第8話 求婚

「無理? それはまたどうしてかな」


冗談でしょう。無理な理由を聞かれて、メレアネは困惑した。

無理な理由しかない。

これまで侯爵家の婚約者がいたとしても、解消されたばかり。相手が亡くなったからだと言っても立派な瑕疵つきで、さらにセイレルンダが指摘するように、家も追い出されている。つまり、用無しだと家族から見捨てられている役立たずで傷持ちである。

その上、自国の侯爵家すら知らない無知な娘だ。


そんな女がなぜもう一度侯爵家の嫁になれるというのだ。


婚約する理由がひとつも思い浮かばない。

どう考えても事故物件だ。むしろ忌避すべきである。


「まだ婚家を望める年頃でも家を追い出されるような娘ですよ。迷惑でしょう」

「あいつは気にしないよ」

「それは貴方の意見で、あの方の意見ではありません」

「だってさ、どう思う?」


おもむろに後ろを振り返ったセイレルンダの視線の先には、なぜかカウゼンが仏頂面で立っていた。


「セイ」

「うわ、怒るなよ。私だって反省してる。まさか行方知らずになって戻ってきたばかりの娘を叩いて追い出すだなんて思わなかったんだって。でも、こうしてお前の屋敷につれてきただろ」


セイレルンダが必死で釈明している横を通りすぎて、カウゼンはソファに座っているメレアネの前で膝をついた。

嫁云々の話よりもメレアネの頬の腫れのほうが重要らしい。それもどうかと思うけれど、嫁の話を蒸し返されるよりはいいかと黙っておく。


後ろからやってきた家令が、カウゼンに慌てて何かの木箱を渡しているのをじっと見つめた。


「旦那様、主治医を呼んでおりますが」

「後にしろ。ひとまず手当をする」


木箱の中から軟膏のようなものを取り出して、そっとぶたれた頬に塗られた。ピリリとした痛みはすぐに消えて、すっと冷えた感触が心地よい。大きな手はなぜか繊細な指使いで優しい。

配慮されているのが伝わって、思わずくすぐったくなる。

笑いをこらえていると、心配げに揺れる藍色の瞳とぶつかった。


「痛むか?」

「いえ、平気です」

「いつも叩かれるのか」

「初めてですよ。さすがに売り物の娘は見かけ上大事にしてくれました。売る宛てがなくなったので、さすがに動転していたのかもしれませんね。家を追い出すのでもう何をしてもいいと思われたのかもしれません。これまでもずっと我慢していたでしょうから」


乾いた笑いを浮かべれば、カウゼンはなぜか怒りに目をぎらつかせた。

だが視線を外さずに、背後で成り行きを見守っているセイレルンダに問いかけた。


「何かわかったか」

「彼女の家に行って、勘当されたから連れてきただけだよ。そんな時間で何がわかるっていうんだ」


悲鳴じみたセイレルンダに、カウゼンは短く名を呼ぶ。


「セイ」

「あーもう、わかってるよ! 俺の苦労なんて無駄口ですよねっ。ええと、嫡男は死んだのは間違いないようだ。婚約も取り消しになった。そして、彼女は家を追い出されたよ」


端的にセイレルンダが説明すれば、家令が息を呑んだ。突然やってきた見知らぬ少女の身の上に、同情のような憐憫の視線を向けられる。

だが、それよりも上回る驚きがメレアネを襲った。


「結婚するぞ」

「……っ!?」


何を言われたのかわからないけれど、頭はしびれたように動かない。


「婚約すっとばしたが、言うと思った。だから、彼女に先に言っておいたんだけどなあ」


ぼそっとセイレルンダが呆れたようにつぶやいた言葉が、部屋にぽつりと落ちたのだった。

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