第2話 僕の過去2
キーウについた次の日僕は亡き父に代わってウクライナ英雄の勲章を受け取った。また父の死が公式に発表された。そして国葬は5日後に決定した。叔父はアメリカ人なためウクライナには入れないから参列は出来ない事になったが僕は国葬の翌日にキーウを発してポーランドに行く予定だったため国葬の日にはポーランドに来る予定に決まった。僕はポーランドに向かうまでの間ウクライナ大統領に世話を見てもらっていた。父の国葬には国の重役が多く参列してポーランド大統領などの一部の外国元首も来ていた。父はロシアとの戦争においてクリミア半島などの全土を奪還して講和条約を結んだ功績が評価されたからみたいだ。国葬は無事に終わり、僕はポーランドに叔父に会いに行くことになった。僕は列車に乗った。ポーランド大統領の計らいでポーランド大統領と同じ列車に乗れることになった。ポーランド大統領は僕にとても優しかった。そしてワルシャワ駅に着くと僕は別れて叔父を探し始めた。ただ叔父が見つからずに僕は迷子になってしまった。電話を掛けようとしたがウクライナ国内でしか使えない契約だったためかからなかった。僕は恐怖で震えていた。たまたまそこに居たボランティアが僕を保護してくれた。そして避難所に連れて行かれた。そこで1夜過ごしたあとボランティアが叔父に連絡を取ってくれて僕は叔父さんに会えた。その後叔父と共にアメリカに行って暮らした。僕はロシア軍に直ぐにでも復讐する為にアメリカの学校で猛勉強をして小学校や中学校を飛び級して卒業した。僕が高校を卒業した時僕は10歳だった。そんな4年間の短い学生の間にも僕は友達を作った。この友達は後にとても重要になった。
僕は高校を卒業した後ウクライナに戻ってウクライナ国防大学校に入学した。ウクライナ国防大学校では僕は主席を取り続け、本来は5年のプログラムを2年で終わらせた。僕は卒業と同時に大尉の階級を任じられた。通常は少尉で主席だと中尉だが僕は特別優秀だった為大尉にいきなりなれたのだ。その後は一年ほどウクライナ第54独立機械化旅団に勤務した。僕は懸命に任務に励んだ。そしてある日東部軍管区司令官に呼ばれた。そこで世間には知られていない特殊部隊ウクライナコサックの入隊試験を受けないかと誘われた。僕はそれを受けた。それと同時に極秘義務も発生した。僕が試験を受けた結果合格して入隊した。僕は入隊と同時に1階級上がり少佐となった。この昇進の速さは異例だったがウクライナ軍は実力主義な為異論は出なかった。また試験はとても厳しく僕の他にも100名ほど受けたが合格したのは僕ともう1人だけだった。これが僕の特殊部隊での勤務の始まりだった。それから11年経った今、僕は順調に出世し陸軍少将となっていた。そして1000人ほどの特殊部隊の隊長となる事になった。これはロシア軍の侵攻において行った作戦の功績が認められた形だ。その作戦とは捕虜奪取作戦と兵站の破壊だ。僕はウクライナ軍のミサイルなどでは攻撃できないところや西側諸国との都合上出来ないところをこっそり爆弾を仕掛けるなどして破壊していた。さらにロシアに連れて行かれた捕虜を取り返していた。その為僕は既に父と同じようにウクライナ英雄の勲章も授与されその他にも様々な勲章を持っていた。
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