り込んでしまったエリーに、サクヤは心配そうに眉を顰める。

 どうしたのだろう。「やっぱり」と言うくらいだ。自分に何か用があって捜していたのではないのだろうか。

 急かさぬよう、なるべく優しく彼女の名を呼んでやれば、エリーは両方の拳をキュッと強く握り締めた。

「その巫女様の役、私じゃ務まらないかな?」

「?」

 意味が分からず、サクヤはコテンと首を傾げる。

 それでも黙ってエリーの言葉の続きを待てば、彼女はゆっくりと言葉を探すようにして、ポツポツとその続きを紡いだ。

「私にはもう、サクヤの話を聞く事しか出来ないから」

「エリー? 何を言っているんだ?」

 もうサクヤの話を聞く事しか出来ない? 一体何の話をしているんだ?

「サクヤにとって、私の記憶って必要だったんだよね」

「え?」

「カグラの記憶も、ヒナタの記憶も、サクヤにとっては必要なモノだった。だからサクヤは巫女様の助言によって二人に記憶の鍵を使ってもらい、その記憶の内容を細かく聞いていた」

「そ、それは……」

 確かにその通りだ。そして二人の記憶があったからこそ、サクヤは前世で自分が犯した罪や、このゲームが前世で好きだった乙女ゲームである事を思い出した。それは間違いない。

「でも、私は何も覚えていなかった。記憶の鍵を使ったのに。それなのに何を見たのか、何も覚えていないの」

「……」

 覚えていないのは当然だ。だってそれは彼女にとって、思い出したくもない記憶だったのだから。

 そしてその記憶を作ってしまったのは、他でもない自分だ。だから彼女に罪はない。

「もう一回鍵を使って思い出そうとしてみた。けど、鍵は何の反応もしなくって、何も見る事が出来なかった。ごめんね、サクヤ。私の記憶も必要だったよね」

「いや、そんな事は……っ!」

 エリーの記憶はなくてもいい。だってカグラとヒナタ、そして自分の見た記憶で全てを思い出す事が出来たのだから。

 しかしだからといって、エリーの記憶は必要ないなんて正直に言ってもいいのだろうか。そんな事を言ったら、エリーは傷付いてしまうのではないだろうか。

「もうすぐ魔王城なのに、光の力だって覚醒しないし……ごめん、サクヤ。私だけ、あなたの力になれてない」

「はあ? 何言ってんだよ、力になれてないなんて、そんな事ねぇよ!」

 力になれていない? 何を言っているんだ? だって彼女は……、

「サクヤは優しいから、そう言ってくれるけど……っ!」

「っ!」

 勢いよく顔を上げたエリーの表情に、サクヤはギョッと目を見開く。

 赤と青の双眼。そこからポロポロと、涙が零れていたからである。

「私だって、サクヤの力になりたかった……っ!」

「エリー……」

「ロクな答えだって出せないと思うけど……っ、でももう私には、サクヤの話を聞く事くらいしか出来る事が……っ」

 出来る事がない。

 しかしエリーがそう言い終わるか終わらぬうちに、サクヤは気が付けば彼女の体をしっかりと抱き締めていた。

「何も、しなくていい」

「え?」

「お前が頑張っていた事を、オレは知っているから」

 確かにエリーには何も出来ていないのかもしれない。光の力も覚醒していなければ、前世の記憶だって覚えていない。その上一歩間違えれば、魔王に恋して闇堕ちし、世界を滅ぼしてしまうとても厄介なヒロインだ。

 けれどもそのヒロインが悩み、頑張っていた事を、サクヤは朔矢を通して知っている。

 サクヤ裏ルートに入った途端、思うように事が進まず、彼女は苦悩する事になる。光の力が覚醒していないのに、仲間達は魔王城へと進み続け、刻一刻と最終決戦が迫って来るのだ。気ばかりが焦ってしまう。それでも自分の使命を果たすべく、エリーはどうしたら力が覚醒するのかと思い悩むが、その答えは見付けられず、好意を寄せていたサクヤにも呆れられ、辛く当たられるようになってしまう。その上、自分が救わねばならない国の王は故郷を滅ぼした張本人であるし、逆に敵である魔王には純粋な好意を向けられるのだ。

 サクヤとは違い、真摯に向き合い、優しくしてくれる魔王に、エリーは次第に心惹かれて行く。サクヤ達とは別れ、魔王であるリオンの側にいたいと願うようになるのも、仕方のない事だったのだろう。

 私は巫女の末裔だ。だから例え周りに味方はいなくとも、魔王を倒し、世界を救わなくてはならない。人として、魔王を好きになり、彼の手を取ってはいけない。そう、何度思い留まろうとした事だろうか。

 しかし度重なるサクヤの冷酷な言葉や態度に心が疲れてしまったエリーは、国も仲間も道徳も全てを捨て、結局は魔王の手を取る道を選んでしまう。そしてその選択により覚醒した闇の力で、彼女は世界を滅ぼしてしまうのだ。

 それが、朔矢がサクラとして辿り着いたリオンエンドである。

(リオンに堕ちずに頑張っても、結局はサクヤに認めてもらえず、サクヤのせいで途中で死んでしまったり、剥製にされても尚リオンに愛でられ続けてしまうんだ)

 しかしそれらのどのルートでも、自分はどうするべきかと悩み、そして努力した。仲間に隠れ、泣いていた日もあったと思う。ここにいるエリーだって、サクラと同じなのだろう。こうして自分に出来る事を必死に探しているのが、その証拠なのだから。

「何も出来ないなんて思っているのは、お前だけだよ。そんな事はないって、オレは知っているから」

「でも私、本当に何も……っ」

「そうやってオレの力になろうって、そう考えてくれている事が嬉しいんだ」

「でも……っ」

「お前だって、力が覚醒しなくて悩んでんのに。それなのにオレの事を考えてくれてありがとうな」

「……っ」

 声にならない声を上げて、涙を流す音が聞こえる。

 そんな彼女の頭を、サクヤは優しく撫でてやった。

「それなのにオレは、何度も道を間違えちまった。このゲームでも前世でも。お前はずっと側にいてくれたのに、オレはそれに気付かず、何度もお前を傷付け、そして悲しませた。オレの方こそ、本当にごめん」

「ゲーム? 前世?」

 何の事、とエリーが口にする前に。サクヤはエリーの肩を掴むと、力強く彼女の肩を引き剥がした。

「でもッ!」

 そして両手でエリーの肩を掴みながら、サクヤは真っ直ぐに彼女の瞳を見つめる。

 濡れた赤と青の双眼に、サクヤの姿が映った。

「オレはもう間違えないから! 二度とお前を傷付けたり、悲しませたりしないから! だから……」

 だから、もう一度だけ、

「もう一度だけ、オレと一緒に戦ってくれないか?」

「サクヤ……」

「オレは世界を救った後も、お前とずっと一緒にいたいよ、エリー」

「……っ」

 世界が平和になった後も……そしてゲームをクリアしたその後もずっと一緒にいたい。

 彼女に伝えたその想いは、果たしてサクヤのモノなのか、それとも朔矢のモノなのか。

「わた、わたしだって、サクヤとずっと一緒にいたい、よ……っ!」

 今を生きる『サクヤ・オッヅコール』の正直な気持ち。それが届いたのか、エリーはポロポロと涙を零しながら何度も頷く。

 そんな彼女の反応に、サクヤは困ったように眉を寄せた。

「泣くなよ、エリー。お前が泣くの、前から好きじゃねぇんだ」

「な、何よ、今更……っていうか、前からって何よ……っ!」

 サクヤってたまに分かんない事言う、と続けながら、エリーは引き続きポロポロと涙を流す。

 そんな彼女を、サクヤはもう一度優しく抱き締めてやった。

「でもお前が泣いている時って、大抵オレが悪いんだよなあ……」

「なっ、わ、私、そんなにしょっちゅう泣いてない……っ!」

 本当に今日のサクヤって意味分かんない、と怒るエリーが泣き止むまで。二人の影が離れる事はなかった。




 その場に腰を下ろし、光の巫女の墓に背中を預けながら、エリーはサクヤの肩にコテンと頭を乗せる。

 泣き疲れたのだろうか。エリーの目はトロンとしていて、今にも眠ってしまいそうだった。

「あのね、サクヤ」

「うん?」

「リオンの使い魔から手紙が来たの。明日の早朝、会いたいって。だから私、会って言って来る。私はサクヤと一緒にいるって決めたから。だからもうリオンとは会わないって。そしてこの世界を救うため、あなたを倒しに魔王城に行くって、そう伝えて来る」

「お前それ、たぶん狂愛エンドだぞ」

「狂……え、何?」

「一人で行くなって言ってんだよ」

「サクヤ?」

「オレも行く。危ねぇだろ」

「うん……ありがとう」

 嬉しそうにふにゃりと笑ってから、エリーはそっと目を閉じる。

 それを確認してから、サクヤもまた静かに目を閉じた。

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