第13話 黒侯爵の呪い
別に何を期待したわけでもない。
落胆した顔が見たかったわけでも、見慣れた侮蔑の表情を見たかったわけでもない。
事実を黙っていることに耐えられなかったかといえば、そこまで潔癖であるわけでもない。
だが何を期待していたのかと問われれば、考え込んでしまうけれど。
それはともかく。
今、彼が浮かべている表情だけは違うとはっきりと言える。
メレアネを罪人と知ってどう思うか、と聞いて――破顔されるだなんて。
先ほどまで従姉妹に向けていた作り物めいた微笑ではなく、思いっきり楽しげに笑われれば、戸惑いしかない。
一体、何がそんなに彼のツボだったのか、心底理解できない。
「お前は、ほんと変わらない……っ」
「変わらない?」
失礼だろうと怒る前に、疑問が湧いて思わず問いかけていた。
カウゼンは大きな手でメレアネの頭をなでくり回した。
それはもう遠慮なく、ぐちゃぐちゃに。
あまり他人に髪を触られなれていないメレアネはカウゼンの家の者たちが今朝整えようとしてくれたが断っているほどだ。そのため長い髪を下ろしたままにしているのだが、クセのある髪はすぐに絡まってしまう。ウェーブがかった髪は整えるのにもコツがいるほどだ。
「か、髪……っ」
「はいはい、絡まりやすいから扱いは注意しろっていうんだろ」
「なんで知って――?」
不意に見上げた拍子に、彼の随分と穏やかな瞳とぶつかる。
こんな愛しいげな光を湛えた視線など向けられたことがなくてメレアネの鼓動が知らず跳ねた。
「傲慢なお姫様だものなぁ」
そんなことを、これまで言われた覚えはない。
家族から嫌われているメレアネの評価など、大人しく手のかからない娘だ。屋敷で働く者たちも同様だろう。暗く陰気などと言われることもあるけれど、決して傲慢などと言われたことなどない。
婚約者からだってお淑やかとか落ち着いているなどと言われていたというのに。
ズレているも傲慢も何一つ、メレアネの認識とはかけ離れていた。
だというのに、何故だが怒りは湧かない。決して褒められているわけではないというのに。
「侯爵様は私のことをご存知でいらっしゃる?」
「カウゼンと呼べと言ったと思ったが」
不思議になって問えば、カウゼンは一転して不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「もうすぐ妻になる女にそんな余所余所しい名前で呼ばれたくはない」
墓参りに行ためにカウゼンとの結婚を了承した。
自棄っぱちの完全に後先考えない勢いと打算だけの返答だったけれど、カウゼンは何も持たない小娘を婚約者としての振る舞いを求めた。もちろん使用人たちにも婚約者、ひいては次期侯爵夫人として遇するように徹底させたほどだ。
メレアネが混乱したのは言うまでもない。
勝手に畏まられても、幽霊のように扱われていたのだから待遇が違いすぎてついていけない。他人の家でそんな横暴ともいえるような振る舞いができるほど図々しい性格もしていない。だというのに、カウゼンにはできて当たり前のように求められる。
この男は一体、メレアネの何を知っているというのか。
再度、疑問を口にしようとして、カウゼンに片腕で抱きしめられた。何事かと声を出す前に、馬のけたたましい嘶きが外から聞こえた。軋む馬車の悲鳴じみた音に合わせてカウゼンは扉を蹴破った。
彼の狼藉に驚く間もなく、彼はそのまま虚空に身を躍らせたのだ。メレアネを抱えたまま。
王家の墓地は牧草地帯の外れにある。飛び出したのは長閑な草地とはいえ、衝撃に息を詰める。
だがカウゼンは何もなかったかのように馬車から飛び降り、地面に着地した。制御を失った馬車が横に反れて横を流れる川に落ちていくのを呆然と見つめる。
正に一瞬の出来事だった。
「怪我はないか?」
「あ、はい、大丈夫です……」
ぼんやりしたままメレアネは応えた。
彼はその返事で安心したのか、同じく飛び降り蹲っている馭者に駆け寄った。
その泰然とした大きな背中を見つめながら、メレアネは震えた。
カウゼンは呪われている。
いつでも死と隣り合わせだ。
それを実感して、抱き込んでいたカードをさらに強く意識する。
祖母から受け継いだ一度は捨てた過去の遺物。
このカードとカウゼンが居れば、メレアネの願いは遠くない未来に叶うだろう。
そんな予感に、歓喜にうち震えながら、メレアネはほうっとため息を吐いたのだった。
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