第7話 愛を忘れた動物

 意識が遠のいていく暖かい間隙の世界で、私は夢を見た。


 夢の中でジャックが私のもとから離れたところで、私は目を覚ますことができた。まだ生き延びることができたと思い、私は心から喜んだが、目覚めた場所は例の食堂のホールであった。床に寝かされていたようで、気分は特段に悪かった。


 私が起きて数秒後に、厨房を探索していた女性が気づいて男性を連れて寄ってきた。男性は暖かいレモンティーを入れてくれた。腹部は依然として痛みは残っていたが血は出ていなかった。装備していたナイフ四本は寝ていたところに並べられていた。


 私は助けてくれた二人への恩を感じていたが、やはり自分以外の人間は殺さなければならないという祖父の教えは守らなければならなかった。しかし、祖父の教えを実行するということは今の私にとって本当に間違えずに実行できるかどうかわからなかった。ジャックを殺そうとしたという行動が、正しいかどうかが引っかかって自分のポリシーを見失っている状態では、もはや何もしようとは思えなくなっていた。


「四本も隠し持っているとは恐れ入るよ。足のほうは損傷がなかったようだから触ってない。安心していいよ」


 私ははっとして胸のあたりを触った。祖父からもらった手帳はその場所にあった。所在に安心したとしても、手帳の内容のままに行動することが私にできるのか不安であった。


「大事なものがあると思ったから、そこは触ってないわ」


 女性は私にかかっていた毛布を整えながらにっこりと笑いかけた。ぱさぱさになった口でレモンティーをぐびと飲むと、随分と心が穏やかになった。


「うわ…真顔で、うれしくなさそう」


 厨房のほうから突き刺すようなドルベルの声が聞こえた。ドルベルはカウンターの影に隠れていた。彼は言葉を私に投げることはあっても、私に近づこうとは決してしなかった。


 男性は場を温めるために紹介をし始めた。


「僕はジェイソン。こちらは妻のアンナ。仕事は、二人で何でも屋をやってるよ。ペット探しから暗殺業まで」


 暗殺という言葉と私が眠る前に聞いた彼らの言う『あの子』が、記憶の中のセレンを彷彿とさせた。私は彼らがおそらくセレンの両親であろうと思った。


 ジェイソンの紹介の少し後、ドルベルが言った。


「暗殺業…あんたたち、そいつとジャックを殺しに来たのか?だったらなぜ助けたんだよ」


「シェルターが破壊されたら、みんな紫外線の病気で死んでしまうんだろう?そして死んだら不死のツチノコとかってやつになるらしいじゃないか」


 私はジャックからほとんど世間の情報を聞かされていなかったため、ジェイソンの話から初めてツチノコの基本情報を得た。


「不死になるんだったら、僕たちの仕事が無くなってしまう。僕たちは結構暗殺の仕事の割合が多いんでね。殺すことが不可能になったら僕たちは生活ができなくなるから」


「だから何でさ」


「依頼主から聞くと、彼も僕たちと同じ人殺しを生業とする少年だと言われて、なんだか他人事と思えなくなってね。いつか僕たちも処分されるんじゃないかと」


 神妙な顔つきで話すジェイソンに、アンナが肘で腕を突いた。突かれたジェイソンはくすくす笑った。


「あなたったら嘘つきね。正直にかわいそうだと思っただけでしょ。子供は殺しにくいって最初に言ってたし、セレンと同じ服を着ていたらなおさらに」


 君もだろ、とジェイソンも言い返した。私も合わせて笑ったが、心の中では二人の雁首を切り落としたくてうずうずしていた。


 仲睦まじく笑いあう二人にドルベルは冷たく言い放った。


「セレンはそいつが殺したんだよ」


 食堂の中にピリッとした不穏な空気が流れた。


「…どういうこと、さえない少年」


「もう五年か六年前、僕とそいつはとある施設で人殺しになる訓練をしていた。ある日、そいつは僕の仲間を殺すことができなくて、命令した先生を殺した。それでハッピーエンドかと思ったら、こいつの部屋の前であんたたちの子どもは頭がずり落ちてた」


 ドルベルの顔は話しているうちに青ざめていって、今にも吐きそうになっていた。


「あと、この異常気象がきてシェルター生活をしてる最中に、僕たちが頑張って生きようとしてたのに、おとなしくなったと思ったら急に狂いだして、僕とジャック以外の他の仲間をほぼ全員殺したよ」


 アンナは顎に手をあてて目を伏せ、ジェイソンは手を膝の上で震わせていた。


 私の信じる正しいことをするために行ったことで、人の死を一つ一つ頭にとどめておく必要はないはずであった。しかし、ドルベルが言ったことの全部が事実であり、言葉が私の中にあった人間の社会の虚像を刺激した。


「もっと言えば…」


「そこんところでいいんじゃないかな」


 軽やかな音がしてドアが開き、ジャックが入ってきた。腕まくりをした腕には包帯がまかれており、足も少しひきずっているように見えた。朝方の外に出て、シェルターが崩壊するか見張っていた。ジェイソンとアンナに『まだ』のハンドサインを送ってカウンターについた。


 ボロボロの姿のジャックには言われたくないと言いたげな表情で、ドルベルはジャックを見た。


「はぁ、君もそれが無かったら死んでたよ。もしくは腹を刺されたら。寝ている間に持ち上げたけど、防刃装備つけてないじゃんか。そいつが首しか狙わないと思ってるのか?」


「そのときは避ければいいじゃないか。あぁ君は動きが遅いから避けれないのか、死体運びのドルベル君」


 ドルベルは変に動揺することもなく鼻を鳴らしてみた。死体運びのドルベルとは、死体安置場から首を盗み出して提出しているとうわさされていたドルベルの行動を評してついたあだ名である。本当にそんなことをしていたかどうかはわからなかったが、顔の表情が落ち着きすぎているのと、肌の色が青くなりすぎていたことから、自分で殺していたかどうかセレンやジャックから疑いをかけられていた。


「人格破綻を起こして頭をバカにしないようにするための処世術にきまってるだろ。僕はそれほど強くないし、強くなれないし、この世界じゃ力のあるなしなんて関係ないし」


「それは本当に正論だ。敵わないぜ、エゴイストには」


部外者のアンナとジェイソンは口喧嘩を始めた二人をながめているしかなかった。


「君が僕の組織に入り込んでるとは知らなかったよ。やっぱりツチノコへの転生が目的?」


「そうだよ。死ななくなるんだから当然人間のままでいるより、ツチノコを選ぶにきまってる。ていうか、僕が信じてるのはジャックじゃなくてあのお方だけど」


「あのお方ね…」


 ジャックは私がいることに気づいて声をかけた。私が自分から歩いてくるとみて、ジャックはカウンターにかけて、席に誘導した。気まずいことを理由に私が話し出さないのを見て、ジャックは話を振った。


「腹、刺さなかったなー」


「刺せなかったの間違いだよ」


 会話は続かず、ジャックが言うことに私が返すだけであった。沈黙を破ったのはドルベルの発言であった。彼はカウンターの内側から言った。


「君がツチノコ軍団として入ってくれたら、人間をいくらでも殺せるってあのお方は言ってたんだよ?」


 ドルベルは私にそう言った。私はツチノコの集団の中で、人間としての役割を持つ可能性が与えられたことは確かであった。


「おっと、そろそろ時間だ。車に乗って」


床で胡坐をかいていたジェイソンが、壁にかかった時計を確認して叫んだ。思いついたように声を上げたため、私はドルベルへの返答を遮られた。アンナはティーカップの片付けをし、ジェイソンは私を持ち上げて横に抱え、二人をジャックが持っている車の後部座席に無理やり連れ込んだ。勢いで車の天井で頭を打ったドルベルは文句をジェイソンに投げつけた。


「何のつもりだ!ていうか、あの僕の面ってなんだよ」


 アンナが数分で戻ってくるとジェイソンは車を発進させた。急激にアクセルをかけて車は行きつく間もなく大通りに出た。スピードは高速道路で出すよりも早く、私はその速さに衝突事故を起こすのではないかとひやひやした。直進が続いたが、土地勘のない私にはどこに向かっているかはわからなかった。ジャックとドルベルは私の左側に座り、口喧嘩を続けていた。


 私はただ何も考えずに、朝の異国の街並みを眺めていた。なぜ私が今まで関心を持たなかった街並みに、目を奪われてしまったのか自分でも不思議だった。後部座席に子供が二人、前の席に大人が二人座っていて、殺される隙だらけであった。本来ならば人間が周囲にいるのに、なぜ私は殺す気になれないのか、不安になっていた。


「錦糸くん、だったかな」


 運転をしながら、ジェイソンは落ち着いた声で私に言った。それは自分の息子や娘と話しているかのような自然なニュアンスがあった。私は声を抑えて返事をした。


「君はセレンを殺したことにどんな理由があったのかな?」


 すかさず答えが頭に浮かんだが、同時に考えないようにしてきたセレンのことも浮き上がった。


「単純に言えば、俺の部屋にいたから」


 ジェイソンは困惑の声を漏らしたが、会話をつなげた。


「その理由大人にはわかりかねるな。僕たちはクライアントからの依頼を受けて、それに見合う報酬をもらうためにそれをする。その依頼も報酬とか内容で選ぶから、殺すことに見境がないわけでもない。だから、僕たちが殺す理由は仕事だから、になるわけだ」


「仕事は何のためにする?」


「お金をもらって、それで必要なものを得て生きていくため、かな」


「俺もそれと同じだよ。生きるために、人を殺している」


 わけわかんねぇ、とドルベルは悪態づいた。ジャックはわかりやすいようにフォローを入れた。


「つまりジェイソンさん、彼にとって生きるために人を殺すということは、人を殺すということが生きることなのですよ。…人を殺していなければ、殺さなければ、生きている証拠を見いだせない。でも今は何か違う」


 ジャックは冷静に私の行動原理を正確に理解して言った。


「俺はともかく、ジェイソンさん夫婦とドルベルに殺意を向けないのがおかしいんだよ。疲れているからかもしれないけれど…」


「前にもあったね、シェルターにいたときは静かだったよ。あ、わかった。正当防衛みたいに、敵意のある人しか殺したくないってやつ、今は緊急事態だから」


「それかも」


 私は不本意ではあったものの、その考えに賛成の意を示した。しかし、私はそれとは違うものを思い出しかけていた。それは心のうちにしまった。


 車に乗車して五時間ほどたった頃には、私は退屈な閉塞空間に飽き飽きしていた。カーステレオも流れず、たわいない会話も飛ばない車内は窮屈極まりなかった。


 静かすぎて眠ってしまいそうになったころ、静寂を裂いて襲ってきたのはシェルターが壊されて落ちてくるがれきの雨であった。すさまじい轟音に振り返ると、天井に張り付いていたものが背の高い建造物の上に落下しようとしているところだった。どちらも衝撃で砕け、道路に破片が散った。


シェルターの天井はすでにかなり破損しており、車の後部窓から見た空はもうすでに半分以上見えていた。空は黒に近い灰色の雲で埋まっており、かつて見た青い空などはかけらも見受けられなかった。


がれきの雨は車を追うように降り、ジェイソンはいずれ来るがれきの雨に追いつかれないようにスピードを上げた。


 ジャックは身を前の席に乗り出してジェイソンに言った。


「目的地はロンドン市街ですよね」


「そう。君なら知っているか。ロンドン市街には今のシェルターよりも厚い、何重もの構造になっている避難所。国中の人たちが、ツチノコにならないためにそこに大移動した」


「今日の時点では、すでにかなりの人が入ってるって情報なんですけど」


 ジャックは私がシェルターに入っている人間を皆殺しにしてしまうことを危惧していた。彼の守りたいという思いは、彼の親族だけではなく彼以外の存在にも波及しているようであった。


「君は何を恐れているのかな?僕たちは、君ほど錦糸君のことを知ってはいないけれど、修羅場はいくつもくぐり抜けてきたし、たくさんの人を痛めつけて動けなくしたこともあるから、彼に関しては僕たちが責任を持つよ。ジャック君は腕をけがしているからね」


 余裕そうな物腰にジャックはやきもきした表情になった。車窓からわらわらと人の姿をした生物が出てきたが、ジャックはそれをツチノコだと言った。私は人がいると思って、一瞬走り出していく自分を想像したが、ツチノコだと理解したとたんにやる気が失せていった。


振り返ると天井の見える穴は遠くになっていて、シェルターの破壊は行われていなかった。がれきに潰される心配はなくなったのだが、なぜ破壊を急に中止したかが異様に思えた。この時点ではまだ車の中は暑くなかったが、だんだん温度が高くなるような気がして、私はそわそわした。


ツチノコたちは都会のほうに行くと数が多くなり、道路に敷き詰めるようにならんで車の進行方向をふさぐようになった。ジェイソンは無理やりツチノコの壁を突っ切らずに、慎重に回り道をしながら向かっていた。スピードはそのままに蛇行を続けるため、車の中は右左に大いに揺れ、私は何度もガラスに頭をぶつけた。私は左側の二人に言った。


「これはどっちが仕組んだこと?」


 かなり挑発的な質問をしたが、二人はつかみかかってくるようなことはしなかった。ドルベルはジャックが真実を話さないところを見て口を開いた。


「単純にいえば、ジャックの計画は乗っ取られたんだよ…あのお方に」


 ドルベルの話によると、ジャックの興した組織『地球の子』は祖母の率いていた組織と統合した際に、祖母の説くツチノコ化による救済を求める者と、人間としての生き方を尊重する者の二つの派閥に分かれ、対立を深めていた。祖母のほうを支持する方は、時間を待たずそちらについたが、そうでない方はジャックの現実的な判断を頼りにしていた。


 しかし、ジャックはどちらがいいか判断を出すことはできなかった。そのために統率者を失った者たちは、祖母を支持する派閥に勢力を吸収され、思想に関係なく祖母の計画に参加させられた。リーダーであるジャックも家族を人質に取られているため、祖母の指示には従わざるを得なくなり、実質的に構成員に降格してしまったという顛末であった。


「くそださいと思わない?」


「何で?」


 ジャックの動向については私が意見をはさむところではなかったが、何がださいのかわからなかったので私は問い返した。ジャックは苦虫を嚙み潰したような顔で黙っていて、つらそうに下を向いていた。ドルベルはやけに嬉しそうに話していたが、私がかみつくと途端に嫌な顔になって話を変えた。


「君こそ何でジャックをそんなに擁護するの?君、昔は殺意まみれの辛気臭いヤツだったのに」


「もういいだろうそんな話」


 ジャックは声を荒げて言った。そして、腹から声をひねり出して説明をつなげた。


「ツチノコ、そして君のおばあ様は人間を死に至らしめることで、全人類をツチノコにするという目的で活動している。俺は彼らの目的を知って…いや、これは言わないでおこう」


 無数に湧き出るツチノコの群衆を潜り抜けて、私たちはシェルターのエントランスにたどり着いた。お椀型のシェルターの表面はつるつるしていて周りの景色を反射しているように見えた。


警備員が進行方向で待ち構えており、車はその手前でゆっくりと止まった。警備員はドアの窓を開けるように言って、ジェイソンはそれに従った。


「身分証明書を見せてください」


 ジェイソンが身分を証明できるカードを見せると、警備員はバーコードリーダーのようなもので内蔵されたコードを読み取って返した。そして、車内の人数を数えた後にラミネートされたカードを手渡して、駐車場に進むように促した。後部座席に座っていた私たちには干渉せず、それ以外に要求してこなかったので、殺人者の一団でも簡単に車を屋内駐車場に止めることができた。


 ジェイソンがエンジンを切ったので、私たちは車から降りた。アンナはさよならの挨拶だと言って、私たち一人一人に優しく抱きしめて頬にキスをした。私の番が回ってきたときには、


「私たちの本当の仕事は、『錦糸の殺害』だったのよ。でも、セレンのことを想いだしたら、私もあの人もなんだか気が削がれてしまって…。あなたがどうして人殺しの道に進んだのか、その顔を見ていたら悲しくなるけど、できれば家族や友達とまっとうに暮らしてほしいと願うわ」


 と、言って左目からウインクを投げた。そして、ジェイソンも私たちに向けてはなむけの言葉を言った。


「短い間だったけど、同じ生業の子どもに会えて面白かったよ。僕たちはまた会うかもしれないから、その時はよろしく」


イギリスに来てから、自分の子どもを殺されても敵意を向けない人に会ったことがなかったため、私は驚いて固まった表情になった。施設にいたころから、私に話しかけるものはいたが、必ず一定の距離をとることが不文律になっていた。常習的に人を殺す私は、周りのものから優しい言葉をかけられた記憶がなかった。


 私の心はこのとき、一刻も早く社会になじまなければという感覚と焦燥と、二人が私を人間の社会に引き戻そうとする発言に、私の信条から外れた意図を連想して殺してしまおうという感覚の間で揺れていた。


 決断を迷っている間に、頭の中に祖父の命令する声がリアルに聞こえた。自然界において自分以外の存在は早く殺さなければならない。ましてや、自分の信条を殺そうとしてくる人間はなおさら自分の防衛本能が働いた。アンナの朗らかな微笑みの真下にむきだしになっている首は、女性にしては太くやりがいがありそうだった。


「どうしたの?」


 首をじっくりと観察しているのを不思議に思ったのか、アンナは問いかけた。私は彼女の気をそらすために胸のあたりをまさぐって視線をそらし、気が緩んだ不意を狙って私はアンナの首に横からナイフを振り下ろした。


「アンナ!」


 私の殺気に気づいたジャックは横っ飛びで私から離れた。ドルベルも少し遅れて離れたところに移動した。


夫であるジェイソンは誰よりも速く声を上げた。そのおかげでアンナは肩と顎で私のナイフを頸動脈のギリギリで受け止めた。ダメージはかなり入っているはずだったが、意識が太かったようで失神するまでには至らなかった。後ろに倒れこんでアンナはぶるぶると震えた。


 挟まれて動かないナイフを手放して別のナイフを取り出したとき、アンナは右手で刺さったナイフを私に投げ返してきた。私はそれをよけてとどめを刺そうとしたが、ジェイソンが背後から手を回し、ステッキから抜いた剣を私の首に押し付けた。彼の気配を読み取ってかわそうとしたが、動きを把握しようとした瞬間に素早くなり、たちまち行動を制限された。


 ジェイソンは私に向かって強い語気で言った。


「…私の妻を、殺さないでくれ」


 私の知ったことではなかった。アンナの意識は残っていたが、すでに虫の息であった。


「今治療すれば、医療チームに持っていけば絶対に助かるんだ…アンナは…」


 ジェイソンの声は次第に強いものから弱いものになった。殺すなと懇願する割に、刃物で脅しをかけてくるのが非常に気に食わなかった。また、私がジャックの家族を思う気持ちを汲んで、手助けをしたいと血迷ったことが彼の姿から連想されて、さらに自分を責める気持ちが募った。


 私は後ろ蹴りしたり、手首でジェイソンの腕を刺したりして振りほどこうとしたが、ジェイソンは離れなかった。


「君は…あの子たちと話しているとき、普通の子どもだったよ…。なのに、何であんなに可愛い彼女を刺せるのかい?」


「ああああああああぁ‼」


 私はジェイソンに対しての不愉快さが限界に達し、咆哮した。そしてジェイソンを背中にひきずった状態で、死にかけのアンナの首を足で踏みつけて切り離そうとした。私の殺害方法を悟ったジェイソンは、涙を振り切って私が足を踏み下ろす前に、体を抱えたまま真横に倒れこんだ。私は勢いよく地面に顔の側面をぶつけて、少なくない血を出した。


「君は誰かに対して優しくしたいと、思ったことはないのかい…?」


 ジェイソンは私の斬撃を避けながら軽口を叩けるほど、戦闘面に余裕があるように見えた。私は何度も体勢を立て直し、果敢にナイフを振りかぶった。


私はジェイソンに力量の面でも経験の面でも劣っていることは、彼の風格から分析していた。勝てないことが分かっていても、私は戦わなければならなかった。私のナイフとジェイソンのナイフは何度も衝突し、双方とも腕や足に傷を負った。私は頭から血を出していたが、逆に頭の中がすっきりしていて、仕込みの剣のリーチに間に合うような動きができた。


しかし、しばらく応戦しても勝ち筋は見えなかった。剣を受け止めることはできても、単純な威力の差で押し負け、持っていたサバイバルナイフはことごとく弾き飛ばされた。ジェイソンの目に甘さは一切なく、アンナを殺されたことへの復讐に燃えていた。駐車場の天井を支える柱に吹き飛ばされたとき、私は打ち所が悪くすぐには立てなかったのだが、それを好機と見たジェイソンは完全に殺すつもりで私の心臓を狙ってきた。


「君を殺すつもりはなかった。ただ、これは『仕事』だったからなんだ」


 ゆっくりと近づいてきたジェイソンは私を殺そうとする前にそうつぶやいた。彼が私を殺そうとする意志は伝わったが、彼の殺意は私の知らない殺意であった。私は最後の反撃に右太ももに隠し持っていたナイフを引き抜いて駆け出したが、ジェイソンは無表情で私の胸を押して床に倒した。そして、私が再び立ち上がろうとした瞬間に、剣を私の胸の上に構えた。


 カッと目を見開いたジェイソンが私の胸を刺そうとしたとき、剣の先端が戦闘服に突き刺さった瞬間に、聞き覚えのある声が聞こえた。


「やめてください。ジェイソン・ガードナーさん」


 ジェイソンは声の主、志田薇に従い、素直に剣を持ち上げた。薇の傍らには志田樹が控えていた。


「僕たちは日本から来た行政組織の者です。彼は我々が保護しますので、一度離れてください。彼は危険人物ですので」


「なんだと…?いや、僕はイギリス政府からの勅命で、こいつを殺すことになっているのだが」


 太い眉をゆがませてジェイソンは薇に尋ねた。薇は首をふるふると振って顔にかかった横の髪を払った。胸のポケットから便箋を取り出して、封を切り一枚の紙をジェイソンに見せつけた。赤い朱印がついているのが私にもわかった。


「僕たちの組織の司令官直々の令状です。要約すれば、彼の身柄は我々の組織が持つということですよ。お分かりかな、ジャック君?」


 薇が振り向いた方向の、少し離れた柱の影からジャックが姿を見せた。薇と樹は彼を一瞥したのみで、決して動こうとはしてこなかった。


 ジェイソンは剣を構えたまま、動かなくなったアンナの体を見ていた。彼の顔からわずかに殺意が抜けていくように見えたので、気づかれないように右手のナイフを握りしめた。薇がジェイソンを引き留めたおかげで、ジェイソンの視線を引き付けることができ、殺害には好都合であった。


「まて、イギリス政府は」


「ジェイソン・ガードナーさん。ご理解いただけましたら彼から離れていただけますか?」


 食い気味に放った薇の発言に面食らったようで、ジェイソンは離れようとした。


 その瞬間、瀕死のアンナがいきなり起き上がって私の頭部を狙って小銃を撃った。アンナは意識がまだ残っていたようで、その照準はほぼ正確だった。小銃を撃ってやり切った表情のアンナはそれ以降動かなくなった。


私はほぼ銃弾と初発のタイミングを同じくして、ジェイソンのネクタイをした首をナイフで渾身のスピードではね上げた。そして、振り切った腕の勢いで地面に倒れこんで銃弾を避けようとした。


しかし、さすがに唐突な射撃だったので、右上腕に弾丸を受けた。弾丸の勢いで、私は柱の陰に隠れていたドルベルの足元近くに滑り込んだ。ただ、内側を貫かれはしたが骨に当たらなかったことは不幸中の幸いであった。


「…うぅうううぁ…」


「うわぁあ」


 痛みに耐えきれず唸り声を絞り出す私を見てドルベルは後ずさりをした。弾丸を受けた腕の周りは血で赤く染まっており、ドルベルは悲痛な叫びを短くあげた。


「…冗談じゃ、ないよ。あんな強い人たちでも倒せないなんて…きっと地上にこいつを倒せるやつなんていないんだ…」

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