第5話 飼い殺し

 私はジャックの仲間が用意した白い車に乗せられた。中には誰も乗っていなかったので、ジャックが運転するのかと聞いた。すると、運転手はすでに帰らせていて、自分が運転するつもりなのだと彼は言った。自分で言うだけあり、彼のエンジンの掛け方はそれなりにうまく、すぐに車は走り出した。


 私は夜になった街並みを車のガラス越しに眺めていた。空は月もなく建物の中も真っ暗で、街灯に照らされた部分しかくっきりと見ることはできなかった。


「真っ暗で不気味だろう?シェルターに住んでいる人たちは、みんな六時以降は外出しないようにしてるんだ。夕方になると化け物が襲ってきて、一瞬で殺されるっていううわさが広まっているからね」


 たしかに大人も子供も野良犬でさえ見つけることはできなかった。路地の隙間に息をひそめてたむろしている人の気配はちらほらとあるが、後ろめたい雰囲気が漂っており、閉鎖的な印象を受けた。それは自分たちだけの空間、ナワバリを守っているように見えて、犯してはならないもののように感じられた。少なくともあちらから手を出してくる気配はなかったため、すぐに殺しに行こうとはならなかった。


 車が停車すると、私は車から降りた。ついた場所はさびれた商店街の一角の小さな食堂であった。玄関の奥のほうから少し光が漏れているのがわかり、ジャックがブレーキランプを点滅させたのを合図にして、中から人が出てきた。顔の彫りが濃い顔の男で、車に近づいてジャックに窓を開けるように促した。パワーウインドウのボタンを押そうとして、ジャックは私の殺意に気づいてためらったようだった。相手の男はハンドサインで要件を伝え、すぐに店の中に戻った。


 再び車は動き出し、路地から先ほどの食堂の裏のガレージに入った。明かりはついておらず、ジャックはそのまま私に車から降りるように言った。食堂のほうからはささやき声がもれて聞こえた。


 ジャックは控室に入り、用意された木製の椅子に座った。中は大きな鏡が一台あるだけで、内装は椅子のみであった。


「今後の話をしようじゃないか」


 私は軽く頷いた。部屋のドアが閉まっていることを確認して、同じように椅子に座った。


「まずは、軍隊脱退おめでとうと言っておこう。よかったな」


「ありがとう」


「君の腕があの監獄でなまっていないか不安だけど。ここからの作戦はなんせ大量の人間を、扱っていくことになるから」


「どういうことさ」


「よく聞いてくれ。今から始めるのは君の大好きな、大量虐殺だ。そして今日はその第一歩の日になる」


 突然ジャックは懐から黒い布を取り出して、私に向けて放り投げた。慌ててキャッチすると、かなり薄くて触り心地が良かった。長方形の布で、私の顔の大きさがすっぽり隠れる大きさであった。かなり薄いように見えたが、光に透かすことができないほど遮光性が高かった。私はこれが何かと問いただした。


「ひもがついているだろう。もう少ししたらそれを使って顔を隠してステージに出る。子芝居を打ってもらうよ、野望のためにね」


 黒い布をつけると、周りの景色はほとんど見えなくなった。見えなくなると、自分の存在しか感じなくなって、外の世界に関心が無くなった。暗い視界に私の感覚が鈍くなってくると、ジャックは私を食堂のほうに移動させた。前が見えなかったので、足元を慎重に確認しながら進んだ。男や女の声が次第にはっきりと聞こえるようになったが、黒い布のせいで姿を確認することはなかった。


 舞台袖に入るとジャックが食堂の関係者と少し会話をつなぎ、計画の確認をしていた。話が終わると、私はジャックとともにすぐにステージに上がった。ステージの上はスポットライトのせいでとても熱かった。私たちが現れたとき、無数の声は静まった。


「…長らくお待たせしました。皆さん、今日は夜遅くに『地球の子』計画の会合にお集まりいただきありがとうございます。遅れましたが僕がこの計画の立案者で、進行を務めさせていただくジャック・マイルズです」


 ジャックはそこで少し言葉を切った。


「計画の説明に入る前に、シェルターの現在の状況について話しておきたいと思います。現在シェルターはロンドンを中心に増築を進めているようです。ここにいる人たちは以前からここに住んでいる方も多いと聞きましたので、あまり自分たちの境遇について心配することはないのではないでしょうか。しかし残念ながら、今はそれほど安心するという状況とは言えないのが現状なのです」


 ここで、集まった観客はざわついた。


「おそらく、なぜ今の現状を嘆く必要があるのかとお思いでしょう。その理由は後程皆さんも気づくと思います。


 僕はここよりももっと田舎のほうで暮らしていました。もちろん今でもシェルターが建設されるめどは立っておらず、かつての家に戻ることはできなくなりました。三年前までは僕は地下のシェルターにとどまることを余儀なくされました。そして、政府の救助隊に救助され、今ここに立っているのです。そして、ここで隣にいる彼の話に行きたいと思います」


 私はジャックに背中をたたかれて、少し足が前に出た。


「皆さんは顔を隠してステージに上がっている彼のことを不審に思っていることでしょう。とくに、今から非常に皆さんにとっては信じがたいことを言いますが、今後ともに進んでいく皆さんになら、信じていただけると思っています。彼は、今巷を騒がせている人殺しの主犯の男です」


 私は耳でさらに大きく騒ぎ出した観客の声を聞いた。はっきりとした周りからの不安をはらんだ視線を感じ、私はうじゃうじゃとうごめく人間の姿を想像した。恐怖が次々と伝染し、一致団結した思考を共有した存在が、黒い布の向こうに見えたような気がした。おとなしく突っ立っているのが耐えられずにいると、ジャックが言葉をつなげた。


「彼は自身の周りにいるとある存在を、目で認識するだけで殺したくなるようなので、このように布で視界を遮っています。皆さんがこれ以上騒ぐなら、彼は自分で布をどかしますよ」


 私はそこまでで手が胸のあたりまで来ていたが、急に声は静まり、私はびっくりして手を戻した。


「理解していただけて何よりです。つまり、僕が言いたいのは、彼が皆さんの平和を脅かす要因の一つであり、彼によって皆さんは死の恐怖におびえることになるということです。真夜中に集会に集まっている皆さんが、殺される恐怖を抱いているとは考えにくいですがね」


 ジャックは最後のほうを少し小さく言った。


「では、どうすれば以前のような安全な生活が得られると思いますか?一番簡単な方法は、彼を殺すことです。彼を殺せば誰も死ぬことはないのは確かです。


 しかし、皆さんは彼に殺されることはありません。彼の提供者である僕が皆さんを守るからです。僕は彼の性格、思考、信条を深く心得ていますので、僕が彼を管理していれば皆さんは死におびえることはないでしょう」


 そこまで言ったところで、観客の中から野太い発言が飛んだ。


「ちょっといいか。確認したいんだが、そいつは俺たちの仲間ってことでいいんだよな?」


「その意図は?」


「そいつは連続殺人犯なんだろう。俺たちが殺人犯と一緒に行動しているところを例えば警察の連中に見られたら、殺人犯をかくまっていた疑いで、俺たちが逮捕されるんじゃないのか?」


「心中お察しします。しかし、彼は皆さんの仲間ではありません。彼を仲間にするというリスクは、僕が十分すぎるほどに承知しています」


「では、なぜそいつを連れてきたんだ」


「仲間、ではなく戦力。彼の殺傷能力は通常の人間を凌駕しています。また、彼は人を殺すことにためらいが全くないため、その気になれば警察の集団を数分で一掃できるでしょう。そのため、今後僕たちが『地球の子』として活動していくために必要な、敵を排除する役割を一任させることができると考えています。


 皆さんが彼を恐れる気持ちは重々把握しているつもりです。彼の扱いについては僕が責任を負うので、もし覚悟ができていない人がこの中にいらっしゃいましたら、退出願います」


 すると、何人かは食堂から出ていったようで、扉に取り付けられていたベルが鳴った。出入りが収まったことを見たジャックは本題に入った。


「ご理解いただけたようで何よりです。今後とも管理は徹底していくので、よろしくお願いしますね。それでは、彼、錦糸も含めた今回の計画についての説明に入ります。


 初めに、僕はこのシェルターという壁に対してひどく嫌悪感を抱いています。窮屈だし、何よりもともといた場所に行くことを制限されてしまう。これは、シェルターを作った政府が私たちの人間の権利、存在、すなわち人権を否定しているのではないかと考えるのです。この国の政府のせいで、僕たちは人間としての尊厳を失いかけている、僕はそのようになっているこの現状を打破したい。つまり、僕は皆さんとともに政府を打倒したいと思っています」


 おおっと歓声が出て、食堂の中は途端に騒ぎ声であふれかえった。ジャックはこの歓喜の声はいさめなかった。


「具体的な作戦内容は今後の会合で伝えていくつもりですが、皆さんが政府を倒すために今できることは、僕の意志を多くの人々に伝え、少しでも理解をしてもらうことです。それが、私たちの野望をかなえる第一歩でしょう」


 集まった人々を食堂の外へ出ていき、私は汗をかいたままステージに突っ立っていた。まだ支援者が少し残っていたので、ジャックはその対応をしていたようであったが、静かになると、ステージの段を駆け上がってきた。


 私は光を吸収して熱くなった黒い布をはずしてジャックに返した。


「君のおかげで、観客は僕の言ってることをなんとなく信じてくれたよ。やっぱり、圧倒的な力ってやつは使ってると気持ちがいいね」


 ジャックは少しの準備があると言って、私をその食堂にとどまらせた。私には一切の外出を禁止し、外出に連れ出すこともなかった。それは、私を暴走させないようにするための、最大限の措置であったと推測される。


私は集会の日から、食堂のガレージで生活をすることになった。ジャックは二階の部屋で寝たほうが広いし、ベッドがあると勧めたが、私はかつて暮らしていたような土に近いところで体を休ませたかった。幸い、ジャックは車で毎日どこかへ支援者を増やす講演に行っていたので、車がガレージに停まっている日は少なく、気を遣わずに眠ることができた。


 その食堂はジャックの親せきのマイルズが経営しているお店で、夜に出歩かない風潮が広まっていても、夜の営業を続けていた。マイルズは、様々な企業や会社を経営している家柄であった。ジャックの現在の父は、多くの経営者を育て上げたファイナンシャルプランニングの第一人者で、世界で一、二を争う企業の相談役も受け持っているらしかった。


 私は一人の時間を何もせずぼうっとして過ごした。人工物的な置物の配置は少し家の主の所為が気にかかったが、誰の監視もない時間がとても気楽であった。一日に一回食堂の管理者が中からガレージのドアの近くに食事を運んでくれた。ガレージには袋菓子も少し保存されていたので空腹には困らなかった。


 三日ほどたった頃、ジャックが私を訪ねてきた。そのとき彼はひどくやつれた表情をしていて、整髪剤もうまくきまっていなかった。かつてのような人を小ばかにした目つきはどこにもなく、不安と決意が混ざった顔つきになっていた。私はジャックの肩をつかんで、何があったのかと声をかけると、彼はいきなりびくっと飛び上がった。


「…君に、気苦労をかけるなんて…そんなに変だった?」


 浮かない表情のまま薄く笑って、ジャックは三日間の出来事について語り始めた。


「かなり重要な話だよ。…いや」


 ジャックは今からすべてを話そうとしたが、少し考えてから言った。


「昨日から、親代わりのおじさんの家に行ってた。俺はこれから起こす大規模な暴動からあの人たちを守りたかったから、何とか安全が確保できる場所を探していたんだ。シェルター全体では確実に戦火が飛ぶから、俺は地下のシェルターなら生き延びることができるんじゃないかって言ったんだけど、おじさんたちは聞かなかった。なぜならもう、生活圏は確保してるからだってさ。


 それはそれで俺としては良かったんだけど、問題はその場所のことなんだ。…人命をそのままにして、かつ普段通りに生活できる空間は、本当はシェルターの外部にあるって、おじさんは言った。君も知っていると思うけど、シェルターの外部はものすごく暑くて、人間が生活できる場所じゃない。生きられるはずがないのに、おじさんはそれをずっと信じているんだよ。


 おじさんは、それを『地球の子』の信奉者からそれを聞いたらしいんだ」


 ジャックは最後のほうで、複雑な顔になった。自分の予想の範囲外のことをされて、キャパオーバー寸前になってしまったジャックに、私は言った。


「それで、どうするの?」


「……これを聞いたところで、君がしなければいけないことはたった一つ、ただ殺すこと。他の誰かを思いやることができるなら、時期が来るまでゆっくりくつろいでいるといいさ」


ジャックは話しすぎたと言って店内に上がっていった。私はジャックを思いやっているつもりはなかった。ただ、家族を助けたいという思い、得体のしれない第三者に大切な人が陥れられるのではないかという懸念に対して、手助けをしてあげたいと思っただけであった。


次の日、ジャックは叔父に提言をした人物にアポイントを取り、その次の日にこの食堂で会って話をする約束を取り付けた。私にその情報は一言も漏らさなかったが、ジャックがパソコンを持って外出するのを見てそう感じていた。


約束の日の朝に、ジャックは車を出す前に私にこう言った。


「今日、似非信奉者と話すんだけど、君の血縁者だって」


「誰?」


「それは会ってからのお楽しみだよ。くれぐれも粗相のないように」


 数分後に車は戻ってきて、ジャックは慇懃無礼に後部座席から降りる人物をエスコートした。やってきたのは、小太りの初老の女であった。目深に植物で編んだつばの大きな帽子をかぶり、麻の素材のローブをまとっていて、特徴的な真っ黒のレンズのゴーグルをかけていた。黒髪を二つにまとめていたので女であることはわかったが、祖母であるということは気づくのに時間がかかった。


 祖母は杖を座席の中から引っ張り出した。私が初めてイギリスに来た時には杖をつくほど体は弱っていなかったと、薄く覚えていたが、その姿の変化には驚きを隠せなかった。杖をつきながら、祖母は階段に座っていた私のほうに来た。


「これはこれは、お久しぶりねぇ。私の孫よ、随分と大きく、美しくなって」


 祖母の顔は私の顔に向いてはいなかった。私は何も言わずに頭を下げた。いきなり『美しい』と言われて、どう反応すればよかったのかわからなかったので、そのような行動をとった。どうやら、目が見えなくなっているようで、杖をついている理由もわかった。


「…あと、目があの人に似て、瞳孔が大きくて、かわいらしくて。本当に、生きていてくれてよかったわ。ありがとうね、ジャック君、助けてあげてくれて」


 ジャックは頭を下げた。私は、若干の居づらさに少し戸惑った。祖母が私と姉を家に迎えてくれたことは、もう五年以上前のことであったし、そもそも私はあの家にいる時間は短かった。どこか陶器のような祖母の姿は、私の対象の認識を曇らせた。


 そして、会話のすぐ後に気づいたことだが、祖母は目が見えないはずなのに私の顔を見ているかのような言い方をしていたことが気にかかった。


 ジャックは密会の時間が短くなることを気にしているようで、祖母に店内に入るように言った。


「ここで話しているのもなんですから、店の中で話しませんか?」


「あらぁ…そうね、話していたら時間が無くなっちゃうものね。せっかくだから、孫も一緒にいいかしら?」


 うっ、と言葉をつまらせたが、祖母のたおやかな話しぶりにジャックは気圧され、私にこそこそと耳打ちした。


「二つ守ること。聞かれたことにはちゃんと答えて。おかしいと思ったら、俺に言って」


 私は頷いた。立ち上がり、店内への入り口を開けた。


 店内は意外と広く、ちょっとしたパーティもできるくらいの広さであった。私たちは、店内で一番端のテーブル席に、私とジャックが祖母に向かう形で座った。幸いその日は夜からの営業で、店主も夕方から来る日で、客は誰もいなかった。外が見える場所は全てカーテンで仕切っており、さらに防音扉で鳥の声も聞こえなかった。


 カーテンから漏れてくる光で、なんとなく中は外観できていたが、さすがに気が滅入ってきそうであったし、祖母は結構年を重ねていたことを配慮して、ジャックは座っている席の上だけ電気をつけた。最初はすぐには明るくならなかったが、少しずつ明るくなった。


「ところで、ここでは何と呼ばれているの?」


 祖母は私のことをジャックに聞いた。


「普通に名前ですよ」


「そうなのね。いえ、本名で呼び合っていると動きづらいこともあるでしょうね、と思っただけよ」


「…僕には思いつかなかったアイデアですよ。今になって違う名前を名乗りだしても効果は薄いでしょうが」


「どのみちコードネームなんて使いまわす必要があるかは、あなたの判断によると思うけれど」


 祖母の声は涼やかな含みを持っていて、とても老齢の女のものとは思えなかった。私は祖母の声をしっかりと覚えていなかったので、祖母が若々しい声を持っていることが少し怪しかった。私がそのことをジャックに耳打ちすると、首を一瞬傾げたがすかさず祖母に尋ねた。


「あなたの孫からは、かなり若い声に聞こえるそうなのですが、ご自身に自覚はありますか…?」


 くくく、と手を胸にあてて笑う祖母は、嬉しそうに私のほうを見て言った。


「私は意図してあなたにね、声をかけないようにしていたわ。それは、孫たちを巻き込みたくなかったからなのね。四十代くらいに聞こえるのは、あなたが私の声を聞いていなかったから…」


 あまり納得できるものではなかったが、ゴーグルの無機質な闇がそれ以上の踏み込みを許さなかった。


「それより、ご存じない?ツチノコ」

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