第45話 君の優しさに恋をしたんだ

「あらあら、まあまあ〜」

「こんばんわ、

「真白ちゃん、早く上がって〜?」

「お言葉に甘えますね」

「二人とも初対面だよね!!」

「「そう―――」」

「―――だけど?」

「―――ですが?」

「……」


 真白とお母さんの会話はなぜか、常識的に見えて非常識的に思えた。


 うちのドアを開けると、そこにはすでにエプロンを付けているお母さんの姿があった。

 息子の俺がいうのも恥ずかしいくらいには、お母さんは若々しい見た目をしている。


 そんなお母さんはすでに玄関で俺と真白を待ち構えていた。

 ご丁寧にぶら下げている右手を左手で包み込み、昔よく遊びに行ったお母さんの職場で、お母さんの接客をしている姿を思い出させられる。


 そこまではよかった。むしろ完璧と言っていい。それはお客様を迎える時の姿勢として完全無欠と断言できる。

 ただ、真白を見た時のお母さんの話し方というか、発せられた言葉自体がおかしかった。


 ――あらあら、まあまあ〜。


 それは果たして挨拶だろうか。

 挨拶の定義はなんだろうか。通じればそれで挨拶なのだろうか。


 そんなお母さんと真白のやり取りを、手を靴の腰裏に入れて脱ぎながら、頭がフリーズした状態で眺めていた。

 それはまるで親子のような会話で、実に自然で違和感がなかった。


 親子の会話として違和感はないが、この状況は違和感しかない。

 お母さんと真白は初めて会ったんだよね……。


 真白の家にしょっちゅう泊まるようになってから、お母さんに真白のことを話してある。

 勘のするどいお母さんだから、放課後、俺が直接家に帰らなかった時点で、とっくに何か察していたのだろう。


 だから、百歩譲って、「あらあらまあまあ〜」は真白の容姿への賛辞だとしても、それからのいきなりの『真白ちゃん』呼びはフォローできない。

 俺だって真白をちゃん付けで呼んだことがないのに、お母さんの喜色と愛情のこもった言葉にはただただ戸惑うしかなかった。

 

 真白にお母さんの連絡先を教えていないから―――というか会ったことのない二人に互いの連絡先を教えられない―――今日が二人にとってのファーストコンタクトで間違いないはず。

 なのになぜ、こうも道筋を立てて説明するのが難しいほどの違和感を覚えてしまうのだろうか。


「真白ちゃん、洗面所で手を洗っといてね〜」

「はーい、これから凪くんの手を引く私の手を綺麗にしておきますねー」

「二人の会話にさりげなく俺の運命を巻き込むな……」

「手を繋ぐよりもすごいことしたのに?」

「うふふ」

「だから『うふふ』は辞めて!! 『うふふ』は!!」


 そして、靴を脱ぎ終わった頃には、俺が顔を覆いたくなるような会話が取り交わされていた。

 さすがにお母さんに『やめろ』なんて言えるはずもないが、柔らかい言い方にして抗議することはできた。

 

「真白の言うすごいことは、手を繋ぐより前に足を繋いでしまったってことだよね!!」

「そうですよ、お母さん! 私、凪くんに足を枷で繋がれてしまいました!」

「枷というのは俺がお前のお腹に回している手のことだよね!!」

「お母さんの前で私にしたことを説明してくれてありがとうね♡」

「あっ」


 真白の言葉に無意識に反応してしまったせいで、お母さんもいるのを忘れてしまった。

 親に人から自分のことを吹き込まれたらそれだけで羞恥心が煮えくり返るというのに、その人が自分となれば世話がない。


「真白ちゃん、ご飯まであと少し待っててね?」

「肝心の息子忘れてるよ……」

「肝要な孫のことは忘れてないわよ?」

「真白とはまだ結婚してないよ!?」

「私とは『遊び』前提の付き合いだったのですね!!」


 こめかみを手で抑えて、最初から真白に親近感を抱いた理由に心当たりができた。

 なるほど、俺は今までお母さんともこんな噛み合わない会話をしていたのか……そりゃ、真白のことは他人に思えないよな。


 語弊があるとすれば、真白は他人ではない。彼女は俺の中では家族になる予定だ。

 真白が俺の家族になる、それは俺の決意でもあり、願望でもある。




「これが凪くんの部屋だね」

「そう、真白を入れたくない部屋だ」

「これから私もここで生活するのに?」

「さりげなく俺の気持ちを無視するな! まるで真白がこれからうちで世話になるかのように語るな! あと本気を感じさせるような笑顔をするな!」


 手を洗った後に、宣言通り、真白は手を引いて俺に部屋の場所を聞きながら二階へ向かった。

 俺の部屋に入ったら、やはりというべきか、真白の瞳は一瞬でマーガレットを捉えていた。


「それは置いといて―――」


 真白はいつになく真剣な声色でゆっくり口を開く。


「―――渚紗ちゃん、こんばんわ」


 彼女は静かに渚紗へのマーガレットを飾っているアレンジメントの前に正座して、目を瞑って手を合わせた。


「私がだと感じたのは、『真実の愛』だと教えてくれてありがとう、渚紗ちゃん……凪くんのでいてくれてありがとう……いつかは三人で話したかったけど、やっと叶いましたね……」


 心の中と往来して、真白は言葉を紡いだのだろう。

 

 俺が聞こえている真白の独り言のようなメッセージはきっと彼女の気持ちの全てではない。

 全てではないが、その断片的な言語が十分に俺の心を救った。


 俺が浮気などしていないことなど、真白は最初から分かっていたのかもしれない。

 そして、俺の部屋に必ず渚紗がいるということも彼女は知っていたのだろう。


 それを分かっていながら、真白は俺の部屋に来ることを望んだ。

 それが俺にとって、結果的に胸の枷をやっと外す鍵となった。


 真白に渚紗のことを打ち明けても、渚紗のことを実感させてはいけない。

 俺は心のどこかでそう思っていた。


 真白を傷つけたくない。

 甘えん坊で寂しがり屋の真白に嫉妬させたくない。


 なのに、真白は優しかった。優しいという言葉が一番ふさわしい女の子だった。


 この世に正解はないだろう。代わりにあるのは最適解だ。

 ただ、それは本人の価値観によって変わるという点において、同じものなのかもしれない。


 真白がしたのは正解じゃないかもしれないが、それが最適解のように思えた。

 彼女の行為によって、間違いなく俺の心は救われたんだ。


 真白、君に恋したこと以上に幸運だと思ったことはないよ……。

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