承……(3-14)

 夜になった。さらに更け、深夜へと変わる。

 僕は身を潜ませていた林から広場を覗く。やがて、小さな声が僕の名を呼んだ。予想以上に声が響いて「あぅっ」と続けたところが歩らしい。

 ゆっくりと林から出ると、いつものベンチに腰掛けた。隣では眠そうな少女がすでに足を揺らしている。

 歩の提案は単純だった。

 ――深夜にお話しようよっ。

 まあ、断ってもよかったはずなんだけどね……もっと追い詰めたかったのかもしれない。

 そんな余計なことを考えていたからだろう。歩が先に口を開いた。

「……夜更かしってドキドキするねっ」

 僕からすれば夜更かしというほどのものですらないのだが、曖昧に頷くことにした。

「でも、ちょっと寒いかなー……って、ここはそっと上着を掛ける場面だよ」

「……上着なんてないんだけど?」

 僕は厚手のシャツ。歩は病院服……一応冬用。そんな装いで、僕達は白い息を吐いた。

「それにしても、徹夜って大変だねー。眠りたくないんだけど……眠いんだよね」

「まあ、そういうものだろう」

 ははは……くしゅん。そして言った。

 ――うん。そろそろ、嘘は終わりにしないと。

「……ん?」

 意味が分からない僕は、間抜けな声だけを上げた。

 少女は続ける。

「実は私……次寝たら、記憶がなくなるんだ」

 あまりにもいつも通りの声だったから、僕は返事すら出来なかった。ただ、理由も分からないままに目の前が真っ暗になった気がした。

「あとね、本当は……静夜の噂を聞いたことがあったんだ」

「……どういう、ことだよ?」

「だから、静夜がその……《悪党》とか呼ばれてるのを本当は知って――」

「違うっ! そんなのはどうでもいいんだよ! じゃあ、君は……今寝たら!」

 立ち上がって怒鳴りつけた。僕を知る人間ならば大人だろうと萎縮する怒声に、少女は微笑った。

「うん。記憶がなくなっちゃうね」

「な、なんでそんな嘘を……吐いたんだよ?」

「気付いてないの? 静夜さ……昨日から、すごく辛そうなんだ」

 わけが分からない僕に歩は続ける。

「それが……私は、すごく嬉しかったんだよ?」

 ――コイツは何を言ってる?

 だけど歩は、急に顔をくしゃくしゃに歪ませた。

「だから私は……怖い。せ、静夜が……本当は全然辛いなんて思ってなくて……全部、全部嘘で……本当は、わた、私が死んで……喜ぶんじゃないかって、考えたら……怖くて怖くて。今すぐ消えるって知ったら……笑うんじゃないかって、そんなの酷い想像なのに……」

 ――消せなくて……嘘吐いちゃって。ごめんねぇ……。

 とうとう声を上げて泣き始めてしまった。

 この表情が、苦しむ姿が見たかったはずだ。なのに、どうして嬉しくないんだよ……?

 どうして、こんなに――

 僅かな沈黙。その間に僕は再びベンチに腰掛ける。

「それに……もう一つ。ごめんね、静夜。私、静夜を助けられなかった」

 何を――?

「そんなに歪んだ心で、辛かったよね? 《悪党》なんて呼ばれてさ。望んでそうなったわけじゃないのに……お母さんが死んでも、悲しむことさえ出来ないなんて」

 それは、つまり。

 僕が歩を苦しめようとしたように……歩は僕を救おうとしたのか。

「違う……悪いのは僕だ。僕が、僕が救いようのない《悪党》だから……」

 ――だから。ヒーローみたいに君を助けることが出来ない。

 この言葉も感情も……結局は演技なのだろうか。もう、分からなくなっていた。

「本当に、噂以上の悪党だったね。でも――」

 ――きっとどこかに救いはあるよ?

 ぽろぽろと涙を零しながら、告げる。

 叫びたかった。

 君に。救いようのない善人に。救いなんてなかったじゃないか。

「――ぁ」

 唐突に、歩が僕に寄り掛かった。

 慌てて抱き止める。歩は意識を失いかけていた。慣れていない少女に徹夜は負担が重すぎたらしい。泣いたこともあり、急激な眠気に襲われているようだ。

 ――もう、終わりということなのか。

「ねえ、覚えてる?」

 意識も朦朧とする中で、涙を頬に残したまま、訊ねてきた。

「いつか話した、私の願い」

 そう言いながら、恥ずかしいなと微笑った。

「うん……覚えてる。手紙を届けた時だろう?」

「そうだよ……せっかくだから、聞いて?」

 理由も分からず、何度も何度も頷いた。

「世界が物語で……いつか最期を迎えるというのなら」

 その時やっと、何か言わなければいけないと。このままでは本当に終わってしまうと。そう気付いたが、遅すぎた。


「この物語の結末が、ハッピーエンドだったらいいねっ」


 ゆっくりと目蓋が閉じていく。

「待って、待って……っ!」

 追いかけるように慌てて手を伸ばすけど、少女は静かに寝息を立て始める。僕の腕で眠る少女はすでに常無歩ではない。

「そんな……」

 ここに至って、初めて気付いた。至極簡単な話だったんだ。

 ――僕は初めて会った瞬間から、殺したいほどに常無歩が好きだっただけなんだ。

 でも、これじゃあ……

「恋愛物語にすら、ならないじゃないか――!」

 滑稽すぎる。ヒロインが死ぬまで、主人公が自分の想いに気付かないなんて。

「なん、なんだよ……」

 それに……僕は歩が最期に残した願いすら叶うと思えていない。

 ――この世界の終焉は不幸と争いに満ちている。そんな想像しか、出来ない。

 つまりは《悪党》だったのだ。少女の綺麗な願いでも救えないほどに《悪党》だったのだ。

「なんなんだよ……僕はッ」

 ただ、その日。

 生まれて初めて、僕は他人のために泣いた。

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