第54話 深まる謎

「ちょうどいいかな?」


 窓から浅緑あさみどりが覗ける校舎の渡り廊下を歩いていると、聞き覚えのある声に呼びよめられた。

 二年生に割り当てられた二階に姿を現すのが少し不思議に思える人物だ。


「なんでしょう? 桜小路先輩」


 俺の肩に手を置いてるのは、暗めの金色の髪が特徴の桜小路先輩、古坂高校の生徒会長だ。


「俺、彼女がいるのですが……」

「誰も君の中身に用があるとは言ってないよ」

「えっと、つまり?」

「君の肉体に用があるんだ」

「余計にダメじゃないですか!?」


 冗談を言ってみたら、とんでもないジョークを投げられた。

 いや、ジョークというのは俺の願望でしかない。そこまで俺は桜小路先輩のことを知らないから。


「これを小夏に渡してくれないか?」

「紛らわしいです!」

「君こそ先輩に面白い冗談を言ったじゃない?」


 「すみません……」と謝って、桜小路先輩から紙を受け取った。

 そこに生徒会長選挙当日のスケジュールが記載されている。


「えっと、俺は今自分の教室の前にいますが?」

「それがなにか?」

「楽々浦は俺と同じクラスですが?」

「そうだね、小夏から君のことはよく聞いてるよ」

「それはどうも……」


 楽々浦は今教室にいるから、わざわざ俺を経由する必要がないって伝えたかったが、伝わらなかったらしい。

 しかも、なぜだか桜小路先輩は楽々浦とは交流があるみたい。


 ――……小夏が世話になった。


 桜小路先輩は、まるで親戚かのような口ぶりだった。

 だが、楽々浦から俺の話を聞いているとすれば、桜小路先輩にも楽々浦からのベクトルは向いているらしい。


 つまり、桜小路先輩が一方的に楽々浦のことを気にかけているわけではなく、楽々浦も桜小路先輩に自分から交流を持ちかけているという、そんな推察ができる。

 楽々浦のことだから、やかましすぎて生徒会に世話になっただけという可能性を考慮していたが、どうも違うらしい。


 だとすると、楽々浦が生徒会を殲滅したい発言は単なる勢いとノリでのものではなく、何か意図があると考えたほうが……いや、待って……。

 ここまで考えて、楽々浦のその陽気すぎる行動の数々が実は何かの意図の裏付けと認めるのがすごく不本意に思えてきた。


 俺はおもちゃのように、今まで散々彼女に弄ばれてきたからね。

 そこに意思があるなんて認めたら、俺の立場が……。


「考え事は終わったのかい?」

「えっ? 俺、今考え込んでました?」

「わりとね?」

「すみませんでした……!」


 まさか、人との会話の途中で考え事にふけっていたなんて……かなり恥ずかしい……。


 クスッと笑って、桜小路先輩は「じゃ、プリントは頼んだわよ」と言い残してきびすを返した。

 彼女の背中をぼんやりと眺めていると、余計に謎が深まるばかりだ。


 なぜ、楽々浦から俺の話を聞くほど接点を持っているのに、自分からプリントを楽々浦に渡さないのか……。




「なるほど、これがその暗号か?」

「いや、普通に日本語とアラビア数字で書かれているよね……」


 俺から生徒会長選挙当日のスケジュールを印刷されている紙を受け取って、楽々浦は首を傾げた。

 だが、俺には彼女が首を傾げる理由が分からない。


 なぜなら、紙に書いてある文字は日本語だし、外国語と言ってもあるのはせいぜいアラビア数字しかないのだ。

 それも日本人がよく目にするもので、決して暗号のたぐいではない。


「凪くんは敵の組織のボスからこの文章を受け取ったのですね……」

「だから、殺人が起きていないミステリーは始まっていないって!!」

「それは果たしてミステリーと呼べるのか!? 生徒会長選挙対策執行部参謀総長!!」

「だから長いって!!」


 しまいには、真白までノリノリでこの探偵劇に参加してきた。

 それをいつものテンションで返したら、楽々浦から横槍を入れられた。


 仲のいい人達と席が近いのも考えものだな。

 こうやって、会話が複雑になってしまう恐れがある。


 あれ、俺今仲のいい人達って……?


 まさか、俺がこんなことを考えるなんてね、自分でもすごく意外だ。

 それは一年前の俺では考えつくことのない言葉。


 当時の俺は教室に居ても、ずっと窓の外の灰色の景色を眺めていた。

 楽々浦達が大声ではしゃいでいたが、俺からは認知されても認識はされなかった。


 どこか遠い世界の出来事のようで、自分とは無関係のように思える。

 真っ白のベールに覆われた、隔絶された世界。


 なのに、無表情だった真白も無感情だった俺も、今はその輪の中にいる。

 そう思うと、自然と胸を手で抑えた。


「少尉!! しっかりしろ!!」

「我々の戦いはまだこれからだよ〜」

「緊張感MAXと緊張感ゼロのボケありがとうな!!」


 胸がじーんとなったせいで、かけるくんと三宮の戦争に巻き込まれてしまった。

 俺は別に負傷してはいない。もしそうだとしてもまずは救急車を呼べ。


「佐藤二等兵、お前はどう思う?」

「犯行予告状あたりだろうよ」


 一ミリもかすってないから、机の上に座ってドヤ顔してんじゃない、佐藤。


 というか、楽々浦の中ではその設定はまだ生きてるとは少し驚きだ。

 推理ものに階級を持ち込むのは、いささか無理があると思うのだが、楽々浦らしいと言えば楽々浦らしい。


「となると、犯行はここに書かれている時間に行われる可能性が高いね」

「ちゃんと読めてるじゃないか!? アラビア数字を!!」


 『暗号』と呼称されたのに、あっさり解読してんじゃない!!

 アラビア人の知恵が詰まってるからもっと時間をかけろ!!


 楽々浦はいつも調子がいい―――


「今度こそ、あたしは……」


 ―――だから、彼女が一瞬見せたこの表情を俺は見逃さなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る