第一話 目覚め
鉛色の分厚い雲が空を覆っている。時刻は午前九時を過ぎた頃だというのに、夜の帳が下りたかの様な闇が、この世界を包み込んでいた
路地裏の奥。潰れた空き缶やボロボロになった紙切れ、破れたビニール袋からゴミが散乱する中に、一人の少女が壁にもたれ眠っていた。雪の様な白い肌に整った顔立ち、腰まで届きそうなほど長く美しい黒髪。真新しい紺色のブレザーにスカート、白いワイシャツを着用し、黒のソックスにローファーと学生の様な出立ちをしていた。首元には箱型の装飾が施された銀色のペンダントを付けている。
「……ん」
ゆっくりと瞼を開ける。透き通った黒い瞳を通して、少女は路地裏を見回す。見慣れない場所に困惑しながら立ち上がろうとした時だった。
「ここは、一体……痛っ!」
電流が走ったかの様な痛みが少女を襲う。ノイズが走った映像が頭の中にフラッシュバックし、少女は堪えきれず咄嗟に蹲り頭を抱えた。呼吸が乱れ、高鳴る動悸を必死に抑えようと、胸に手を当てながら深呼吸を繰り返す。
しばらくすると痛みは止み、頭の中を走る映像も煙のように消えてしまった。冷静さを取り戻した少女は、再び立ち上がると壁に手をつきながら光が差し込む方へと足を進めた。足元がおぼつかないまま、慎重に歩を進め少女は路地裏を出る。
極彩色の光を放つ建物が所狭しと並ぶ。電光掲示板には、可愛らしい衣装を着た少女の映像が流れ、軽快な音楽が街全体に木霊する。地面には誰のものか分からない靴やリュックが打ち捨てられ、建物には何か鋭利な物で抉られた様な傷跡が、放置されている車は何かに踏み潰されたかの様な跡が残っている。少女以外にはおよそ人の気配というものは無く、ただ機械的に垂れ流される映像や音楽、眩いほどの光が街を不気味に照らしていた。
「あの……。誰か、誰かいませんか!」
無人の街並みに向かって少女は叫ぶ。ここは何処なのか、一体何があったのか。不安と恐怖に押し潰されまいと必死に声を上げた。
「私、気付いたらここにいて! 誰でも良いから、聞こえたら返事をしてください!」
少女の必死の叫びも虚しく、人どころか生き物の気配も無い。目に涙を溜めながら諦めて歩き出そうとした時、大音量の音楽を流す目の前の建物から人影が現れた。
ボロボロの黒いローブを身に纏い、フードを深く被って表情は見えない。身長は二メートル程で身体からは黒い靄の様なものが滲み出ていた。ようやく人に出会えた嬉しさと安堵から少女は駆け出して声をかける。
「あ、あの! ここが何処か分かりますか? 私、気付いたら路地で眠っていたみたいなんですけど、今までの記憶が無くて……」
そう言いかけた少女の動きを止め、自分が口にした言葉を反芻する。
”今までの記憶が無い”。自分の置かれた状況から見落としていたのか、少女にはこれまで生きてきた筈の記憶が無かった。親兄弟や友人、果ては自分の名前や年齢すらも思い出せなかった。
「……ッタ」
「え?」
困惑する少女に向けて、黒いローブを着た人物……否、”何か"が声を発した。深く被ったフードが風に煽られ顔が露わにする。歪に歪んだ髑髏のような白い面を被り、飢えた獣の様な眼光が溢れていた。
「ミツケタ。ミツケタミツケタミツケタミツケタ!」
甲高い声で狂った様に繰り返す目の前の何かはおもむろに右腕を振り上げた。その瞬間、少女は街が何故こんな惨状になったのかを理解した。何かが振り上げた右腕には、鈍い光を反射する鋭利な鉤爪が備わっていた。
「ひっ……あ、あの……」
殺される——。本能的にそう感じた少女は一歩、また一歩と後ずさる。フードの奥から狂気を孕んだ甲高い笑い声が聞こえた。同時に少女に向けられる視線には、明確な殺意と悪意が剥き出しになっていた。
「ギイイイイイイアアアアアアアア‼︎‼︎‼︎‼︎」
「嫌ああああ‼︎」
悲鳴を上げながら少女は駆け出した。狂った様な金切り声を発しながら黒い何かは少女の後を追う。一息で少女の背後まで迫ると、黒い何かは振り上げた鉤爪を喉元に向けて振り下ろした。
「きゃああああ‼︎」
少女は咄嗟に身をかがめ、間一髪で鉤爪をかわす。鉤爪が直撃した地面はスポンジの様に簡単に抉られていた。声を出すことも忘れ逃げようとするが焦りと恐怖からから足に力が入らず倒れ込んでしまう。
「嫌、来ないで! 誰か、誰か助けてください!」
少女の叫びが街に響く。しかし黒い何かは少女を嘲笑うかの様な奇声を発しながら躊躇うことなく両腕を振り上げた。
「ひぃっ!」
覆りようの無い死。スローモーションの様にゆっくりと少女の目に映る。着実に迫る鉤爪、八つ裂きされる未来から逃れようと少女は目を瞑り蹲った。
だが、少女に鉤爪が直撃することはなかった。
「ギアアア!」
何かが衝突した着弾音。次いで黒い何かの悲鳴にも似た声が漏れ、建物に吹き飛ばされる音が聞こえた。
「えっ……?」
恐る恐る少女は目を開け目の前を見る。先ほどまで自分を殺そうとしていた黒い何かは吹き飛ばされた衝撃で倒れ込んでいる。
そして、少女を守るように黒い何かに立ちはだかる誰かがそこにいた。
「間に合ったみたいで良かった」
凛とした声で呟く。肩まで伸びたピンク色のツインテールが風に靡いていた。ピンクを基調にしたフリルの付いたアイドルの様な衣装を着込む美少女は、立ち上がろうとする黒い何かを睨みつける。
「悪いけど、もうアタシの目の前で誰かを殺させないから。トップアイドル、
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