第二十六談

 義丸とクオッタは、呆けたようにその様子を見つめることしかできなかった。


 ローアは強烈な殺意に動かされるまま、腰に忍ばせていた小銃をバイオンに向けた。


 仲間の行動を苦々しく見ていたオルガンミラーは発火の直前に射撃器具の照準をバイオンに合わせていた。しかし次の瞬間、オルガンミラーは強烈な違和感を覚える。


 視界にいたアマテラスが突如として消えていたのだ。突然の違和感を感じたのはバイオンも同じだった。つい先ほどまで感じていた拘束への抵抗が急に失われ、彼の右手は空中でこぶしを握るだけの形となっていた。


 そして激しく燃え上がる炎が散り散りとなって宙に舞い地に落ちると、周囲の誰もが異変に気付いていた。


 バイオンのそばに真昼の姿はなかった。



「ごめんなさい、私が付いていながら……痛かったですね、怖かったですね……」


 先ほど義丸が分け入ってきた藪の辺りにアマテラスはしゃがみ込んでいた。


 すぐそばには痛みを堪えながら座り込む真昼がおり、アマテラスは真昼の上半身を強く抱きしめていた。


「(あ?な、何だ一体……)」


 狼狽したバイオンは慌てて周囲を見渡した。他の者も状況に理解が追いつかず、呆然とバイオンの慌てた様子を眺めていた。


 アマテラスが広場を背にしたまま立ち上がると、その場に居合わせた全員はようやくアマテラスと真昼の姿を確認した。


 真昼の無事を喜ぶのも束の間、アマテラスが放つ異様な雰囲気に誰もが声を上げられずにいた。


 アマテラスはゆっくりと広場に向き直ると、うつむいたまま中心に向かって歩を進めた。そして、震える声で静かにセルトヌーダの言葉を話しだした。


「(私たち神にも規則はあります)」


 突然、バイオンは大きな手に掴まれたかのように身動きが取れなくなった。


「(あがっ!う、動けねぇ!)」


「(あなた方の世界に極力干渉してはならない、これも大切な規則の一つです)」


 バイオンの体は宙を舞い、引き寄せられるようにアマテラスのすぐ前へと降りた。


「(たとえあなたがどれだけ利己的な行動をしようと、それこそ一つの星系を滅ぼしかねない事態に陥ったとしても、それを私が阻害することは原則として許されていないのです)」


「(な、何言ってやがる!離せ!!)」


「(我々神は傍観者でなくてはならない……)」


 消え入りそうな声で語られた言葉には決意とも諦めともとれる悲壮感がにじんでいた。奇妙な緊張感に圧迫されながら、その場の全員がアマテラスとバイオンの動向に注目していた。


「(でも……あなたは私の巫に手を出しましたね?)」


 アマテラスはゆっくりと顔を上げると、恐ろしく冷たい目でバイオンをにらみつける。


 その表情は憎悪と殺意だけで作り上げられていた。およそ少女とは思えないその威圧感にバイオンは言葉を失った。





「(――規則なんか、クソくらえです)」

 




 その瞬間、辺りを包み込む数百、数千の虫の音が同時に途絶えた。空は急激に明るさを失い、周囲の草木は瞬く間に墨色に染まっていく。


 その場に居合わせた者全てが唖然とする中、夜が広場を包み込んでいた。


 ややあって漆黒の空間に蛍火にも似た小さな明かりが浮かび上がった。明かりは照度を増しながら一筋の火となり、やがて周囲の暗闇を焼き焦がすような激しい炎となった。


 炎はその腹中にバイオンを飲み込み、そばに立つアマテラスを照らし出していた。


 バイオンは燃え上がる炎から逃れようとするものの、体は見えない力に拘束されたままだった。


「(なんだこりゃ?!お前、お前何をしやがった!)」


 アマテラスは答えなかった。


「(はっ!この程度の火で意趣返しのつもりか?効かねぇんだよそんなものは!)」


 バイオンは苦しむ様子も無く、炎に包まれながらも気味の悪い笑い声を上げた。


「(よい服をお召しのようですね。一体どれほどの炎に耐えられるのでしょうか?)」


 アマテラスは首を傾げながらつぶやくように問いかけた。


「(さあ、どうだろうな?その足りない頭で一生懸命考えてみな、おじょうちゃん!)」


 口汚くアマテラスを罵りながらも、バイオンは見えない拘束を解こうと体中の筋肉に力を込めていた。しかしどれだけ筋肉を緊張させてみても体はピクリとも動かない。


 しびれを切らしたバイオンは、付近にいるであろうオルガンミラーに助けを求めた。


「(おい、オルガンミラー!そこに居るんだろ?動けねぇんだ、ちょっと手ぇ貸してくれ!)」


 オルガンミラーは動く様子もなく静かにバイオンを見つめていた。


「(おい!聞こえてんだろ?早くこっちに来てくれ!)」


 再度の呼びかけにもオルガンミラーは無言を貫いていた。役に立たない仲間に苛立ちながらも再び声を上げようとしたとき、バイオンはある変化に気が付いた。


(何だ?熱くなってきやがったぞ……)


 燃え上がる炎は徐々に色を変え始めていた。赤色から橙色を経て黄色へ、そして黄色はその色味を失いながら白色へと達しようとしていた。


 バイオンを保護していた白い服は至る所に黒い斑点模様を浮かべ、やがて消し炭の様にボロボロと崩れ始めた。


「(やめろぉっ!あちぃィィィィィィィッ!!)」


 アマテラスは冷笑を浮かべながらその様子を見つめていた。


「(……ダメですね、オスの叫び声は。艶に欠けて不快極まりない。あなたもそう思いませんか?)」


 徐々に形を失っていくバイオンは苦悶の叫びを上げることしかできなかった。


 異形の炎は全てを焼き尽くし、バイオンは灰すらも残さず空へと消え去った。


 頭上には徐々に薄明かりが差し込み、虫達は一斉に声を競いだす。数分前と変わらない夕暮れ時の里山の風景がそこにあった。


 アマテラスは何事もなかったかのように真昼のそばへ戻ると、心配そうにその体をいたわった。


「(お前……一体何者だ?)」


 指先をアマテラスに向けながらオルガンミラーは言った。


「(やめなさい。そんな物が通用しないことくらい、あなたには分かっているはずですよ)」


 アマテラスは再び立ち上がると、無防備なままオルガンミラーの方へと歩き出した。オルガンミラーは迫りくるアマテラスの眉間に照準を合わせたまま、じっと立ち尽くしていた。


 付き出した指のすぐ手前でアマテラスが止まると、オルガンミラーは諦めたように腕を下ろした。


「(あなたに危害は加えません。ただし、一つ仕事をしてもらいます)」


「(仕事?)」


「(すぐに拠点に戻り今回の重力波の調査を打ち切ってください。そして、今後一切、真昼さんとそこにいるペタルネスカ人の2人に関わらないと約束してください)」


「(なんだと?)」


「(できないと言うのなら今ここで消えてもらうだけです。それと、再び調査員が訪れないように南方にあるあなた方の拠点も焼き払います)」


「(そんなバカなこと)」


「(ウソだと思いますか?)」


 アマテラスは鼻で笑った。


「(貴方をここで消すことも、あなたの拠点を焼くことも、そしてあなたの母星を恒星の燃料にしてしまうことさえ私には造作も無いことです)」


 不気味な威光を放ちながら、事も無げに言い切る少女を前にオルガンミラーは言葉を詰まらせた。


 先ほどの光景を目の当たりにした以上、自分を消すことが造作も無いというのは本当だろう。それにしても拠点を焼き払うだの星一つを恒星の燃料にするだのはいくらなんでも話が飛躍しすぎではないか?


 子供の戯言に心を乱されるなど自分も落ちぶれたものだなと自嘲しながらも、幾多の死線を潜り抜けてきた直感が、今は引くべきだとオルガンミラーに告げていた。


「(……分かった)」


 アマテラスは満足そうにうなずくと、ローアに向かって事の次第を説明し、今後は誰も襲われる心配が無いことを告げた。



 ローア、クオッタ、義丸の3人は真昼のそばに駆け寄ると、応急処置のため真昼を連れてクスノキの裏へと消えていった。


 クスノキ前の広場にはアマテラスとオルガンミラーが残っていた。オルガンミラーはコートを軽く整えると、山側の薮に向かって歩き出した。


「(いいんですか、それ。目立ちますよ?)」


 アマテラスはオルガンミラーの背中に付着している赤い液体を指摘した。


「(構わんさ。すぐそばに船が止めてある)」


 オルガンミラーは背中を向けたまま答えた。


「(あなたはセルトヌーダの人にしては随分変わってますね)」


「(何がだ?)」


「(……いえ、別に)」


「(俺に言わせればあんたの方がよっぽど変わってると思うがな)」


「(そうですか?)」


 オルガンミラーは含み笑いを浮かべた。


「(約束、守ってくださいね)」


「(分かってる)」


 再び歩き始めたオルガンミラーだったが、すぐに歩みを止めるとアマテラスの方を振り返った。


「(あんた……何なんだ?)」


 アマテラスは穏やかな笑みをたたえながら答えた。



「(私はアマテラス。無窮の彼方からこの星を見守る者です)」

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