音瀬となぎさ

絶対に怯ませたいトゲキッス

第1話音瀬となぎさ①

中学の時はどんな生活指導の先生から見ても優等生で、文句のつけようがない生徒だったはずなんだけど。

「ふむ、来てしまった」

通っている高校とは正反対の方向にまっすぐ進むこと四十分、そこには公営の大きな公園がある。学校がある平日の朝九時に公園に行くなんてこと、私がするわけがないので小学生の時の夏休み以来だろうか。

梅雨明けの公園はじりじりと太陽が照り付けていてあまり過ごしやすいとはいえないが、それでも学校よりは居心地が良さそうだ。学校をサボるなんていう初めての経験に私の心は少しだけ踊っていた。目の前の家族連れが制服のわたしを物珍しそうな顔で眺めてはそっと目をそらしていく。けれど人の視線が集まっているのも今のわたしにはどうでもよかった。




「げ」

この声は彼女が発した物か、自分が発した物か不明だ。ベンチに座ってぼんやりとしていた私をみたその子の顔は、いたずらを見つかった子供のように気まずそうな表情を浮かべ、次の瞬間彼女は回れ右をしてきた道を戻ろうと歩き始めようとしている。髪を茶色に染めた彼女は私にとって馴染みのある顔だった。

「星宮、だっけ」

目の前の女子高生は「ん」驚いたように目を見開く。驚いているのは声を出したわたし自身もだった。ここで声をかけても気まずいだけだというのに、どうして私の口は咄嗟に言葉を放ったのだろう。

「おとせだけど」

あれ、そうだったっけ。

「人の名前、覚えるの苦手なんだよね」

OTOSE、おとせ、音瀬か。うん。そんな名前だった感じもする。ただ一度もしゃべったことがない相手の名前を憶えろというのも酷な話じゃないか?

「……なぎさ? だっけ」

「うん」

中学校の友達にはそう言われていた。わたしの名前を音瀬は覚えていたんだな、と感動すると同時に私の方は彼女の名前を憶えていないので少しだけ申し訳なく思う。

わたしが声をかけたことで気が変わったようで、彼女はわたし座っていたベンチのすぐ横に腰を下ろした。中学生の時にいい子ちゃんだったからといって毛嫌いされているというわけでもないらしい。

「今日って学校休みなの?」

わたし(なぎさ)がここにいる→なぎさは優等生だ→学校は休みだ、という思考に至ったのだろう。真ん中の過程が間違っているので合ってはいないのだが。

「いや、自主的にさぼっているだけ」

そう言うと彼女は目を一回瞬きをすると口を少し開けておー、と気の抜けた声を出す。

「じゃあ仲間だ」

その後は初対面ではないはずなのにまるで初対面みたいな気まずい雰囲気が間に流れている。二人してお互いの方を向かず、目の前にある公園の時計台を眺めていた。季節外れの蝉がミーンミーンミーン、と鳴き始めた。

手持無沙汰であっても隣の音瀬はスマートフォンをバッグから取り出さなかったのは

嬉しい。どうもさっきまで喋っていた隣の人にスマートフォンを触られるのは苦手だ。自分がつまらない人間だと暗示している気がして。こういう所が人付き合いに向いていないなあと思う原因なのだ。

「同じ高校なんだ?」

沈黙に耐えかねたため、というより彼女は気まぐれにそう言ったように思えた。

「そう、だね」

よく見れば音瀬はわたしと同じ制服を着ている。音瀬の方はボタンを留めていなかったり、一番上の服を脱いでパーカーを腰に結んでいたり散々着崩していたのでわからなかったけど。

「何組?」

今度は私が話しかける番かな、と思い無難そうな話題を振ってみる。

「入学式から学校行ってないからまだわかってないんだよね」

彼女は何食わぬ顔である。中学のころから不登校だっただけある。

「なんで休んでるの?」

そういえば私は何でもないように学校を休んで公園にいるが、同じクラスの人たちは日本史の授業を受けているらしい。

「一言でいえば……退屈?」

うん、この一文が一番私の状況を表していると思う。別にクラスメイトからいじめられているわけでもないし、まだクラスから浮いているとも言えない。

中学の頃は小学校の時からの友達が何人もいたし、新しく友達を作ろうとしなくてもよかった。それこそわたしが主体的に動かなくても話していれば友達は勝手に増えたのだ。骨折で入学が二週間遅れたのもあって高校では日常的に話す友達がいない。初めてクラスに入った時は転校生のような気分だった。程なくして退屈に耐えきれなくなった。

「結構いいでしょ?公園」

「まあ」

段々と太陽が昇ってきて私達の背中をさんさんと照らしているのを除いたら。我ながら気のつれない返事をしているのかなあと思うけれども、これがわたしなのだからしょうがない。そんな私の言葉と裏腹に音瀬はこの状況を楽しんでいるようでもある。彼女の茶色い髪は横にゆらゆら揺れている。再び訪れた沈黙は心地よいものへと変化をしていた。






合法なのか違法なのかいまいちわからない小さな屋台では不愛想なオジサンがカキ氷を売っていた。私達が買うといっても表情一つ変えることなく、淡々と氷を研ぎだしている。子供ならまず寄り付かないし、この商売に向いていないんじゃないかとさえ思う。余計なお世話だからもちろん口には出せないけれど。

「おいしー」

音瀬はブルーハワイ味のかき氷を一万円するスイーツを食べているかのように一つ一つ味わって食べている。頬を赤くしながらも手を止めることなく一定のペースで一つ、一つ。

私は何となくマンゴー味を頼んだ。うん、一般的なかき氷と変わり映えのない味だ。中三の時に『カキ氷のシロップは全部同じ味』なんて事実を知ってしまってからカキ氷自体をなんとなく敬遠している自分がいた。メニューを選ぶ時に必ずその文言が頭に浮かんで、どうでもいいやと思ってしまう。何を頼むか三十分も悩んでいた音瀬のような楽しみ方は私はもう出来ない。

もしかしたら、目の前の男もそのことを知ってから無愛想になったのかもしれない。そう思うとマンゴー味のかき氷も不都合な事実に知らないふりをしておいしく食べてやるかという気がしてきた。

「悪くない」

久しぶりのかき氷は甘かったけれども頭に直接訴えかけてきた。

「次はどこ行きたい?」

音瀬はすっかり乗り気になったようで次の行先を聞いてくる。

「映画でもみない?」

「いいね。見たい映画でもあるの?」

恋愛映画なので一人で見るわけにもいかなかったやつが一つ。






「じゃあねー」

駅前の映画館に行っていい時間になったので連絡先を交換して帰ることにした。久しぶりに人と遊んで少し疲れたので私はそのまま家に帰る。音瀬の家は駅から逆方向だったので一人で歩く。

「あ、学校」

途中からサボっているのを忘れてしまうほど楽しんでいた。久しぶりに満足感が高い一日だったなあ。今日はぐっすり寝れそうだ。

「ニャア」

猫がいた。拾ってくださいと外に書いてある小さな段ボールの中に。自然とそこまで足が伸びる。私は犬派かネコ派かで言うと猫派で、猫よりさらにナマケモノが好きだ。綺麗な白い毛並みの猫だった。深い青色の目は私よりよっぽど物事を考えてそうである。

「ニャーアニャーニャー」

可愛いな、こいつ。家に持って帰りたくなる。ただうちの親はペット嫌いだからなあ。それがなければ……艶やかな毛並みを味わって撫でた後にもう一度段ボールへと戻す。

「ごめんね……」

名残惜しいが粗末な段ボールへともう一度戻す。今度また会ったら餌を渡してやろう。

「一度期待を持たせたあとまた戻すのはずるいです」

一瞬、聞き間違いかと思った。猫の口からその言葉が出てきたのを私は信じられなかった。疲れてるのかな、と思いつつも聞いたことがないような不思議な声だったので頭に残っている。

「え?」

「私をあなたの家に入れてください」

あえて例えるならば小さい女の子のようなその声は私にそう懇願した。

そもそも猫の発声器官で人間の声が出せるのだろうか?多分できないだろう。頭に直接話しかけられているのかもしれない。

「あんた喋れんの」

「人間の言語は生まれてから二年で習得しました」

とんでもない猫もいたもんだ。もし本当にそうだったとしたら人間よりも言語習得速度が速い。

「なぜわたしを家へと入れないのですか?結構可愛いですよね?わたし」

確かに毛並みは綺麗な白だし可愛いと言ってやらんこともない。だが決定的な問題が一つだけある。

「親が厳しい」

「じゃあ、わたしがあなたの親御さんを説得して差し上げましょう」

いやー、親のペット嫌いはそんなもんで覆るほど軽くはない。

「えー」

私が渋い表情を作ると猫は頭を段ボール擦り付けた。

「ここはどうか!もう数日ご飯を食べてないし、雨に降られるのもボス猫に睨まれて移動するのも嫌なんです」

喋る猫、そんな残酷なことはしないけどサーカスに渡したら高く売れるのかなんて思ったりする。色々考えることはあれど、私は猫を飼いたかった。

「説得はあんたがしてね」









「ただいまー」

玄関でそう言うと、「おかえりー」と妹が真っ先に駆けつけてくる。小学生の遊びたい盛りの妹は私が腕で抱いていてた猫を見て目を点にした。

「ネコ?」

私が静かに頷く。

「こんにちは、今日からあなたの家で暮らすことになった$&’!@;:*+といいます」

「「え?」」

不思議な猫は可愛い頭を人間のように傾ける。

「$&’!@;:*+…………どうやらこの言葉は人間の言語では表すことができないようです」

私の妹はポカーン、と口を開けている。

「なんで猫がしゃべってるの?」

「私は特別な猫なのですよ」

とびっきり普通じゃない猫だ。もしかしたらこの子ならば、私のお母さんも飼うことを許してくれるのではないのかと思うぐらい。

「すごいんだねー」

小学三年生特有の適当さでそれを受け止めてしまう妹、小学生の適応能力って、ミラクルだ。

「お母さーん、しゃべる猫がいるー」

「はー!! 猫?」

怒気を浴びた声で母が玄関へと飛び出してくる。この女、猫に対する負の執着にまみれているな。

「始めまして、今日からこの家でお世話になる猫です。よろしくお願いします」

とりあえず、一発目の先制攻撃をかます猫。

「…………腹話術でもならってきたの?」

確かに正常な反応だ。

「よく聞いて、こんな低い声でないよ」

確かになあと思う母親、何も声が出せなくなっている。

「私は普通の猫とは違いますよ」

「ほらねー、喋ったでしょ?」

「餌も自分で取ってきますし、外でお手洗いも済ませるのでここはどうか」








案外言ってみるもんだ、母は素直に猫の居住を認めた。喋る猫という常識を超えた生き物に圧倒されていたのかもしれないが。

「学校ですか?」

あれから一か月たって今では当たり前のように私の部屋に居着いている。

「行ってきまーす」

のど元を撫でると気持ちが良さそうな顔をしていた。

七月、暑さも本格的になってくる夏真っ盛りで私は気が滅入るような補習に出かけるところだ。少し頭が良い学校だからといって夏休みがほとんどないのは違うと思う。先生たちもあそこまで熱を入れなくてもいいんだけどなあ。東京の大学に行く人がたくさんいるわけでもないのに。受験が終わった直後の高校一年生の夏休みぐらい存分にのんびりさせてほしいものだ。

「おはよう、なぎさ」

背後から声がした。声の主はもう決まっている。

「音瀬、珍しい。今日は部活?」

「補習だよ、最終回ぐらい行った方が先生の覚えが良くなるかと思って」

先生の覚えなんて気にしていたののも衝撃だし、最終回だけでも行ったら先生の覚えが良くなると思っているのも衝撃だった。むしろ悪くなりそうなものだけど。

「そうかな?」

「私成績悪くないし」

確かに彼女の成績は悪くないが別に良いというわけではない。わたしと同じで中の中である。

うちの学校は土曜日を含めて週に六回授業があるのだが、そのうち音瀬が学校に来るのは週に二回か三回だ。大抵、二限が終わった後にそろそろとやってくる。

「中学と比べると来るようになったよね」

中学の時の音瀬は、週に一回どころか年に一回ほどしか学校に来たところを見たことがない。

「えー--、そうかな」

私より少しだけ背が高い彼女は恥ずかしい時髪をいじる癖がある。妹に似て可愛い所のあるやつだ。

「今のままだと留年しないの?」

「なぎさは優等生だなあ」

私が優等生なのではなく彼女がサボリ魔すぎるのだ。中学生の時は三年間皆勤賞だったのに今の私は一週間に一回ほど遅刻をしている。田舎の女子高ではこれでも浮いてしまいそうだ。

「おっす」

「八谷か、おっす」

眼鏡をかけた女子が前からやってきた。目の前のこいつは高校から出来た数少ない友達の一人だ。彼女が歩くたび、ついている大きな胸が揺れる。…………彼女と話すたびに重くないのだろうかと幾度となく思っているが質問したことはない。彼女と話すときだけは視線を意識的に顔に向けている。何も考えずに話したら胸に向かって話しかけてしまいそうだ。

「音瀬さん、来たんだ」

「おはよう」

「おはよう。そういえば先生が挨拶してほしいって」

小さな音瀬の声に八谷がそう答える。音瀬の身長もことのほか小さく見える。気まずい雰囲気が場に漂ってきた。友達の風船を間違えて割ってしまった時のようだ。学級委員長である八谷は私とは違いの優等生でそれであるがゆえに音瀬も気後れしてしまっている。

「あとで私と一緒にいこっか」

音瀬は私に向かって小さく頷いた。

私はどうも場の雰囲気を整えるということが苦手だ。流れている空気を苦々しいものでなくするというのは得意でも一度流れてしまったそういうものを洗い流してしまうことはできない。学校に着くまで私たちは何も話せなかった。





一学期の初めに外が見えるのはいい気分転換になるかなと思い、窓際の席に座ったのが運のツキだった。直射日光が差し込む夏休みの窓際の席は地獄だ。数学の授業なんて真面目に聞く気が起きない。音瀬の方はどうしてるかというと真面目に授業を聞いている様子だった。彼女は数学が好きらしい。確か定期試験でも数学だけ満点だったような。逆に国語はコテンパンだった。しかし熱い。暑いのではなく熱い。地球が暖かくなっているのか、私が暑がりなのか。周りの子達は平然として授業を受けているのが信じられない。

「今日はここまで。次までにこことここの予習をやっておくように」

二時間の補習が終わると音瀬はすぐに帰り支度を始めた。

おいおい。待て待て。

「なに?」

決まりが悪そうでもなく平然とした顔で彼女は振り返る。

「先生に話に行かないと」

そんなのもあったなあ、という彼女の遠い顔。本気で忘れかけていたみたいだ。

「ほら、行くよ」

「めんどくさい」

そらそうだろうけど行かないと。

「えー」

なお渋る音瀬。

「音瀬さん、ちょっと」

そうこうしてるうちに担任の先生が呼びに来た。彼女の筋肉が一瞬硬直したのがわかる。わたしが離れようとするとすぐに指を握ってきた。しょうがないなあ。一緒についていくしかないようだ。

私達の担任の先生は英語を教えている小さい女の先生だった。もう六十代にでもなろうかという先生だが教え方がわかりやすく優しいので生徒から人気がある。少し穿った見方をしたら先生の大半は信頼できないがこの先生は信頼できると思う。

生徒の中でひそかに白い部屋と呼ばれている面談室に私達は連れていかれた。

「プライベートな話になるけど早乙女さんはいた方がいい?」

音瀬は小さく頷いた。

「じゃあ、二人とも座って」

手は先生に呼ばれたときから握られたままだ。私が逃げるとでも思っているのだろうか。

「単刀直入に言うと、音瀬さん。今のままだと進級できないよ」

隣の音瀬の手のひらからはじんわりと汗がにじんできた。先生から面と向かって言われるという事象が心に来たのかもしれない。

「二学期と三学期全部遅刻せずに学校に来たらいいんですかね」

彼女は私の数少ない友達の一人だ。後輩になってしまったら私も困るかもしれないので助け舟を出してみることにした。

「…………ギリギリだからわからない」

うちの学校は遅刻に対してかなり厳しい。校則も厳しい。本来なら茶髪も校則違反なのだが彼女の場合は小学生の時からその色だったらしくあまり強くは言われなかったみたいだ。

「なにか来れない事情があるなら話してほしいの、一応先生は四十年やってるからいろんなことを経験してるわ。親の離婚とか、病気とか、妊娠とか、DVとかも」

いい先生だなあ、と思うと同時に多分彼女が学校に来なくなった原因はそういうのじゃない。

「わ、わたしは…………」

その先の音が紡げない。手の汗はすでに液体ともいえるほどにたまっていた。

「音瀬!!!!!」

外へと駆け出してしまった。先生はため息をつくと私の方を向いてこう言った。

「早乙女さん、音瀬さんと仲いい?」

「ええ、まあ」

この学校の中では一番ぐらい。

「じゃあ、学校にこれるようにしてあげれないかな?私も頑張るけど先生っていう立場だと限界があるんだ」

私は音瀬と同じように小さく頷いた。







































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