女子校の王子様が誰よりもお姫様なことを私だけが知っている
梅谷涼夜
第1話 女子校の王子様
無人の教室、風が桜の花びらを連れてきた。窓から差し込む朝日はキラキラと輝いて。
こんな景色に合う服はなんだろう。
窓辺の列の後ろの方。学籍番号、それに『藤原
着るのは黒髪ロングの女の子だとして。悩むけど……やっぱり制服だ。
果たして、セーラー服か、ブレザー服か。
髪が黒いから紺のブレザーにすると全体として色味が暗くなるし。かといって、白めのセーラーで光を反射させて明るくすると桜の花びらの淡い色みが損なわれるような。
でも、着る子が本当に真っ黒な黒髪なら。
髪と桜のコントラストで色も死なない、大丈夫。
そして、セーラー服を着たその子は窓際に佇んで、にこやかに笑いかけてくるんだ。
綺麗なものを見るとそれに合う服装を考えたくなる。自分が何を着るかなんてどうでもいいくせに、どういうわけかそういう妄想は小さい頃から止まない。
とはいっても、それを誰に着せようというわけじゃないけれど。
そもそも生身の人間のスタイリングはしたくない、というか無理。私にはそんな自信も実力もないし。それに『この服は好みじゃないし、似合わないけど、着せてもらったしな……』ってときにモデルが見せる微妙な表情に、私は耐えられない。
昔は私もスタイリストになりたいという夢を持っていた。きっかけは国民的アイドルの専属スタイリストをしていたお母さんに憧れたからという単純なもの。そのアイドルは今やもう昔の人ではあるけれど、お母さんがスタイリングしたその人の写真は古びたりなどせずどれも輝いて見えた。どんな格好をしていてもそれぞれに違う輝きがあって、見てるだけで胸が躍ったものだ。
『綺麗になりたい、美しくなりたい、可愛くなりたい、そう願うのが女の子。私の仕事はそんな“女の子の夢”を叶えること』
それがお母さんの口癖。そんなふうに誰かを輝かせられるお母さんがカッコよくて、羨ましかった。
その真似をして友達の着せ替えをやってみた時期もある。でも、その結果があのザマ。あの目を知ってから、私は他人を着せ替えるのが怖くなってしまった。
今、私のコーディネートを着てくれる子はイマジナリー。スタイリングに対して何も言ってはくれないけど、決して文句も言わない。
架空の存在とする、虚しい着せ替えごっこ。
そんなことをしているから、二年に進級してちょっとしてもなお、新しい友達はできない。でも、私にとってはそれでいい。
早朝の教室は好きだ。誰もいないから。
始業時刻の一時間前。今なら誰に邪魔されるでもなく、何にもならない妄想を好きなだけ楽しめる。
私は教室で一人、資格のテキストを開く。まあ、別に読むわけじゃないんだけど。
ただ開くだけ。読んでるふうに。
かつて、モチベアップと意気込んで肌身離さず持ち歩こうと決めた資格の参考書やウィッグ。それらも、今やもうアクセサリーや鞄の肥やし。
かさばるし、重いし、邪魔。
これらを持ち歩くことに何の意味があるのか、もはや分からない。でも、これらを持ってないと自分が自分でなくなるような気がしてしまう。
手放せない、夢の残滓。
頬杖をついて外を見る。
こんな時間にこの女子校にいるのは先生たちと朝練してる運動部ぐらい。みんなは自分のことに打ち込んでいて、私のことなんて気にしてない。
そのくらいの空気感が私にとっては心地いい。私が深呼吸できる唯一の時間だ。
でも、そんな時間ももう終わる。そろそろ、アレがやって来る。
「先輩、ご機嫌はいかがですか?」
「今日もカッコいいー!」
ドアが開き、どっと押し寄せてくる女子たちの集団。彼女らはこんな朝一番だというのに興奮気味にはしゃいでいて、甲高い声は止むことを知らない。
まるで男性アイドルグループがファンサービスしているときのような熱狂ぶりだ。思わずここが女子校だということを忘れそうになる。
この学園でそんなふうに周囲をキャーキャー言わせるような
しかし、いる。一人だけ。みんなを虜にする女子生徒が。この黄色い声援も、ただその子に向けて降り注がれている。
「やぁ、おはよう。みんな元気だね」
キンキンと頭に障る声の中でもよく通る低い声。それはいわゆるイケボというやつで、女子たちの間からカッコいい……と、うっとりした声が漏れ出す。
集団の中心にいる、ブレザースタイルにスラックスを着こなしたその生徒は一際背が高く、取り巻きの中にいても存在感は抜群。文字通り、集団で頭ひとつ飛び抜けていて、爽やかに切り揃えられたウルフカットの黒髪と、二次元のイラストのように整った顔立ちがよく目立つ。
イケメン。
それ以外、なにも言葉を思いつかない。
それが彼女の名前。
私なんかが関わってはならない、“学園の王子様”。
この百合ヶ丘大附属女学院中学・高等学校にはあからさまというわけではないが、確かに学内カーストが存在する。中学からエスカレーター式に進学してきた内部進学組と、高校から入学してきた外部受験組。この二つの入学方法の差によって、自然と私たちのランクは決まる。
元々、中高一貫のお嬢様学校として走り始めたこの学校。中学受験という狭き門を突破し、かつ家柄もそれなりの内部進学組からすると、私たちのような高校からポッと入ってきたような外部受験組は“本当の意味での
内部進学組が上、外部受験組が下。そういう暗黙の了解。
その中でも、澄衣さんは中学受験でここに入り、そのときから学園の王子様として名を馳せていたという。まさに、トップオブ
そんな人間にカースト底辺の私みたいなのが絡もうものなら、どうなるかは火を見るよりも明らか。
近づくな、触れるな、離れろ、だ。周囲の取り巻きを含めて、めんどくさいことになるに決まってる。
一応、澄衣さんと私はクラスメートではあるものの、内進生を引き連れた彼女と同じ教室にボッチでいるというこの状況が既に辛い。
「スメラギさん、素敵ですぅ……」
「あはは。そんなことないよ」
「いやいや、そんなことありまくりですわー! 皆さんもそう思うわよね?」
「ええ」
「もちろん!」
澄衣さんは終始にこやかに周りの女の子と受け答えしている。彼女を囲む人数はだんだん増え、ますますもって教室に居づらくなってきた。
こんなところ、さっさと出よう。
テキストを読むなら校内の図書館でも自習室でもできるんだ。わざわざここに残って気まずい思いをする必要はない。
私は二、三冊、本を片手に席を立つ。誰にも気づかれないよう存在感を消しながら、澄衣軍団の横をすり抜けようとした。
そのとき、
「わっ!」
何かに躓き、足がもつれる。
「プッ……!」
「どんくさ……!」
最悪だ。一番やらかしたくないところでやらかすなんて。
バランスを崩し、床に一直線。痛みを想像して反射で目を瞑る。
「危ない!」
本がバサリと床に落ちた。
私は、
「ぇ……!?」
受けとめられた。転ぶ途中、柔らかにギュッとされて。
途端に周囲がどよめく。声にならない声や、ゴクリ、と生唾を飲みこむような音まで聞こえてきて。明らかにとんでもないことが起きている。
恐る恐る目を開く。
そこには、
「大丈夫かい?」
そして、私は彼女の腕の中。
澄衣さんは心配そうに私の顔を覗き込んだ。
切長でバッツリ二重の力強い目がこっち見てる。眉もキッとしてるし。一本筋の通ったその鼻は高くて、気を抜いたら私の顔に触れてしまいそう。これでもかってくらい顔は小さく。そして、凛々しい口元の意外なところにほくろ。
今まで遠い存在だったから、こんなに彼女の顔を見たことなかった。でも、こうよく見ると、王子様という評判に違わず──話から想像してた倍くらい──綺麗。
「藤原さん、どうかしたの?」
「ぃえ……」
マズい。これ以上、じっと見つめてしまうドキドキするから、思わず髪へと目を逸らす。
でも、そうして眺めたショートの黒髪は丁寧に手入れがされていて、羨ましくなるくらいにツヤツヤ。そして、深く、突き抜けるほどに、本当に真っ黒だ。まるで高級なウィッグのように。いや、そんな作り物の髪よりずっと黒く、活き活きとしている。
こんな髪の持ち主、中々いない。それにこれだけいい顔をしているならきっと、どんな──
「……チッ」
舌打ちがどこかから聞こえて、我に帰る。
そういえば私って、さっきからずっと澄衣さんに抱きしめられているんだ。
この猛獣ひしめく地獄のような状況で。
サーッと血の気が引いてゆく。
「もう、大丈夫ですから……!」
私は瞬時に彼女から飛び退き、床に這いつくばって慌ててテキストを拾う。すると、どういうわけか澄衣さんもしゃがみ込んできた。
「本、拾えなくてごめんね」
「そっ、そんなこと」
「……ねぇ、この本ってさ」
「別になんでもないです」
いい加減、周囲の女子たちからの視線が痛い。私は澄衣さんが拾ってくれた本をひったくるように受け取った。
「今日も……よろしくね」
「はぃ」
彼女は軽く手を振ってくれたものの、どことなく躊躇うような眼差しで。他にも何か言いたげな気がした。
しかし、私はそれを気にしないよう軽く会釈して、一目散にこの場を後にする。
危ないところだった。もう少しあの場にいたら、きっと殺されてただろう。
女が同性に向ける嫌悪感に心臓をバクバクさせながら廊下を走っていると、澄衣さんに会いに行くであろう女子たちとすれ違った。
「みーくん先輩、ショート似合うよねぇ」
「本当、あれ以外ないって感じ!」
ふと、そんな何気ない会話が胸に突っかかる。
そんなことない。あの髪は伸ばしたってきっと合うはずだ。
もったいないとは言わないし、今のショートウルフも似合ってないわけじゃない。でも、個人的にはロングの方がなんとなく澄衣さんらしい、というかしっくりくるような気がする。
そういえば。
ふと取り巻きの中で談笑していた彼女の顔が頭に浮かぶ。
さっきの澄衣さんはなんとなく、くすんで見えた。言うなれば、顔のいいマネキンのよう。全てのパーツは完璧なのに、どこか欠けているような違和感がある。
何が足りないのか分からないけど、不思議と私には澄衣さんが空っぽに見えた。
本当ならもっと輝きそうなものなのに。
私だったら──。
だけど、踏みとどまって冷静になる。
私は澄衣さんの何を知っているというのだろうか。ただの一回、助けてもらっただけだろう。
それに彼女が好きでショートにしてるなら、私の物言いは単に迷惑なだけ。わざわざ口出しをしてもしょうがない。
そうさ。しょうがないんだ。
余計なお節介は、した方もされた相手も不幸にするのだから。
そう噛みしめながら、私は一人、図書館棟へ駆け込んだ。
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