打ち切り作家の幸せ転生ライフ ~今度こそ売れっ子作家になってみせる!~

みどりいろ

プロローグ

第1話 打ち切り


「泉先生、申し訳ありません!」


 矢作君は急に立ち上がって、ガバッと頭を下げた。

 もうれつに嫌な予感がした。いやまあ、そんなもの呼び出しをした矢作君が暗い顔で前の席に座った段階から嫌というほどしていたんだけど。


「うちの出版社では、先生の続刊を出せなくなりましたっ!」


 引いてる私が、何がと聞くまでもなく矢作君は言った。そりゃもう正々堂々大声で。漢らしい。じゃなくて、あな恐ろしや。

 矢作君の言葉は頭をハンマーで殴られたような衝撃だった。でも、それ以上に矢作君マズいんじゃないのという心配が先立った。


 キョロキョロ周囲を見渡せば、お前バカかよと言わんばかりにギョッとした顔で矢作君を見てる編集者が二、三人。そりゃそうだ。こんなことをわざわざ作家に言う編集者なんて普通存在しやしない。しかも出版社のオープンスペースで。

 私は目の合った編集長に、気にしてませんよーと主張するようにニッコリ笑いかけた。少しでも矢作君のフォローになるといいのだけれど。

 

「矢作君。まずは落ち着いて座って」


 どうどうと馬をなだめるように私は両手を上下させる。なんでクビを宣告された私が気を使ってるんだろうと笑ってしまいそうになる。


「泉先生」


 今にも泣きだしそうな顔を両手でぐしゃぐしゃと拭いて、矢作君はようやく重たい腰を下ろす。まったく、泣きたいのはこっちの方だっていうのに。そんな顔をされたら年長のこっちが泣くわけにはいかないじゃないか。


「売れなかったんだ? 新作」

 世間話のようなさり気なさで私は聞いた。


「……はい」

 私よりよっぽど深刻そうに矢作君は頷いた。


「何部?」

 私は続ける。


「それは……」

 矢作君は口ごもる。


「今さら隠すような間柄でもないでしょ」

 私は笑う。


「はい」

 覚悟を決めたように矢作君は頷く。

「千部、売れてないかと」


「……そっか」

 二千刷って、その半分も売れなかったか。そりゃ、クビにだってなる。


「わかった。ありがとう。正直に教えてくれて。部数もクビも」

 私は心からお礼を言った。編集者は普通はこんなこと言わずに、すっと音信不通になるものだ。そうしなかったのは矢作君の若さと、なにより誠実さだ。

 だから、私は心から矢作君に感謝していた。


「泉先生……俺になんかお礼を言わないでください。先生も、先生の作品も守れなかった俺なんかに」

 いよいよ涙をこぼして、矢作君は首を振った。


「違うよ。自分も作品も、守るのは作家の責任。編集者は一緒に作品を作るパートナー。でも生みの親で、責任を持つのは作家の仕事。私の仕事まで奪わないで?」

 冗談めかして、私は笑う。


「先生……」

 うつむいて、白くなるほどにデスクの上に置いた手を握り締める矢作君を見て思う。私は、本当に担当編集には恵まれていた。


「それじゃあ、矢作君。今まで本当にありがとう」

 そんな愛すべきパートナーに笑いかけて、私は席を立つ。


「先生っ」

 意味もなく、矢作君は私を呼んでくれる。


「もしまた機会があったら、声かけて。その時は喜んで書かせてもらうから」

 熱血な彼に苦笑して、私は背を向けた。


「先生。俺は……俺は本当に先生の作品が好きでした」

 まるで告白みたいに、矢作君は去り行く私にそんなことを言ってくれた。


「ありがと……その読者の感想だけが、私の誇り」

 顔だけ振り向かせて、私はしみじみと最後のお礼を告げた。



   ◇◇◇



「はあ……」

 息をこぼして、私は深々とベンチに腰を落とした。


「ダメ、だったか」

 しみじみと呟いて、私はうつむいた。


 会心の出来というわけではなかった。それでも一生懸命書いた。これが最後かもしれないと、書いたのだ。


「まいったなぁ」

 乾いた笑いが漏れる。


 漫画家を夢見たお兄ちゃんの影響で漫画家に憧れて。

 でも、絵が下手だったから諦めて。

 ライトノベルに出会って、小説家を夢見た単純な子どもだった私。

 なのに、学生時代は楽しいことがいっぱいあったから。

 ながらで小説を書いて。でも本気で取り組まなくて。

 気付けば流されるままにOLになってた。

 激務だったフードチェーン店の総務。

 その生活に疲れて、ふと昔の夢を思い出して。

 そこから一念発起して、本気になって。

 幸運なことに、三年でデビューできた。

 兼業作家になればよかったのかもしれないけれど、ブラックだった前職をしながらじゃ小説と向き合えなかったから。

 専業作家になって四年。今や立派なアラサーだ。

 職もない。ろくな化粧っ気もない。

 こんなニート女子が、これからどうやって生きていこうか。

 

 ぼんやりとそんなことを考えていたら、温かいものが頬を伝った。


「え……あれ?」


 指先でそれに触れてみる。触れた指を見てみれば、それは確かに濡れていた。


「え? 嘘」


 誤魔化すように目元を拭って、笑って。

 それでも、ボロボロあふれ出す涙が止まらなくて。

 どうして? と考えて、やがて私は気付く。


「……そっか。私、もう小説家じゃないんだ」


 ぽつりと吐き出せば、もう抑えられなくて。

 人目もはばからず、私は泣いた。




 どれくらいそうしていたのか。

 涙も枯れた私は、少しだけ落ち着く。

 でも物思いに沈んでしまえば、また泣いてしまいそうだったから。

 私はぼーっと、目の前の公園の景色を眺めた。


 遠くで遊んでいる子ども達。 

 小さいその姿を見て可愛いなと思う。

 あのままOLを続けて、彼とも付き合い続けていたら。

 子どもを産んで、普通のお母さんになる。

 そんなささやかな幸せもあったのかな、なんて思う。

 そこで気付いて頭を振る。

 ダメだ。どうも思考がネガティブになってる。

 よく考えれば、小説家人生だって終わったわけじゃない。

 レーベルなんて幾らでもある。あっちがダメならこっち。こっちがだめなら、またその向こうだ。


「もう失うものなんてない。なんだってやってやるんだからっ」


 自分を奮い立たせるように言葉にすれば、ようやく少し笑えてきた。

 自分のしぶとさがおかしくて笑っていれば、目の前をポーンッとボールが跳ねた。

 それを追いかけて、小さな男の子が走る。


「危ないよ」


 周りを見ない男の子に私は声を掛ける。

 しかし、そんな私の声さえ耳に入っていない様子の男の子は、脇目もふらずボールを追い続ける。そして、そのまま道路に飛び出した。


「危ないっ!」


 悲鳴のように叫んで、私は走った。全力で走った。

 トラックのブレーキ音が響いてる。

 ボールを手にした男の子は、ただ茫然とトラックを見上げている。

 飛び掛かるようにして、私は全力でその子を突き飛ばした。

 小さな男の子は、女の私の力でもぽーんっと軽々歩道まで吹っ飛んだ。

 よかった。安心して、私はほっと一息つく。


 グシャっと。

 今まで感じたことのない衝撃。

 叫びを上げる間もなく、私の意識は消し飛んだ。

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