第3話
私達二人は百貨店のすぐ傍にある地下の喫茶店へ入っていった。ドアを開けると壁伝いに設置してある橙色のガスランプの灯が店内を包み込むように佇んでいた。
席に着き飲み物を注文して早速話の本題になり、福部という男性は何処か優しい眼差しで私を見つめていた。
「あの、何か?」
「ママの言っていた通りだ。貴方は人間味のある温厚な人だと。未だ会って間もないのに気持ちが落ち着いているんです。」
彼は年の頃で三十歳だという。ややなで肩寄りの瘦せ型の体形で、外観からは二十代半ばくらいにしか見えない程、モダンな顔立ちと、目元が小動物のようなくるりと丸い愛嬌のある瞳をしている。
聞くところによると、彼は長野の出身で十二歳の時に終戦を聞かされた後、一家で上京してきたという。その頃の印象としては東京には澄んだ空気は無く、空はいつも薄汚れたように濁っていて馴染めるか不安でいっぱいだったが、中学校に入学したころに、性の相違に気づいて高等学校を一年で中退したという。
再び家族が長野に戻り、一人暮らしを始めしばらく工場で稼ぎをもらい、十八歳で銀座界隈のキャバレーで給仕人として勤めた後、上野の繁華街の風俗店が並ぶ通り沿いの飲食店でシスターボーイと親しまれていたという。三年ほど前に辞め、歌舞伎町の飲食店を経て、現在は上野の別の飲食店で働いていると話していた。
彼の癖なのだろうか、頬杖をつく時に私の目をじっと見つめながら時折微笑んではこちらに対して物怖じしない雰囲気を醸し出してくる。至って正統派な青年といった感じだった。
「浦井さんは今はどちらでお勤めなんですか?」
「日暮里の設計事務所で働いている。専務が知り合いと親しくて紹介してもらったんだ。事務処理がメインで勤しんでいるよ」
「ローズバインからはかけ離れた世界だね。真面目だなぁ。貴方も男色でしょう?似たような店で居ようとは思わなかったのですか?」
「恋人と同居しているんだ。その人の為に敢えて違う職種を選んだんだよ」
「へぇ。僕はなかなか以前の店での癖が抜けないせいか、今の所を選ばざるを得なかった。」
「君を見て思ったんだが、その眼差しは誰もが好いてくれる顔立ちをしている。店での評判も良かっただろう?」
彼はクスクスと小さく笑い私の顔に近づいてこう話してきた。
「浦井さんも人を見る目がある。ジュート、貴方もまだまだいけますよ」
「何を言う。もうこんなに年老いているんだ。誰も相手になんかしないさ」
お互いの囁くような笑い声が響く。初対面でこのように気軽な気持ちで話ができているなんて不思議なものだ。まるで彼の勤めていた店に客人として相手をしているような感覚にもなる。
話術が巧みな方なのか彼の話し声に引っ張られるように私もその心地よさに浸っていた。
終始会話が途絶えない中、彼はある知人に電話がしたいと言い、席を立つとカウンター席の従業員に声をかけて電話を借りていた。その間私は胸元から煙草を取り出してテーブルの脇に置いてあったマッチに手を伸ばして覆いながら火をつけた。
しばらくして彼が席に戻るとこの後に用があるのでまた近日中にでも会って話しをしようと言ってきた。私は名刺を出してその裏に自宅の連絡先を書き彼に手渡しして交換した。
店を出ると薄明した街にネオンがところどころ灯り始めていた。私達はそこで別れてそれぞれの帰路へ向かった。
家の玄関の扉を開閉し靴を脱いでいる私の後ろにナツトが仁王立ちして腕を組んでいた。何をそんなに機嫌を損ねているのかと問うと、福部という男性に会ってきたことが気になってしようがなのだといつものようにやきもちを焼いていた。今日が初対面だったから珈琲を飲んで少しだけ会話が長くなっただけだと言っても、顔の頬を膨らみ出しながら幼児の様に独りで勝手に怒っていたのだった。
ナツトは昔からこうだ。
私が店で気の合った容姿端麗な客人と相手をしている時には、やんわりと一言断りを告げては図々しく私と客の席の間に入り仲を引き裂こうともしていた。店を辞めてから男の旧友と再会して外食をしてきて帰ってきた際に、玄関のドアの鍵を開けさせまいと取っ手を掴み合いなかなか家の中に入らせてくれなかった時もあった。
要は幼稚なのである。
ただそう長くは続かず時間が経てばいつの間にか気も晴れてしまう性分なのだ。
襖を閉めて着替えをした後、台所に立ち夕飯の支度をしようとしたらナツトは私の背中に寄りかかってきて御免と謝ってきた。
頭を撫でてやると自分も手伝うと言って二人で支度を行なった。
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