第7話

二週間後。私は些細な事でナツトと口喧嘩をした。これからリクと会う事を出かける直前まで言い忘れていたのである。


ナツトが自分以外の男と密会をする様に落ち合うという事が気に入らないといい、それに対して私は半分程 啖呵たんかを切る様に強い口調で刃向かってしまった。

気持ちが煮え切らないまま私は自宅を出ようとすると、ナツトは玄関先で二度と帰ってくるなと口火を立てて、子どもの様に膨れっ面をした態度で私の背中を見送っていた。


その後、リクと神田駅で待ち合わせをして、神保町の古書店街の通り沿いを歩き、九段下駅の雉子きじこ橋通り手前のビルの中に入っていった。エレベーターで最上階まで行き、ドアを出ると目の前にある画廊に着いた。


美術館とは違い天井の低く二LDK弱の広さの室内となっていた。リクは現代美術に興味がある様でまだ知名度の低い日本画家が描いた絵画が好きだと言っていた。

西洋の絵画とは画角や描写のタッチが違って、日本人の持つ素朴なものが多い。彼が各画家の絵画について話している時は何処か楽しそうに目を輝せながら私に語っていた。


ある絵の前に立ち止まり、美人図と題したものの構図を目に入った時、以前ローズバインで働いていた美術学生の描き方に似ている様で彼の事を思い出していた。

リクが私に何か気になる事でもあるのかと言ってきたが、別の場所で見た絵と相似した点があると返答した。気になるものがあれば経営者と値打ちを相談交渉しても良いと促してきたが、またの機会にすると伝えた。


画廊を出た後、近くの洋食店に入り食事を摂ることにした。店内は昼時の客で満席に近い状態で賑わいを見せている。

私はナポリタンを、リクはビーフコロッケのセットを注文した。少しだけ焦げ目がついたスパゲティにトマトソースや具材が香ばしく絡み十分に腹も満たすことができた。


「食べるのが早い。よく噛みました?」

「いつもこのペースで食べているよ。ナツトにも良く突っ込まれる」


リクも美味しそうにコロッケを頬張って満足げに食べていた。彼はいつも一人で食事をする事が日常茶飯なので、一緒に向かい合って摂る事に嬉しさを感じているという。

私は時折彼が物を食べている仕草が視界に入ってきて、その様子を伺うと品格はあるものの淡々としており、物静かに口の中へ運びゆっくりと丁寧に味わう様に噛み砕くさまが印象的だった。このような時間帯に何故だが以前彼の家に一晩過ごした事を思い出していた。


私の身体の部位を一つ一つ確かめては、色白で関節が長い手の指や、梅重色うめがさねいろに紅く染まった舌使いで愛撫していく姿が浮かび、一瞬顔が火照り出してしまった。


「僕、何か付いてます?」

「いや。つい眺めてしまって……」

「気になる絵でもありましたか?」

「どれも素敵だったよ。初めて行った所だし、敷居が高そうな感じだったから、すぐには選びにくいかと。」

「そこまでかしこまらなくても良いですよ。あそこは無名の画家の集まりだし、月毎に絵画は入れ替わります。また気が向いたら行きましょう」

「気を遣わせてすまないな」

「いえ。都内にはたくさん画廊がありますし、顔見知りになれば色々交渉も効くだろうし。貴方ともご一緒するのが楽しみになってありがたいです」


謙虚そうな人柄なんだろうか。いつしか彼に惹かれていく画が、その隣りの席に座っているもう一人の私が投影してくる様に思えた。

恋人以外の男など堕ちるものかと考えていた。出会って間もない者に心が意馬心猿するなどもっての外だと気を逸らしていたのに、彼の場合は何かが違うのだ──。


食事が終わり会計を済ませて外に出ると、暗澹あんたんたる雲がこちらを睨みつける様に低く広がっていた。


「ひと雨来そうですね」


リクがそう告げると私は頷き足早に駅に向かっていき、地下通路に入ると周囲の通行人の何名かは傘を持ち歩いていた。プラットホームで電車を待つ間、私はふとナツトの事を考えていた。彼には今朝方の様な嫌な思いをさせてしまった事に心の隅で反省をしている。

だが、そんな事はつゆ知らずこうして別の男と肩を並べて仲睦まじくしている自分も如何なものかと悩み始めようとしていた。


「ナツトさん、家で待っているんでしょう?」

「まあな。今日は向こうも仕事が休みだし、一人で過ごしてはいるんじゃないか?」

「もしもだけど……彼もこうして他の男と逢瀬していたら、どう思う?」

「彼奴に限って其れは無い。仮にあったとしても隠さず告げてくれるだろう」

「彼も、言いたく無い一つや二つ……あったら僕らの事も隠しながらお付き合いします?」


すると、電車が入ってきて定位置に止まると、ドアが開き、人の列の波が動き出した。私は咄嗟にリクの手を握りしめ自分の方に身を引き寄せた。


「目黒に行く」

「僕の家へですか?」

「……頼みがある」

「何?」

「俺、少しの間だけお前と一緒になりたい。良いか?」


彼は驚いた表情をし言葉に詰まっていた。

やがて車両のドアが閉まり私達を振り切る様にトンネルの深い闇へと走り去っていった。

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